混沌の廃墟にて -90-

予言者たちの言葉

1989-11-26 (最終更新: 1999-12-09)

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 「卒業」という映画のクライマックスのシーンはあまりにも有名だから下手な説明はしない方がよいだろう。 ダスティン・ホフマンが主演。 しかし、私は最初 Simon and Garfunkel の音楽が目当てでこの映画を見たので、動機としてはかなり変わっているのかもしれない。 しかし、一応忘れられないようなセリフがないわけでもない。

 映画を見たと書いたが、実は映画は見ていなくて、テレビで放送されたものを見たのである。  実は、私は2台目のビデオを買うときに、この映画が放送されるのを Hi-Band (*1)で録画したくなって、思い切って買ったのだ。 ずいぶん昔のことだ。 そして今思い出すのは「βはなくなりません」という有名な全面広告と、そのビデオデッキである。 デッキの方はローンを払い終わらないうちにスターウォーズを録画したテープと一緒に盗まれてしまったし、「β」に関しては、あえて何も言いたくはないが、とにかく「卒業」を録画したテープだけは手元にあって、今でも疲れた時にたまに見たりするのである。

 映画の始まった所のシーン。ベンがベンの父(だったと思う)と会話している。 ベンは "I want to be .." と言って、しばらく間を置く。 私はコレクトコールの確認を要求しているオペレーターからの電話を受けてうろたえる程度の英語力だから、"I want to be.. " はやや怪しいかもしれないが、ここは英会話フォーラムではないから大目にみてほしい。 「忘れられない」と書いたくせに記憶がいいかげんではないかと言われそうだが、そう慌てずに。忘れないというのはこの後の言葉だから。 さて、上の言葉に対して、父は "To be what?" と聞き返すのだが、次のベンの答がすごかった。

 "Different"、である。

 誰でも、少なくともある程度はアイデンティティを保ちたいという自然な欲望はあるのではないか。 そして、そう欲すること自体も自然なことだと思う。 でも、私には different へのあこがれの方が異様に強くて、特に最近は本当に異様である。 自分を fix させたくない願望の強い私は、社会の中では異端派らしい。

 例えば昔考えていたことと今考えていることが全く逆のことがよくある。  しかし、これはその場の雰囲気で意見がコロコロ変わるのではなく、何か新しいロジックを知ったために、以前の結論を放棄するということであるから、次に新しい論理を身につけない限り一貫性が失われることはない。 このような論理的な思考が背景にあるので、別に性格が分裂しているわけではない(と思う)。 私としては、これは人生経験が足りないせいだろうと思っている。 実際、「私は人生経験が足りないから、以前考えていたことが間違っていると思ったら今逆のことを書くかもしれない」という苦しい発言をした事もあった。

 これは、自分を向上させようというような清廉な発想ではなく、単に今の自分が気に入らないので逃げようとする臆病な行動である。 今自分が持っているロジックが全く気に入らないので、何でもよいから他の論理をあさろうとしているのである。 要するに単に今の自分から変化する事が重要なのであって、良くなろうが悪かろうが、とにかく今と違えばよい、そういう意味の different だから、絶対に他の人にはおすすめできない。 自己改革のために良い道を選択しようというのではない。とりあえず自分をぶち壊してしまうという目的が達成できればよいのである。

 世の中には、他人をぶち壊すのが好きな人もいるようだから、それに比べれば自己破壊的な生き方はずっと正常のような錯覚をすることもある。

§

 この映画で、Sound of Silence という曲が使われている。 S&G を知っている人ならこの曲を知らない人はいないだろう。 ただし、私は、America や The Boxerのような歌の方がずっと好きである。

 S&G はそれこそ大ヒットとしか言いようがない程ヒットした曲をいくつも持っているのだが、America という曲はその類のものではないらしい。 でも、この曲は何か私に共感するように問いかけているような感じがする。 この曲に歌われているような、前をまっすぐ見つめて歩き続けるような強さにささえられながら少し暗い所からなんとか明るい所へ向かおうとする心の動きは、あの時代の、そして今でもアメリカが持っているパワーだと思う。 日本人的な感覚としては、そのような直線的なパワーよりは、あくまで風流とか奥ゆかしさが肝心になりがちなのではないか。 例えば太田裕美の歌で「ひぐらし」というのがあるので、これをAmerica と比べてみよう。 と言うのは、この歌はモチーフどころか小道具に至るまで驚く程よく似ているのである。

 (あえて歌詞の引用は避けるので、可能な方は一度聞き比べてほしい)、

 「ひぐらし」にあるゆったりとした雰囲気は、、そういったパワーを伴ったものではなく、いかにも日本人的である。 決まり文句で言ってしまえば「わび・さび」的発想だろう。 「America」の力が外へ向かって動きだそうという含みを感じさせる反面、「ひぐらし」の軽さは自己の中で消化してしまう、独自の世界の中にハマりきった生活ではないだろうか。

 このような発想や文化の差異が、日米の外交上の摩擦問題の根本にあるような気がしてしょうがない。

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 The Boker という曲は、アクティブネットワーカーが一人いなくなるたびに、ふと頭をよぎる。 一所懸命がんばって、がんばって、その末に疲れ果ててどこかへ戻ってゆく人たち。 私がもしオンラインの世界からいなくなってしまったら、誰かがこの曲をリクエストしてくれるだろうか、と考え込むこともあった。 でも、私にとって嘘の世界はオンラインの外の世界なのである。

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 全く関係ない話だが、「めぞん一刻」という漫画があって、ヒロインが「音無響子」という、いかにも Sound of Silence という含みのありそうな洒落た名前だったので、これは最後に花嫁争奪のシーンになるだろうと期待していたら、あっさり終わってしまったのでがっかりした。

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 今更 Sound of Silence を持ち出してきたのは、その極寒の世界の暗さがそのままオンライン・コミュニケーションに受け継がれているような気分が頭の中に植え付けられて離れないからだ。 この事に気づいたのは随分前なのだが、どのように書いても駄目な気分になるので、いったい何度草稿を没にしたのか、私にはよくわからない。

 NIFTY-Serve という一つのネットワーク上だけでも、1万人はおろか、数万人の人々の ID があるはずなのだ。 掲示板は参照回数が表示されるようになってから、発言する時にもスリルが増えた。 実際に BBS に行けばわかるが、参照カウントは、数十から、多くても 200〜300 という程度である。 会員7万人という数が公表されているのに、残りの6万9千数百人はどこへ行ってしまったのか。

 FPRG をアクセスしている人が何人程度か想像してみてほしい。 私は SYSOP という立場上、状況が比較的よくわかる。 現在、約 2400 名の登録会員のうち、アクセスしている方は 30% 程度である。 そして、掲示板の私の発言を見てくれる人は、もっと少ない。 私は 700 名が FPRG をアクセスしているという現実がいろいろな意味で不思議でたまらない。 しかも、いつかこれが 70 名になるのだろうかと薄氷を踏む思いなのだが、いつもその時に思い浮かぶのは Sound of Silence だった。

 言葉は並べてみるが、語りかけようとはしない人達や、音は聞こえているかもしれないが、決して理解しようとはしない人達。

 そして、私もそのような人々の中の一人にすぎないのではないか。

 もし、あなたがネットワークの上の公開の場で何か書いたことがあるなら、それが誰にも読まれていないのではないかと不安になったことはないか?  または、あなたがネットワークにアクセスし始めてから一年以上経つのであれば、1年以上前に読んだメッセージで、今でも鮮明に覚えているものがどれ程あるか考えたことはないか。 私は本当に多くの反面教師に教えられたと思う。 自分を見失うことや、プライドを捨てることを覚えたし、本当に心から思っていることは書かない方がよい場合が多い事も体で理解したような気がする。 だから、この発言は本当はいつまでも没にしなければならない筈だったのだ。

 暗黒の世界はいつも執拗に私に呼びかけるので、いつの間にか私も暗闇の仲間になっているのだろう。 このような世界は理想とはかけ離れていて、そこで発言することは自滅への道なのかもしれない。 だから、FPRG ではかたくなに発言を SYSOP サイドから要求しないという姿勢を崩そうとしない。

§

 近頃は、予言者達の言葉は、電子掲示板の上に書かれている。


補足

「予言者達の言葉は、電子掲示板の上に書かれている」というメッセージは、言うまでもなくSound of Silenceの最後のフレーズのパロディである。当時FPRGだったフォーラムはFPROGという名前に変わったが、 残念ながら今もこの時に書いた考え方は変わっていない。&I want to be different.&が成就するのはいつの日か。

(*1) Hi-Band はβ方式のビデオデッキの録画モード。


COMPUTING AT CHAOS RUINS -90-
1989-11-26, NIFTY-Serve FPROG mes(4)-374
FPROG SYSOP / SDI00344 フィンローダ
(C) Phinloda 1989, 1996, 1999