混沌の廃墟にて -13-

Give then take ?

1988-10-14 (最終更新: 1996-05-07)

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今日は NIFTY-Serve がお休みだ(注、今は 1988年10月13日 である)。さて、 何が変わるか楽しみである。もちろんサービス時間が延長されるのは知っている が、プラスアルファを期待しているのである。

以前にも書いたが、会社にあるコンピュータは保守に来るたびにどこか異常が 発生するのでなるべく忙しい時には保守しないようなパターンとなっている。点 検したために故障するという話は飛行機でもあるという話を聞いたような気がす るが、よく覚えていない。

SYSOP にもいろいろな性格の人がいそうだ。私は一日ネットにアクセスせずに すむので気楽である。というのは、SYSOP の仕事に入会希望者の処理と SYSOP 宛 てメールの処理というのがあって(*1)、かなりプレッシャーがかかるのだが、ア クセスできないと考えずにすむからだ。アクセスしないので嬉しいというのでは ない。緊張感ただよう生活にも、絶対捨てがたいものがある。でも違った雰囲気 もいいものだ。

    *
共立出版の出しているbitという雑誌の7bitsという連載に、プログラマーの分 類が書いてあった。4流プログラマーから超一流プログラマーまでランク分けされ てあったが、あなたはどのプログラマーだろうか。4流の定義はともかく、超一流 の定義は非常に共感を覚えた。私の場合、「考えてからプログラムを書くのだが、 ちがったモノが出来る」というタイプだが、何流あたりだろうか。
(ちなみに、4流プログラマーの定義は「考えないからプログラムが書けな い」、超一流プログラマーは「考えてばかりでプログラムを書かない」だっ たと思う…手元に本がないので間違っているかもしれない)
nクイーンにしろ、πを際限なく求めるにしろ、実世界と殆ど関係ない所が好 きだ。nクイーンを解いて何の役にたつか考えてみたが、とりあえずベンチマー クに使う程度しか思い付かない。
    *
先日、CCSに(*2)「フォーラムを使う時に入会しなければならないのはなぜか」と いった(微妙に違っているような気もするが)質問があったので、普段考えてい ることを up しておいた。CCS とは何の略か忘れたが、NIFTY-Serve にはフォー ラム以外にも電子会議というサービスがある(GO CCS)。例えば議長を立候補で 募集して議題を決め、討論でもすれば盛り上がる可能性も十分にあるのだが、現 在は全く野放し状態である。

こういう全く関係なさそうな所で質問に答えたりするのは、一つは基本的にま だまだパソコン通信が give & take によってしか成立し得ないと思っている からだ。SYSOP で生活できるような時代がやってくれば話も変わってくるが…あ んまり考えたくない気もする(胃に穴が開きそうだ…)。

Give & take で最も重要なのは、最初の give が自発的なものであることだと 思う。そうではなく「何かしなければ仲間に入れてあげません」というパターン がよくある。これでは give then take である。だから、プログラマーズフォー ラムでは「電子会議で発言してください」といった書き込みは極力避けている。 もしあるとすれば、「発言する意志があるのなら積極的に発言して欲しい」とい う意味で言っているのであり、発言しないと許さないということではない。発言 しようがしまいが、いっこうに感知しないのである。つまり、発言しなさいとい った結果そうされたものは give & takeでないと考えているからである。

面白いことに、発言することが快感でしょうがない人がたまにいる。その人は どう見てもgive に片寄りすぎている。逆に、takeだけの人は非常に多い。両方合 わせるとgive or take と言うのだろうか。Cで書けば (give || take) いや、 (give | take) だろうか。Give ^ take だとどうだろうか…などと無駄なことを 考えるよりはデバッグをした方がよさそうだ。

ところで、SYSOP がこういう態度であるからかどうかは知らないが、アクセス 時間の方は少し増えたにもかかわらず、発言率は下がる一方である。(*3)と言っ て、どうしたいと言う程のビジョンさえないのだから、やっぱりどうしようもな い。


補足

(*1) 当時はどうしていたか忘れたが、今は入会希望者の処理は半自動化しているので手間はかからない。SYSOP宛てメールの方は、相変わらず結構やってくる。

(*2) CCSとは、当時NIFTY-Serveのトップメニューにあった総合電子会議である。NIFTY-Serve全般に対する質問を書くことができた。発言は多かったにもかかわらず、その後、廃止されてしまった。

(*3) 当時、FPROGの発言は減って、アクセス時間も減る一方だった。そこで始めたのがこの連載である。その結果、アクセス時間は持ち直したのだが、発言はさらに減ったのである。自分の首を締めているようなものだ。


    COMPUTING AT CHAOS RUINS -13-
    1988-10-14, NIFTY-Serve FPROG mes(?)-273
    FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
    (C) Phinloda 1988, 1996