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97年2月号 同人誌界流行最前線'97 97年の同人誌界の動向を予測。
97年5月号 「セーラームーン」同人誌と女のコ 「セーラームーン」完結記念特集の中の1本
97年8月号 「何様のつもり」と言われても、ボクはボクなのよね。 那瀬久秀氏の連載「何様のつもりだ!」の6月号、7月号への物言い
97年9月号 「困ったな、噛み合っていないぞ(笑)」−−那瀬氏の反論へのコメント 上記を受けての那瀬氏の反論への再反論。

同人誌界流行最前線'97

  この原稿書いてるのは、当然冬コミ前。冬コミケが終わってないのに、97年を占ってね、と言われても難しいと思うよ、編集長(笑)。
 と、まぁ、おばかな前置きはこれくらいにして、まずは同人誌即売会の動向から。本家コミケットは、97年夏は全館3日間の開催が決定しました。参加サークル数にしてこの冬の5割増し、3万サークルは軽く越えてしまうというますますビッグなイベントとなります。申し込みサークルも増えるでしょうが、これまでよりは抽選率がよくなることが期待できそう。コミケに落ちてるサークルは夏が狙い目です。なお、冬は2日間での開催だそうで、以後は、日程が許す限り、夏は3日間、冬は2日間の開催で行われるようです。
 次に、毎月の中規模即売会ですが、有明での開催が正直息切れ気味。イベントの数も多すぎて、過当競争気味だしね。しかも、有明は会場費が96年末から値上がりしていてコストがバカ高。各即売会は、ビッグサイト以外の会場での開催をいろいろと計画してます。
 さて、話をジャンルの流行に移しましょう。96年のアニメで見えてきたのは、マーケティングに依存しすぎた原作の限界、ということ。なにが流行るかリサーチすることは重要だけど、それだけで作品を作るのは本末転倒だと思うです。受け手もそんなに馬鹿じゃないんだから、何度も同じ手は通用しないよ。なんで「エヴァンゲリオン」があれほどのブームになったのか、もう一度考える必要があるのでは? ハズレないことばかり考えてると、当たらないし、先細りになってく一方なんじゃないかしら。
 ゲーム系は、対戦格闘ゲームブームが一息ついた感じで、一時の急成長は止まったかな。その中で着実に人気を増やしているのが、恋愛シミュレーション系のゲーム。「ときメモ」、「サクラ大戦」に加えて、今後の原作ゲームにも期待が持てそうです。女の子向けのゲームが「アンジェリーク」以降目立ったものがないのですが、いい原作があれば同人誌でも盛り上がるような気がします。
ということで、相変わらずちょっぴり辛口になってしまいました。でも、97年もいい本とめぐり会いたいからこそなんだよ。


「セーラームーン」同人誌と女のコ

  アニメの「セーラームーン」の第1回目って悪友どもとのたまり場で見たんだよね。テンポのいいオープニング、華麗でセクシーな変身シーン、かわいい只野和子キャラ…。1話の最後が終わった瞬間、皆で声を揃えて喚いていたのを今でも覚えている――「こりゃ、ヤバイ。絶対流行るぞ!!」ってね。
 もうその日から僕らも含めて男のコたちは燃え燃えで、美少女系同人誌の世界は「セーラームーン」を中心に回り始めたのだった(おいおい)…。ところが、男のコだけでじゃなかったんだよね、ハマっちゃったのは。女のコのファンが描き手にも読み手にもやたら目立つ、目立つ。
 そのうちに、門井亜矢、むっちりむぅにぃ、森永みるく、篤見唯子といった作家たちがそのキャラクターの魅力で男性作家に負けない人気を得、友里のえる、西崎祥の二人のパワフルなまんがは、玄人筋、特に多くの男性作家たちの絶大な支持を受けることになったんだ。
 「宇宙戦艦ヤマト」とか「機動戦士ガンダム」とかのアニメブーム絶頂期(あっ、もしかすると、読んでるあなたの生まれる前? げげげ…)や「うる星やつら」最盛期の高橋留美子ブームならいざ知らず、同じアニメを男のコも女のコも楽しむなんてことは、この頃全然なかったので、女のコのサークルがどんどん「セーラームーン」の同人誌を出していくのには、ヒジョーにビックリした。
 当時、とあるムックでブームの理由を解説した事があるんだけど、それを本棚から出してきて埃を叩いて、ここでお話するね。
 ちょうどこの時期、「キャプテン翼」、「サムライトルーパー」といった作品を元にした女の子系アニパロの黄金期が終息してしまい、「次」の作品がなかったんだよね。しかも、<やおい>という表現がやり尽くされてしまい、皆ちょっと食傷気味だった。そんなところに登場した「セーラームーン」が女のコの眼に新鮮に映ったわけだ。特に、主人公キャラは全員女性、タキシード仮面様は紛う事なき<受>キャラ(笑)、敵方の男性キャラも生殖能力を感じない女性的なキャラと、女のコなら本来的に自覚せざるを得ない「性」の問題を<やおい>という少女まんが史上最高の装置のひとつを使わなくても回避できる、という点がすばらしく都合がよかったんだな。
 そして、やはりキャラクターの立て方が抜群だった。個々のセーラー戦士は可愛らしく個性豊かだけど、彼女たち全員を考えると総体としては個性が薄い。全体としての個性の弱さというのは、パロディにおいてすっごく重要なんだよね。登場人物を自分流にアレンジして再構築するためには、原作のキャラクターのパワーがありすぎるとかえって邪魔になっちゃう。「キャプ翼」や「トルーパー」もそうだよね。個々のキャラクターは個性があるけど、全体としたら、素直すぎるくらいのキャラクター。これらの作品が女のコのパロディの王道足り得たのと「セーラームーン」の女のコブームはとてもよく似ている。当時ポスト「トルーパー」ということで随分いろんな作品が騒がれたけど、実は後継者は「セーラームーン」だった、というのが私の持論だったりする(笑)。
 で、一度垣根が取り払われてしまえば後はかんたん。これ以後カワイイ女性キャラが出てくる男の子向けアニメのパロディをする女のコの姿はごくごく当たり前になったし、美少女系の作品を描く女のコもとっても増えた。今の「エヴァンゲリオン」パロディも女のコのファンがずいぶん多い作品だけど、その下地もここにある。そういう意味では、「セーラームーン」というのは、90年代の同人誌の世界の方向性を決めた作品という言い方もできるかもしれないね。えっ、えらく大仰な言い方だって? うーん、そうかもしれないけど、そんな言い方がとてもよく似合う作品だったんじゃないかしら、「セーラームーン」って(笑)。


「何様のつもり」と言われても、ボクはボクなのよね。

 ここのところ那瀬久秀氏が潮を吹いている。ボクも彼も今の「ぱふ」じゃ年寄りもいいところで、おぢさんたちが何を言っているんだと、お若いお嬢ちゃんたちは思うかもしれない。でも、まあしばらくは年寄りの話でも読みなさい。
 正直言ってしまえば那瀬氏の苛立ちというのはすごくよくわかる。彼もボクも基本的には今のまんが・アニメ業界のあまりにも安易なシステムに腹立たしさを感じている。でも、那瀬氏の古典的な処方箋には異論があるんだな。とゆーか、そんなの現実の前には、屁にもなるまい。
 送り手と受け手の共犯関係の中で成立している安易なキャラクタービジネスに問題があると指摘しておきながら、自浄作用がない作り手に期待できない以上、判断は消費者の側に移りつつあるつーのは、すげー矛盾してないか?
 同人誌の世界が商業主義に侵されており、問題点が多数噴出しているという那瀬氏の指摘には、私も大いに同感。しかし、その問題点を「趣味で金銭的な儲けが出るのは基本的に卑しい」と言って斬って捨てても、なーんの解決にもなるまい。そもそもアマチュアという概念はプロッフェショナルが成立して初めてそれに対しての「アンチ」として成立するものである。したがって、「アマチュア=崇高」とかいうのは、何の根拠もないし、そうした幻想は、かえって事態を見えなくしてしまう。だいたい那瀬氏の言うところの「本当のコミュニケーション」って何だ?? ボクは彼ほどの自信家ではないのでこんな大それた言葉が何を意味しているのかボクにはぜんぜんわからないんだけど。
 「ここには資本主義のすべてがある」と、かつて浅田彰がコミケットを評した言葉はまさに的を射ていたわけで、もっと言ってしまえば、資本主義ごっこって面白いんだよね、実は(笑)。そこから始まらないと、何の現状の解決にはならないと思う。価値判断だけで物事が片づくわけはないんだからさ。


「困ったな、噛み合っていないぞ(笑)」

――那瀬氏の反論へのコメント

 えーと、まず猪飼編集長へ。8月号のボクの字数が約8百字で、今回の那瀬氏の字数が約3千5百字というのは、ずいぶんと不公平でないかい(笑)。
 で、3千5百字という字数は、いつもの「何様のつもりだ!!」のおよそ2.5ヶ月分にあたる。ボクの問題提起に対する反論にこれだけの字数をかけなければならないということは、やっぱり6月号、7月号の「何様のつもりだ!!」は、舌足らずのところが多すぎたのでは? 細かい論点に話を落としてもあまり益はないと思うので、ひとつだけ指摘するにとどめるが、今回の「金銭という「コミュニティ外の価値」が「コミュニティ内の自己評価」という目的とすりかわってしまうということに憤りを抱く」という視点は、私が問題にした7月号の「趣味で金銭的な儲けが出るのは基本的に卑しいこと」という言葉とは全然違うと思うぞ。
 ただ、那瀬氏の言っていることは、これだけ字数を尽くしても結局のところやっぱり処方箋になっていないと思うのだが。「殊更な原則論」はわかる。しかし、「お金のために援助交際をしてはいけない。自分の体を大切にしなさい。きっと後悔する時が来る。」と大人が言っても、テレクラのベルは今日も鳴るわけで、原則論から導かれる価値判断に実効性は乏しいと思うのよね(うーん、このへんの理屈は宮台真司丸々引き写しみたいですまぬ)。私が8月号で「資本主義ごっこは面白い。そこから話を進めないと何も始まらない。」と言ったことの本質はここにある。別段、疑似経済行為の面白さこそが同人誌の本質だと言っているわけでも、フリーマーケット的発送と競争原理の面白さを重要視しているのでもないのよ。
 那瀬氏には、私のスタンスは「現場的立場」と言われちゃったけど、マーケットを語る上でそれは当たり前だよね。だいたい、理想論ってのは簡単だ。夢だけ語ればいいんだから。そして、現場論もとってもイージー。実際のことだけ話せば済む。難しいのは、現状を見据えつつどう理想を見出していくかということなわけで、ボクはそれをボクなりに試行錯誤してはいるつもりなんだけどね。
 最後にお節介をひとつ。那瀬氏は「原則論」を「ひとつのモノサシ」と言っているが、今までのように現状に懐疑を唱え、読者に「考えてもら」い、意識の向上を望むなら、いろいろな「モノサシ」といった相対価値論に足を踏み入れるべきではないと思う。確かに彼のことを皮肉を込めて「自信家」と呼ばせてもらったけど、「何様のつもりだ!!」とゴーマンかましたほうが、戦略としては得策なのじゃないかしら(笑)。


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