「キャプテン翼」以降の女性アニパロ史 

[1992年6月 「同人漫画大百科」(辰巳出版刊)]


 [はじめに]

 八十年代後半以降の同人誌の量的拡大が、「キャプテン翼」以降の女性系アニパロブームによるところが大きいのは、異論のないところでしょう。この文章では、そのアニパロブームの今日までの展開を通史的に眺めていきたいと思います。なお女性アニパロブームのシステムの分析については、拙作「少女たちは楽園をめざす」(コミケットセレクション6掲載)を参照していただくと、いっそう理解が深まるかと思います。


 [前史−〜85年春]

 キャプテン翼(以後、C翼とする)以前で女の子の間で人気を得ていたアニパロは、「J9」と「ゴッドマーズ」のそれであった。JETらのYEAH!、凰巳乱のブライハリケーン、木戸恵のKIDDY LAND、橘しいなのブライガーシンドローム、といったサークルが人気を得ていたが、基本的な構図としては、「ガンダム」以降あまり変化は見られない。そして、中堅サークルに、高河ゆん、おおや和美など、その後をブームを形成する作家が多数活動していた。しかし、参加人数からすれば女性の半分以下の数でありながら、売上アンケートで上位を独占していたのは、いわゆるロリコン系サークルであった。


 [C翼勃興期−85年春〜86年春]

 いちばん最初に人気を得たサークルは、浪花愛、チャンバ草津、チアノーゼ小泉、源氏のお町らによる阿佐ヶ谷同盟だろう。85年春以降、彼女たちは猛烈なスピードで本を発行し続ける。その他では小説系のミラージュ、省さん、まのあそのか、NYAN、によるCITY−A、若島津健のさだはるブランドらが、積極的な活動を見せはじめる。こうして、夏のコミケ28では、わずかに半ブロックだったC翼スペースは、冬のコミケ29には四ブロック半という急成長を遂げることになる。これとともに、一般参加者の人気も急上昇し、身堂朗引退記念本と銘打たれた四百ページを越える豪華本「なごり雪」の列は、当時男性向けサークルの中でも最も人気のあったとろろいもの列を上回った。
 当初は、キャラクターの中でも岬太郎に人気が集中したが、次第に今日の定番、健・小次と呼ばれる若島津健&日向小次郎のカップリングにブームは移行し始める。


 [疾風怒涛期−86年夏〜86年冬]

 おそらくまんが同人誌史上最も熱い時期だったと言って過言ではあるまい。なぜなら、これほどの短期間に、これほどの多くの才能が、これほどの本を出した時期は他にはないからだ。まんが情報誌「ぱふ」が夏のコミケ30直前に出した「キャプテン翼」特集号は、C翼特集というよりC翼<同人誌>特集で、ブームの加熱化に一役買った。
 まず、最初に挙げるのはKENT CLUBの乙田基。上製本「健燃えます」、フルカラーイラスト集の「CAMPARI」、そして、コミケ30のカタログ表紙。その圧倒的な画力や、素晴らしいデザインセンス、卓抜した言語感覚に、当時の大手作家の誰もが羨望の眼差しを注いだ。
 次に挙げるのは、現在は「別冊少女コミック」で活躍中のおおや和美(OFF SIDE)。「J9」時代からその流麗な絵柄で人気を得ていた彼女もこのC翼ブームの中で才能を開花させる。特に86年冬のコミケット31で出した個人誌「BOY」は、C翼パロディのひとつの到達点として今も語りつがれている。
 また、C翼と言えばこの人とでも言うべき尾崎南も、この頃から急速に人気を増してくる。「誠大坂」、上製本の「VARIATION」、「聖少年伝説」。それまで、ほとんど無名だった彼女が、その激しい筆致で描いたラヴストーリーは、多くの女の子たちの支持を集め、それはいまなお尾崎南のスタイルとして新たな女の子たちの人気を得ている。 そして、高河ゆん(CLUB/Y)。パロディ同人誌出身のプロとしてもっとも成功をおさめた彼女も、この時期をもって、いまに通じる絵柄を確立する。86年夏には乙田基とともに同人誌即売会<EDGE>を主催する。また、発行が87年に入ってしまうが、B5上製本「ASIA」は、彼女のC翼での最高傑作であり、その人気の高さは、後に海賊版まで発行されるほどであった。
 この他にも、須賀邦彦らのSC東邦(後にMINX)、TONO・岡田満のうぐいす姉妹、徳田みどりの愛っていうのはね、柴田文明のBAUHAUS、寺尾ひろむらのC調C翼などなど紹介するにはとても紙面が足りないほどである。
 当時は、現在ほど印刷所系の即売会による事実上の独占が進展していなかったので、小規模の即売会が頻繁に開催された。その中心となったのは蒲田の大田区産業会館で、しばしばC翼オンリーの即売会が開かれ、狭い会場は、異常な熱気と興奮に包まれていた。


 [星矢の登場−87年]

 C翼によってもたらされた女性系のパロディブームは、87年に入ると徐々に拡散の兆しを見せはじめる。もちろんまだまだ、C翼の力は強く、尾崎南の総集編「独占欲」や、里中守・へうがけんの突貫工事おぢろう組の代表作「ひねもすOJIROH」、小林昭夫のMBパブリケーションの「謎の若島津君」、虎猫突好隊の「誓ったはずだぜ!キャプテン2」、なかよしりぼんのみずき健の個人誌「岬くんスペシャル」など、質の高い本が多数発行された。

 そして、ポストC翼は何かということで、いろいろな作品が現れては消えた。その中で台頭してきたのは、「聖闘士星矢」である。
 火付け役となったのは、源氏のお町、岩崎翼、うりうさをり、風祭壮太の四人によるなんぼ企画である。87年2月に始まった「バイタルエイジ」は、およそ一年半の間月刊ペースで刊行され、星矢パロディにおけるベーシックアイテムとして長く人気を誇ることになる。また、C翼ではチャトラン文庫を主催し、「それいけ!埼玉県民」などで強烈なギャグを連発していた石堂摩有が、星矢でのサークル、聖闘士レディースで発行した「迷宮のアンドロメダ」も、星矢ブーム初期の代表作と言える。
 下半期に人気を伸ばしてきたのは、砕星騎士団のおこじょまる小夏(現篠原正美)。冬のコミケ33で発行したB5横開きの上製本の絵本「Antistrophe」は彼女の最高傑作であろう。また、異色と言えるのは、Ukya−のDr.モローである。その希代のギャグセンスは、コミケットカタログでの穴埋めまんが等であまねく知られるところとなり、87年冬と88年夏には「Dr.モローファンクラブ」と銘打って、当時の女性系人気サークルの多くが参加した冗談本が出されるくらいであった。
 星矢ブームで特徴的だったのは、プロの少女まんが家の同人誌への逆流現象である。具体名は避けるが、白泉社系の作家を中心として、非常に多くの描き手が、パロディ同人誌をつくるようになる。当時の大手サークルの作家の多くがプロ作家のアシスタントをしており、そのネットワークの中で<先生>がアニパロに夢中になってしまう、という事態が生じたわけである。以後、現在に至るまで、自分の趣味として同人誌を出すプロの作家の数は、増えこそすれ減ってはいない。

 そして、星矢以外のパロディで忘れてはならないのは菊池秀行原作の「魔王伝」である。アニメでもなくほとんど無名だったこの小説がブームになったのは、高河ゆんがこの作品のパロディ本「魔王伝」を出したからであり、それに続いて獅水良・三津谷葵のしみずたに同盟、後藤星のアイザックコンプレックス、佐野真砂輝・わたなべ京のSE NIGHTといったサークルがファン層を拡大したからである。同人誌の描き手たちの持つ影響力は、以前とは比べものにならないほど強くなってきた。

 さて、高河ゆんは、87年に入ると千蔵マキと夜嬢帝国を結成、既成の同人誌の枠組みを越えた活動を開始する。夏には新書館の「WINGS」で本格的なプロデビューを「アーシアン」で飾り、以後、同人誌と商業誌で猛烈な勢いで作品を発表し始める。
 ブームはブームを加速し、この年の夏のコミケ32は、記録的な混雑を記録し、一般入場者の列が会場である東京流通センター(TRC)の外、2Kmに及んだ。


[安定期−88年春〜秋]

 C翼と星矢の急速な拡大は、同人誌の人口を飛躍的に向上させた。コミケットへのサークル申し込みは、ついに千の単位から万のオーダーへと増加していった。晴海からTRCへ移った段階で、それまでの参加サークル数を維持するために取られた方策は開催日を二日間とするというものであったが、既に87年の段階で誰の目においても、コミケットはTRCの限界を越えていた。そして、再びコミケは晴海へ戻ることになる。二日間開催
のままに…。わずか一年半で規模は2倍以上になったのである。

 夏のコミケット34で記録的な列をつくったのは彼烈火であった。このサークルは、前年尾崎南と藤置ゆいなによって結成された十戒がすぐに名前を変えたものである。シリアスの「秋止符」、「残酷に告白」からギャグの「東邦理不尽物語」まで、そのパワフルな活動は87年が特にその中心であったが、読者の盛り上がりという点では、この夏がピークで、その熱狂ぶりは他の人気サークルとは一線を画していた。その後ふたりは、冬にこのユニットは解散、尾崎南は単独で怒悪流というサークルをつくることになる。
 この年で押さえておくべき本は、C翼では寺尾ひろむの「BOYS BE MON2」(わかしまくんいっと)であろう。交通事故で足が動かなくなった若島津健の話を中心にしての二五〇ページという分厚い本が持つ異様な迫力は、読者を圧倒した。
 星矢で人気を得ていたのは、たかつききょうこ、巣田祐理子らによるおすてきシスターズである。多くの大手サークルがレイアウトや表紙の見栄えを優先させる中で、彼女たちの常にファン精神を忘れないマイペースな本作りは、多くの支持を得た。これは、現在の「ファイブスターストーリーズ」のパロディにおいても少しも変わっていない。
 そして、パロディだけでなく、オリジナルもいろいろな本が出てきた。これまた三〇〇ページを越える上製本「元禄桜吹雪」は、須賀邦彦、おおや和美、冬城蒼生、ALICE.B(ビリー高橋)、紫片貴志ら執筆陣に、江戸時代を舞台とした時代劇本である。また、SE NIGHTは、現在も継続中のオリジナルのシリーズ「TWIN」を夏に開始した。


 [トルーパーの登場−88年秋〜89年夏]

 冬コミケは晴海がお歳暮の配送の関係で非常に日程が限られる。この年は会場との折り合いが付かず、冬のコミケットは開催されなかった。そして、12月25日に開催されたコミックシティが冬コミ代わりのイベントとしてたいへん盛況であった。

 春から放映が始まった「サムライトルーパー」に人気が集中しだしたのは秋くらいからである。最初は天野かおるのCROWN(後にSIZE)、源氏のお町の愛情バンク、羽柴麟のSTUDIO☆SIGHTといったサークルたちがはじめたのだが、年が明けるとブームは次第に大きくなっていった。羽柴シスターズ、O’mitの徳川蘭子、みずき健の倭人伝、藤井尚之(田村みゆき)のYAROW.CO、徳田みどりの愛っていうのはね、四位広猫の鎧茶屋、といったサークルが冬の代わりに開催された春のコミケ35前後から人気を伸ばしていくことになる。

 さて、この頃からその人気が過熱してきたのは、えみくりとCLAMPである。
 えみくりは、86年くらいからC翼や三国志で人気が出始め、星矢あたりでその人気を決定づけた。三国志本の総集編「えみくり三国志総集編」や中国旅行記「中国トラブルトラベリング」は、その内容といい、構成といい、中期えみくりの代表作と言える。そして、89年を境に元々のジャンルであるオリジナルに活動の中心を戻し、今まで以上に多くの読者の支持を得るようになる。
 CLAMPは、大川七瀬を中心とした何人かの描き手集団の総称としての意味を持つ。この今までにないスタイルで同人誌を発行しはじめたのは87年からであり、ひとつの作品のパロディでは本は基本的には一冊しか出さないというユニークな発行方針のもと、活動を続けてきた。88年秋くらいから次第に人気を得ていくがその中心となったのはオリジナルのシリーズ「笑点」であった。89年の春コミケに発行された「笑点3」から現在の態勢が整い、その後の商業誌デビューへとつながっていく。
 えみくりやCLAMPに見られるように、もはやパロディであること自体はあまり重要ではなくなった。自分たちの世界をどう構築していくことの方がはるかに重要である。同人誌の力はますます大きくなってきたのである。その一方で、あまりの商業誌の量の多さに高河ゆんは同人誌活動を一時休むことになる。そして、90年春には執筆活動そのものの休業宣言を出すに至る。

 一方、C翼・星矢でも新しい人材が生まれてきた。C翼でのそれは樫尾亜季のリリスである。温かみのある描線とメロウなストーリー、<やおい>もたっぷりということで、ベテラン層の厚いC翼にあって人気を高めていくことになる。星矢では金ひかるのだむだむ団である。特に春コミケ発行の上製本「ALPHABET」の完成度の高さは、数ある星矢同人誌の中でもトップクラスにあった。


[ジャンルの拡散−89年秋〜90年]

 冬のコミケ37からついにコミケは幕張メッセへとその開催地を変える。サークル数の増加にスペース数が追いつかないこれまでとは異なり、アニパロがコミケットの主流になって以来初めて、コミケット準備会は会場問題でひと息つくことになる。しかし、90年夏のコミケ38は過去最大と言われる一般来場者を記録し、まだまだ同人誌ブームが拡大傾向にあることを再認識することになった。

 その後もトルーパーサークルの数は急速に増えていく。サークルとしては、フェニックスこすりの世紀末かしら、早坂塊の3年腕組、伊達皆無の来夢カンパニー、門井亜矢の冗談じゃないよっ!、Mr.黒猫の天の道教団、高野宮子のP−Koo−Doo、プロのこなみ詔子のA・S・Nなどが人気を得ていた。
 そして、急速に人気を得て、あっという間にナンバー1の地位にのぼりつめたのが光輪騎兵団である。C翼の頃からその文章力には定評があった富樫唯香(松ゆたこ)と光GENJIで華麗な絵を描いていた鳥羽笙子の二人によるこのサークルは、89年末から90年にかけて40冊近い本を発行した。

 その一方で、メジャーアニパロ以外にもいろいろなジャンルの本が登場するようになり、同人誌においてはジャンルの拡散が進んだ。
 特に伸張著しいのは、音楽系である。TMネットワークと光GENJIの人気は高く、このジャンルにも人気サークルが出現した。TMでは佐藤真理乃のSUGER LEAGUE、アイドルでは、湖東美朋のJッ、じゃんぬ赤坂のCOSY ORGANなどのサークルがこれにあたる。
 また、88年秋以降サークルが増加した銀英伝では、かの大作家高口里純が「ごめんね銀英伝」を冬のコミケ39に発行。多くの人を驚かせた。
 FC系では、北斗の拳のパロディで一部で人気だった里透みどりが、何人ものプロの作家の絵を真似た「ベルサイユの漫画家」を出し、その強烈なギャグは老若男女を問わず、高い支持を受けた。
 アニパロ系では、ひとつには「シュラト」に人気があり、全体としては星矢系の人々からの強い支持があった。サークルは二越としみの斜陽館、美崎猛のEIN…!が中心となって活動していた。
 もうひとつのジャンルとして挙げるべきは「グランゾード」である。中心となったのは櫻林子・橘水樹の紫宸殿である。「C.DARWIN」を始めとする一連のシリーズの完成度とアピールの強さは、C翼ブーム最盛期を思わせるほどの説得力を誇っていた。


 [再び晴海へ−91年〜92年春]

 91年同人誌界最大のニュースというと、当然ながら美少女系同人誌の摘発問題である。この影響を受けてコミケットはメッセから再び晴海へと会場変更を迫られる。幕張に比べて晴海の配置上の問題点は、出入口の数の少なさである。そこで、準備会は、人気サークルを集中的に特定館に配置し、行列をそこで吸収し、一般サークルでの混乱を避けるという隔離策を取ることになる。したがって、わざわざA館や南館のサークルに本を買いにいくという行為は、そのサークルが○○のジャンルをやっているからという動機ではなく、そのサークルの本が欲しいからということになり、同人作家の作家性をさらに強化する方向に働いていくことになる。

 ジャンルの動向としては、トルーパーは夏をピークにバブルがはじけたように、急速な縮小を見せはじめる。もちろん、分母が大きいので数自体は他のジャンルよりもはるかに多いのではあるが。しかし、質的な点においては厳しいものがある。トルーパーは、規模の割にはしっかりとジャンルに根を降ろした中堅サークルがほとんど存在せず、大手サークルとそれ以外、とでも言うべき極端な構成になっているのだが、これはジャンルの
勢いがなくなると歯止めが効かなくなってしまう、という弱点を持っているのである。その中で新しく人気を得たのは清原伊鞠のみちのく倶楽部、あずみ享の寿カンパニーくらいであろう。
 そして、各ジャンルともさらなる拡散が進む。急速に伸びてきたのはドラゴンボール、沈黙の艦隊、B’zのサークルである。別段大行列が出来るサークルがあるわけではないが、いろいろなジャンルがあり、それぞれに良質の本を発行するサークルがあり、それぞれに賑わっているというところがコミケットの成熟化の現れであると言えよう。

 また、同人誌と商業誌を考える上で興味深かったのは、プロ作家と同人誌の関わり方である。
 CLAMPは、春のデビルマン本を最後に同人誌から撤退した。商業誌は作品を中心にして動いている一方で、同人誌は作家を中心にして動いているという現在のシステムを考えると、同人誌からの撤退は、アーチストプロモーションを放棄したに等しく、マイナスの要素が多いように思われる。その反対は高河ゆんである。彼女は夏に約1年の休筆を終えて仕事を再開したが、彼女は同時に同人誌の発行も再開した。まだまだ、リハビリ中とでも言うべきところもあるが、そのねらいは非常に確かだと思われる。
 そして、多くの少女たちとまんが業界を驚かせたのは東宮千子が吉祥寺倶楽部を結成、友人たちとともにハイペースでの本の刊行を始めた事である。業界でも大手の出版社の看板作家が自らサークルを主催し、同人誌を出すなどということは、旧来の常識では考えられなかった事である。

 さて、秋にはいると新しく「サイバーフォーミュラ」に人気が集まり始める。トルーパーで活躍してきた作家を中心にサークルの人気は急上昇した。その後もトルーパー以外にもいろいろなジャンルからの参入が相次いだり、新しい描き手たちが人気を得たりと非常な活況を呈している。すなわち、トルーパーまでのブームで形成されたパロディ同人界での暗黙の枠組みというのが、このサイバーブームをきっかけに変質し始めているということである。しかし、描き手の過熱ぶりに比べて一般の読者の反応はいまひとつ、というところが実態であり、今後の事態の展開が興味深いところである。

 というわけで、今年一九九二年というのをひとことで語るなら、昨年までで八〇年代の後始末を終えて、新しい九〇年代の同人誌界の方向性が現れて来る年と言えるのではないだろうか。

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