同人誌の楽しみ方 

[1993年6月 「漫画の達人」(KKベストセラーズ刊)]


<はじめに>

 この本をわざわざ買う人なら、もちろんある程度まんがにそもそも興味があるわけだろうし、そんな人なら、コミケットに代表される同人誌即売会というものに、一度くらいは遊びに行ったことがあるかもしれない。プロの描き手でも、新人や若手では同人誌を経験したことがない作家の方が珍しくなってしまった。でも、今のように同人誌というものがまんがやアニメーションの世界において大きな位置を占めるようになったのは、そんなに昔のことではない。ここでは、その膨張の歴史を振り返りながら、そのシステムが転換点に差し掛かっているという現在の状況をまとめてみたい。


<前史>

 初めて開かれた75年からつい十年前までは、コミケットはマニアのマニアによるマニアのためのイベントでしかなかった。コミケットですらそうであったのだから、いわんや他の同人誌即売会などは、極々限られた人間が参加するものだった。

 70年代後半の萩尾望都・竹宮惠子・大島弓子を中心とした少女まんがブームをきっかけに誕生し、「ヤマト」「ガンダム」を中心としたアニメブームを背景に規模を増やしてきたコミケットにとって、インパクトのある出来事というのは、男性を中心とした<美少女系>と言われるジャンルの成立であろう。コミケットの歴史というのは、スタッフはさておき、サークルも一般参加者も常に女性が過半数を占めているのが誕生以来現在に至るまでの常態であるが、80年代初頭は、男性参加者が過半数を越えたときもあったのである。「ミャアちゃん官能写真集」、「シベール」といった独特の美学をもった本が多くの人気を集めた。意外に気付かれていない事実だか、現在においても、<美少女系>で高い人気を誇っている森野うさぎはこの頃から人気作家であり、十年以上に渡って人気を得ているという唯一の描き手である。
 余談だが、よくふつうの雑誌では、コミケットを椰揄するときに今でも「ロリコン少年の巣窟」的な言い方をするが、これはまったく的外れである。「ロリコン」というのが当たっているのは、この時代のそのまた初期だけである。一般誌の編集の年寄りからみれば、絵の区別がつかないのかもしれないが、今の<美少女系>で「ロリコン」というのが当てはまるサークルはほとんどいないし、数少ないそうしたサークルは意識的に「ロリータ」的なものを選びとって活動している。80年代を通じて、少年まんが、青年まんがの絵柄が大きく変わって、まんがの絵の枠組みそのものが変わってしまったことに<美少女系>も対応しているだけである。<エロ劇画>というものが古くなってしまったのだ。
 しかし、この<第一次美少女系>ブームも80年代前半には終りを迎える。その理由は、描き手が量をこなせず、しかし、いい加減な本をつくって売りさばき、質の低下に読者が離れていったからである。
 <美少女系>の派手な展開の一方で、女の子たちもコンスタントな活動をしている。「ガンダム」以後、女性の支持を二分したのは、「六神合体ゴッドマーズ」と国際映画社の「J9」シリーズのパロディである。のちの<やおい>というスタイルの原型がこの二作品によって形作られるとともに、次のブームを担う作家たちの多くがここに集まっていた。


<すべてはここから始まった>

 八五年秋頃から女の子の間である作品の名前が語られるようになった。「キャプテン翼」である。すべてはここから始まったのだ。
 アマチュアの限界というのは、なかなか長い作品を描くことが出来ないという点にある。しかし、ある程度の長さが無ければ、自分の世界を他人に伝えることは難しい。また、自分でキャラクターを生み出すことそのものの作業も困難が伴う。そこで生まれてきたのは、パロディという手法である。これによって、描き手は知らない世界と新しいキャラクターと初めての物語を説明することなしに作品を生み出すことが出来るようになった。そして、誰もが、描き手になれるようになり、受け手と読み手のボーダーレス化が始まった。「キャプテン翼」というのは、こういうパロディに非常に向いている作品である。個性あるキャラクターが大量に登場していながら、そのグランド外での描写がほとんどなく、女の子のもっとも得意とし最も関心のあるキャラクターの日常が描き手の想像力に委ねられていた。そして、個性あるキャラクターでありながら、キャラクター総体としては個性が弱く、その無名性がパロディを容易にした。

 しかし、この時この場所に集まった人材は、そういう理屈を超越していた。高河ゆん、おおや和美、尾崎南を別格にしても、現在に至るまでの女の子系パロディの中心作家のかなりの部分が「キャプテン翼」パロディ出身者と言って過言ではない。まさにそういう時代であったという他はない。
 これ以後、女の子系パロディを中心にして、同人誌という世界は、第二次ベビーブーム世代の適齢化もあって、一年半で二倍のサークル数にまでなるというハイペースで拡大していった。そして、「キャプテン翼」に続いて「聖闘士星矢」、「鎧伝サムライトルーパー」が女の子系パロディの本流として人気を得ていくのが八〇年代後半の構図である。特に「トルーパー」になると、美形キャラクターの記号化、無個性化が進む。鎧のヒーローとして「聖闘士星矢」の二番煎じのはずが、キャラクター総体の無名性という面から考えれば「キャプテン翼」の後継者は「トルーパー」だったのである。ここにおいて、女の子系パロディは方法論的に成熟することになる。


<拡散した現状>

 と、前章までできわめておおざっぱに八〇年代のコミケットの流れを追ってみた。「トルーパー」ブーム以後、求心力を保つジャンルはなくなり、描き手の方向性の拡散が進行している。九〇年代初頭を扱うこの章では、この最近の動向に従って、ジャンル毎に話をしてみたい。

 [創作系]

 創作オンリー即売会コミティアの活動が実ってきたこともあり、一時期の低迷状態を抜けて、ここ最近わりと好調。だが、もっとレベルの高いところを目指せるはずなのに安易な妥協が目立つ。その中で元気なのは白夜書房や、青磁ビブロス、桜桃書房などの商業誌に刺激されてのJUNE系。今までは<やおい>パロディとは一線を画し、通好みのところがあったが、パロディ作家がオリジナルに取り組むようになった最近は、若い世代の活躍が目立つ。逆に少女まんが系は若手の台頭があまりないのが心配。

 [ゲーム系]

 ここ最近若い世代を中心に着実に数を増やしている。「ドラクエ」、「ファイヤーエンブレム」、「ストリートファイターU」といったところのパロディが人気。しかし、このジャンルが成立して以来の問題だが、他ジャンルの作家の余技の方がプロパーより面白い。元々絵が巧くないからゲーム系、というところがなきにしもあらずなところが弱いところか。

 [FC系]

 「少年ジャンプ」系、小説系を除いて勢いがあまりない。商業誌の不振を反映している。ジャンプ系では「ドラゴンボール」が行列が出来るようなサークルはないが分厚い中堅サークルに支えられて根強い人気。九二年秋以降急速に浮上してきたのは「幽遊白書」と「SLAM DANK」。前者のファンの若さと後者の酸いも甘いも噛み分けたような読者の好対象が笑える。小説系ではそれ迄の菊池秀行・田中芳樹に変わっていわゆるヤングアダルト小説に人気が移ってきている。その中でも「炎の蜃気楼」が人気。キャラクターが似ているせいもあってか、「キャプテン翼」系のサークルを中心に長い列が出来ているが、ピークは過ぎたか。

 [キャプテン翼]

 未だに根強い人気を誇る怪物ジャンル。幅の広さと奥行きの深さでは他の追随を許さない。ブームからかれこれ八年は経とうというのに、未だに新しい作家が出てくるのもすごい。

 [聖闘士星矢]

 最近凋落が著しい。作者の車田正美の個性の強さが災いして、原作の束縛を受けてしまい普遍的なキャラクターになり得なかった点が脆かった。

 [トルーパー]

 一時の浮わついたバブルも崩壊し、他ジャンルとそれほど数的な差はなくなりつつある。しかし、中堅サークルが弱く、大手人気サークルとそれ以外というジャンル構成は、後退期の歯止めを得ることが出来ないでおり、先行き不安。

 [サイバーフォーミュラ]

 ポスト「トルーパー」と見込まれながら、それなりの人気で結局は終わってしまうようだ。要因にはいくつかある。1.時流に遅れまいとする「トルーパー」からのむりやり流入組が多く、良質の同人誌が少なかったこと、2.本放送がブームになる前に終わってしまっていたこと、3.その本放送が最終回を中心に非常に出来のいいアニメであり、それ故にパロディで遊びづらかったこと、4.キャラクター全体としても無名性に欠け、カップリング自体も固定化してしまったこと、等々。女の子のパロディ同人誌におけるバブルの崩壊の後始末をすべて押しつけられてしまった不幸なジャンルと言えよう。

 [その他のアニメ]

 最近の拡散状況を端的に示しているのが、いろいろなアニメのパロディが増えたこと。世の中のアニメの数だけ本がある。そう言って過言ではあるまい。その中でもファンが多いのは「シュラト」、「ワタル」、「グランゾード」「パトレイバー」、「ファイブ・スター・ストーリーズ」、「ライジンオー」、「メタルジャック」。

 [音楽・芸能系]

 邦楽系ではTMN、B’zが中心に拡大傾向が続いている。アイドル系は、光GENJI、SMAP、忍者と、<お約束>のグループが強いが、本家本元のジャニーズ事務所の世代交代がうまくいっていないこともあって最近停滞ぎみ。ここ最近急に増えたのがお笑い系。DOWN TOWN、ウッチャンナンチャンが人気。

 [美少女系]

 八〇年代末からの盛り上がりに水を注したのは、言うまでもなく九一年春の書店販売の同人誌の摘発事件であり、それに続く「有害図書」問題であった。コミケットは、このために、幕張メッセから追放の浮き目に遭う。何が<有害>なのかは曖昧であり、法律の解釈も微妙ではあるけれど、コミケットには警察が来ないという思い込みが、サークルにも、読者にも、主催者にもあったのは事実である。そして、それが無責任に表現をエスカレートさせていたことについては、率直に反省すべき点があるだろう。その後、コミケット準備会は、美少女系同人誌については、当日開場前に事前チェックを行なっており、問題の防止に努力している。
 九一年は、摘発問題の影響もあり、あまり元気がなかったのだが、九二年以降は「セーラームーン」ブーム(後述)もあり、ブームに拍車がかかっている。


<今後の展望−−九〇年代半ばに向けて>

 コミケットでの栄枯盛衰をこう見てみると、女の子のブームと男の子のブームが交互に起こっていることがわかる。そしてちょうど今は、「キャプテン翼」から始まって長きに渡って続いた女の子のブームが終りを迎え、美少女系を中心に再び男の子のブームが始まっているところであろう。商業誌での多くの女性同人誌作家の活動を見るとまだまだ女の子の時代が主流のように見えるが、これは幻想である。なぜなら、プロになるということにどれほど自覚的であるか、甚だ疑問な作家が余りにも多すぎるからだ。同人誌でのアーティスト・プロモーションで核になるファン層を形成し、商業誌の作品プロモーションと連動させるような戦略を持ってプロ活動に望む、という高河ゆんとCLAMPが産んだ、新しい方向性がここには感じられない。パロディ同人誌での手詰り状況の中での生き残りの手段としてのプロ活動で、はたして何か新しいものが生まれるであろうか。

 一方で、男性からも女性からも厚い支持を受け、ここ最近のジャンルの中では最も盛り上がっているのが「美少女戦士セーラームーン」である。男の子に受け入れられる要素は言わずもがなである。男の論理は単純明快で、明るくてエッチで可愛ければまず文句はない。基本的に男の子はキャラクターへの思い入れが女の子ほど激しくないのが特徴である。しかし、なぜゆえにこれほどまでに多くの女の子が「セーラームーン」で盛り上がっているのであろうか。
 それには三つの理由が考えられる。ひとつには、拡散と消費の結果、いわゆる<やおい>という表現が疲労を起こしてることが挙げられる。つまりは、<やおい>的なものに飽きがきていて、女の子の眼には「セーラームーン」が新鮮に映ったのだ。そして、基本キャラクターは全員女性、タキシード仮面は<受>キャラ、敵方も生殖能力に疑問がありそうなエキセントリックなキャラクターと、女の子なら本来的に自覚せざるを得ない<性>の問題を<やおい>という手法を使わなくても回避できる点が、偶然にしろひたすらに都合がいい。そして、なんといってもこれに尽きるのだが最後の理由として挙げたいのは、個々の五人のキャラクターは、それぞれに可愛らしく個性豊かに描かれているが、彼女たち全員をみると総体としての個性に乏しい点である。この全体としての個性の弱さは、与えられたキャラクターの性格を自分流に消化して付加価値を付けて再構築するのに非常に適している。さて、賢明な読者ならこれでおわかりであろう。このキャラクターのあり方は、「キャプテン翼」、「サムライトルーパー」と続く女の子パロディの王道なのである。ポスト「トルーパー」を求めての九〇年代初頭の混迷は、思いもかけないオチがついてしまった。

 しかし、一方で<やおいアニパロ>という枠組み自体の弱体化に歯止めはかかっていない。ひとしきり美少女系を中心とした男の子のブームの後でさらに再び女の子の時代を迎えるであろうが、それはまだ先の話であるし、その時代が訪れるためには、今とは違ったシステムが構築されなければならない。最近の中学生を中心とした「幽遊白書」の人気ぶりは、筆者が齢を重ねたからだけでは言い表せない未熟さと新しさが同居しているように思われる。もはや、「キャプテン翼」が、歴史である(だって、そのブームの時、彼女たちは、ランドセルをしょっているのだから)。知らないということは、危険である一方で、また武器にもなり得る。この世代が二十歳をすぎて描くまんがとつくり出すであろうシステムはいったいどうなるのであろうか。今はまだその兆しだけが微かに晴海の海に輝いている…。
 かつての転換期と今の転換期が大きく異なるのは、メディア化したまんが同人誌というマーケットの大きさとその大きさがもたらした新しい力学であろう。パロディというのは、原作があればこそパロディなのに、今やまんが同人誌の世界では、パロディが自立し、パロディがパロディを再生産していく。それどころか、パロディの市場性の高さは、原作にフィードバックされ、原作にパロディが影響を及ぼす。こうなると、いったい誰が受け手で誰か送り手なのか、原作を含めてその境界がなくなっていく。高度に発達した資本主義市場のシステムのミニチュアがここに生まれたわけである。こんなミニチュアが面白くないわけがないわけで、極論してしまえば、現在の同人誌の楽しみというのは、本でも、即売会のお祭騒ぎでもなく、このシステムそのものなのだとさえ言える。コミックマーケットが二〇万人もの人間を集めるのは、そういうわけなのだ。
 読者のあなたは、いったいどんな人であろうか。描き手だろうか、読み手だろうか。それは、何だって構わない。あなたは、このシステムの中で、あなたにとって最良のポジションを得られる可能性を常に持っている。
 さあ、いざ、夢の世界へ…。

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