11/13 (Thu) Biondi-Santi



陽が登る前に目が醒めた。
窓から外を眺めるがまだ暗い。窓は小高い丘の上にあるモンタルチーノの
町から下を見下ろす向きに開いていて、とても眺めがよい。

陽が登ってくるにつれて、北の方に低くたまっていたガスが 次第に南へと移動してくる。ガスはゆっくりと、まるで 生きているかのように小さな丘や点在する家々を飲み込んでいった。

雲海の sequence

モンタルチーノの下の丘陵地帯はすっかり真っ白いガスの波に 飲み込まれてしまい、この町だけがぽっかりと白い海に 浮かんでいる。昇ってきた太陽はこの町だけに降り注いでいる。

あたり一面が真っ白になるまで、2時間といったところだったろうか。 その間我々はかわるがわる窓から身を乗り出して写真を撮りまくっていた。

雲海

雲海

Biondi-Santi 訪問のアポイントを9:00に取っていたので、 近くのバールでコーヒーだけ飲んで、ホテルのおにいちゃんに ワイナリーの場所を聞いて早速出発。街の中心からは約10分で到着。

道路脇に "←GREPPO" という標識と Biondi-Santi のエンブレムの入った ごく目立たない 看板 が立っている。 GREPPOを目指せと聞いていなければ、素通りしてしまっただろう。

道路から先は細い砂利道が伸びていて、糸杉の並木が奥まで続いている。 200mほどの道を抜けるとワイナリーに着いたのだが、 看板も何もなく、どこから入っていったらいいのかわからない。

車を止めて、どうしたものかなとうろうろしていると、恰幅の良い 白髪混じりの50代後半かというおじさんがダックスフンド連れで やってきて、白川さんかね?と聞かれて、そうっす、と答える。

五代目の御当主 Franco Biondi Santi さんではなく、娘婿 (とどこかの雑誌で読んだ気がする)の Ferdinando Miceli di Sarradileo さんであった。(名前は聞いたんだが早口で全然聞き取れず、 アポ取りのfaxによる(^^;;)

さっそくワイナリーの方へ案内してもらう。 途中にガレージがあってシトロエンSM がいた。 おお。スーパーカーだ。動くのか。(^^;;

樽やタンクが並ぶ醸造所へ案内される。ここで簡単に Biondi-Santi の 歴史などのレクチャーを受ける。

Biondi-Santiというのは、初代クレメンテ・サンティと彼の娘婿だった ヤコポ・ビオンディから来ているもので、現在のエンブレムは 両家のエンブレムを半分ずつうけついだものだということ。

ブルネッロはサンジョヴェーゼの突然変異で大きい果実をつけたもの (サンジョヴェーゼ・グロッソ)を選んで品種改良していったものである。

ここでは現在4種類のワインを作っている。Rosso di Montalcino (Yellow label, Gray label), Brunello di Montalcino (Annata, Reserva)である。

黄色ラベルのロッソは10(15?)年以下の若い樹から取れた果実で作る、 アナータはそれ以上の古い樹から取れた果実で作るが、葡萄の作柄が ブルネッロを作るのに値しないと判断した時には灰色ラベルのロッソになり、 その年はブルネッロは作らない。ブルネッロの中でも特に良い年にだけ リゼルバを作る。

樽で3年、ボトルで2年寝かせるので、現在手に入る最新のヴィンテージは 92年のはずだが、92年は葡萄の出来が悪く、ブルネッロを作らなかったので、 今手に入る最新のビンテージは91年である。

我々のワインがなぜそれほど優れているかといえば、土壌と micro climate によるところが大きい。今日もそうだが、 我々の畑のあたりは下に立ちこめているガスの影響を受けない。 また、最近では丘の向こう側の方にもいくつかワイナリーができているが、 そこともまた micro climate が違うのだ、としきりに ミクロクリマの違いを強調していた。

てな話はこのへんで早速試飲しましょう、ということで隣の部屋へ。 ここにもタンクが並んでいる。

ロッソとブルネッロの試飲用のボトルはすでに開栓されて どちらも半分ぐらいなくなっていた。 昨日の客が試飲したものの続きか、大丈夫か、と思いつつ 我々三人にテイスティンググラスを渡してくれた。

最初にグラスをワインで洗ってから黄色ラベルのロッソを飲む。 やはり若々しいワインだがうわついたところがなくとてもおいしい。 この92は家で飲んだのだがとてもおいしかった。

続いてブルネッロへ。

ブルネッロを飲む時は、8時間前に抜栓して一杯グラスに取り、 瓶の中でワインが空気に触れる面積を増やしてあげなさい。 デキャンタを使ってはいけない。急速にワインを空気と 触れさせると、眠っていたワインを叩きおこして大事な何かを 失わせてしまう。

国際的なテイスティング会のようなものがあるのだが、そこでは 早くても2時間前にしか抜栓しないので、うちではそういう イベントには出品しないようにしている、とのこと。

まだ朝で気温が低いから、手で少し温めて飲みなさい、と言われて 飲んでみるとこれがまーおいしい。香と味の深みが全然違う。 要らなかったら捨てるから:-) なんて言われても誰が残すもんか。

朝からこんなおいしいもの飲んでていいのかと思いつつ試飲終了して さらに奥へ。そこではおばちゃんが瓶詰めされたオリーブオイルの ラベリングとシールキャップをやっていた。

さらにその奥には樽と発酵用のタンクが並んでいた。 樽で熟成中のワインは樽むらがでないように定期的に樽を移し変える のだそうだ。そのため樽には識別用のラベルをつけているとのこと。

樽はフレンチオークではなくズラバーニャ(と聞こえた)のオークを 使うとのこと。スロベニア?と聞いたら、どこぞの北部のズラバーニャ、 なんたらかんたらと言っていたがどこだろう。

新樽は一切使わない。現在も100年前の樽を使っている。 一番新しいものでも約20年以上前のものだ。

これで一応一通り見学終了ということで、最初の部屋に戻って 少し話をする。

3年以上前まではツアー客が多かったが最近は我々のような2,3人の 個人旅行の客が増えている、と言ってゲストブックを見せて もらった。日本人の名前もちらほら見かけるが、世界各国から 来ているようで、ワイン関係の職業らしき名刺がわりと多く 貼ってあるのが目についた。

我々もゲストブックに記帳。たまたま名刺を持っていたので 貼ってもらう。名刺をもっているならなぜ昨日渡さない>おれ

じゃあ、オフィスへ行きましょう、と歩く道すがらまたあれこれ 聞いてみる。

ここでは何人ぐらい働いているんですか?
大体10人かな。
収穫の時は?
場合にもよるが、全部で20-30人といったところだろうか。
大体どのぐらいの期間で葡萄を収穫するんですか?
それは何人働いているかによって変わってくるが、10日から2週間 といったところだろうか、人を確保するのが難しいんだ。

とのこと。来年誰か行ってアルバイトするとぐうかもっす。

狭いオフィスに入るとワインその他のプライスリストを渡して くれた。また、各国語の雑誌のコピーが数種類あり、日本語の Vinotheque 95年1月号、Biondi-Santi のヒストリーと 100年のワインの垂直試飲記事が載っている。

リストを眺めると、Rosso 1992, Annata 1991, 1987 以外は リゼルバだった。1964はあったのだが10万円近い値段がついている… もうちょっと安かったらちょっと奮発して買ってもいいかと 思っていたのだが、この値段ではきっぱり諦めがついた。

で、何を買ったかというとオリーブオイル(^^;;
ワインと同じ750mlボトルで、ラベルつきの化粧箱に入っている。 1998年一杯で使い切るのが望ましいと書いてあるので、 けちけちせずに使ってしまおう(^^;;

石田さんはオリーブオイルをみた途端にどこか切れたようで、 いきなりオイル2本、そして考えた末にアナータ91を買っていた。 カードも使えるよ:-)てのが効いたかな。

大体1時間強の訪問ではあったのだが、随分懇切丁寧に説明して くれてちょっと感動した。ワインもろくに買わず油に目の色変える ような連中のために…

外に出ると丘の下のガスはまだ晴れない。糸杉の並木を抜けて帰ろうと すると、別の車がやってきた。VRナンバーだからヴェローナか、 観光客なのかな…

敷地入口で記念撮影をして街へ戻る。 要塞の駐車場に車を止めて中のエノテカへ。 昨日は雨の中18:00にモンタルチーノにたどり着き、まだ開いている だろうと思って入ろうとした瞬間に扉が閉まってしまったので、 今日はその雪辱戦である。

中は前回と変わらずブルネッロだらけ。 Gaja の Rennina '90 なんかは結構良い値がついていた。

カウンターでチケットを買って要塞の上にあがる。 要塞はホームベース状の五角形でその内部は中庭になっている。 エノテカのある小さな建物から階段を上がり、外周部の壁の上を 一周できるようになっている。

丘の下のガスはまだ晴れる気配を見せない。その上の青空と街並との コントラストがなんともいえず美しい。

モンタルチーノの街並と雲海

Fiat500

結局ここではなにも買わず、街をぶらぶら歩くことにする。 買い物モードONになった石田さんはあちこちでワインやら グラッパやら買い求め、この日だけで酒だけで3,4本買っていた。 私もワインとグラッパを1本ずつ買った。

そうこうするうちお昼過ぎになる。 まだ12時30分になるかならないかなので、まだ早いが、腹も減ったし まあいいか、と前回休みでいけなかった Trattoria Sciameへ。

びっくりしたことにすでに結構な数の客がいる。入口近くに ガテンな三人組、奥中央にこれまたガテンなおっちゃん 5,6名、 他にも2,3組客がいて、空いている席の方が少ない。 それも結構食事が進んでいる。

おお、何事にも例外はあるのね。 ガテンな人々飯食うの早いの法則かしら。

ここでもまた前菜にハムサラミの盛り合わせを頼み、私は 猪のラグーのパッパルデッレ(2cmぐらいの太さの手打ちパスタ)に、 牛のステーキ、ブルネッロソースだった。

もうちょっと冒険すればよかったかなあ。 味は可もなく不可もなく、結構いけてるが、これだー、 とまではいかなかった。パッパルデッレはうまかったな。

ハイネックのセーター、黒いミニスカートに黒いストッキングと 妙に派手な格好をしたベット・ミドラーみたいなおばちゃんが 一人でサービスをしている。しましまいわく、ガテンなおっちゃんの 多い店のおばちゃんて、なんでこう若造りなんやろな〜。 ううむ、言われてみれば洋の東西を問わずそのとおりだ。

そうこうするうちおばちゃんの娘らしき13,4歳ぐらいの女の子が 帰ってきて手伝いを始める。おお、かわいいけど、このまま 食べ続けたらそろそろ危ないぞ、つーか。

少ししたら彼女は空いたテーブルで宿題だかなんだか知らないが ノートを広げてやっていた(^^;;

何を食べたか忘れたがデザートまで食べて、派手なおばちゃんの 店を後にする。モンタルチーノの町も一回りしちゃったから、 どうしよう、どっかいきましょうか。モンテプルチアーノでも 行ってみますか、と走り出す。

14:00ぐらいになるとさすがにガスは晴れて、丘の下まで 降りても視界は開けていた。

途中何の意味もなく景色がきれいそうだったので、ピエンツァと いう町に寄る。ここもモンタルチーノほどではないが小高い 丘の上にある。静かな田舎町だったが、アメリカ人観光客だけは どこにでもいるのね。

ぶらぶらウィンドウショッピングをしながら、エノテカを覗いて いたら、おばちゃんが中から手招きをするので、入ってみると、 今年の新酒があるけど、試飲しない?というので、タダという 言葉に弱いわれわれはワインのみならずチーズ(ペコリーノ・ トスカーノ)の試食までしたのだった。

さすがにそうなると何か買わないとあかんかなと思うのが 敵の思う壷で、しっかりはまって猪のサラミなど皆それぞれ お土産を買っていた。うーむ、商売上手やのー、おばちゃん。

どう見てもここ一ヵ月は放っとかれてるだろうシトロエンDSを 横目に見ながらモンテプルチアーノへ。

モンテプルチアーノ郊外の 教会 が 夕陽に映えてきれいだった。 町の下にある駐車場に車を止めて歩いて登ることにした。 登って行くうちに陽が落ちて段々暗くなっていく。

ガイドも持たないので、特に観光名所も気にせずただぶらぶらと 歩く。商店街は学校帰りらしき学生や仕事帰りらしき勤め人が 多くさっきのピエンツァよりはずいぶんにぎやかだが、 どことなく寂しい印象は否めない。

結局ここでは何もせずにただぶらぶら歩いて帰ることにした。 すっかり陽は落ちて真っ暗になった。満月に近い月が昇って きている。月の光に照らされたトスカーナの丘陵地帯も なかなか良いものだ。

朝からマリア・カラスのテープをかけながら運転している私は すっかりノリノリでまだまだ2時間でも3時間でも寄り道して ドライブしていたいのだが、へろへろなサスペンションの 車の後席に座らせられた石田さんは気持ち悪くなりかけと いうことでおとなしく帰る。運転下手ですまんす。

少し休んで今夜もホテルのレストランで食べることにした。 私と石田さんが豆のスープと重いものを食べる。 セコンドはまたも兎だが、今日はフリットにした。

ワインはせっかくですから、ということでブルネッロを頼む。 造り手、年号は失念。 おっちゃんが昨夜隣の客にやっていたようにグラスを洗ってから ワインをサービスしてくれる。

リストから選んだら、ちょっと待て、と言われたので、なにかと 思って待っていると、おっちゃんは外に出ていき、近くの店で 買ってきたのだろうか、ワインを持って帰ってきて、 それをサービスしてくれた。
#これは前夜の2本目だったかな、まあどうでもいいが。

無いなら無いと言ってくれればいいのに、こんなところに 観光客が多いながらも素朴な田舎っぽさを見たというか。

しかしどういうわけだか知らないが、今夜は食が進まない。 味が悪いわけでもなし量が多すぎるわけでもなし、 豆のスープは半分ほど残してしまった。

兎のフリットも小さい鶏の唐揚げぐらいの大きさのものが 5,6個更に乗っている程度で普段だったら楽勝なのだが、 必死になってなんとか詰め込んだというところ。 これでは味がどうこうというどころのさわぎではない。

部屋に戻ってとっとと寝る。右側通行の運転が心配な しましまは練習と称して夜のドライブにでかけていった。

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text and photo: nigel@st.rim.or.jp