11/11(Tue) 蝋人形



ずいぶん早く、5時か6時頃目が醒めた。まだ外は暗い。
緯度の関係もあってか明るくなるのは7時を過ぎてからだ。
シャワーを浴び、着替えてからホテルで朝食をとる。

パンとカプチーノ、オレンジジュースだが、ピッチャーから 注ぐこのジュースが薄い。今はなき粉末ジュースみたいな味だ。(-_-;;

ピッチャーの下のほうに半分ぐらい沈殿して濃い層があるが、
混ぜても大して変わらない。

飯を食べてでかける。雨は夜のうちに上がっているが、 すっきりと晴れ上がるというわけにはいかないようだ。 ドゥオモ〜ポンテベッキオ〜ピッティ宮と歩いていく。 まだ8時半すぎでポンテベッキオの上の土産物屋(というか金銀の 細工屋)も開いていない。そういえば何度か通ったけど、店が あいてる時間に通ったことのほうが少ないな。(^^;;

ピッティ宮を過ぎて少し歩くと道は急に細くなる。 その左手に中高生ぐらいの女の子たちがたむろしている場所があり、 よく見るとそこがラ・スペコラの入口だった。

現在はフィレンツェ大学動植物科付属の動物学博物館(Museo Zoologico) となっているが、もともとここには天文台があったことからこう 呼ばれているそうだ。

母体はメディチ家の遺産である鉱物、動物標本、科学器具などを集めて 1755年に開設された『物理自然史博物館』である。 そして現在ここが有名なのは約600にも及ぶ人体解剖模型の展示が あるからだ。

9時の開館まではまだ5分ほど間があるので向かいのキャンドル屋の ディスプレイなど見て時間をつぶす。蛙やらアヒルやらいろんな形の キャンドルがならんでいて見ていて楽しい。

そうこうするうち女の子たちが中に入って行くので我々も後ろからついていく。 入口近くに窓口があるので、ここで券を買うのかと思ったらもっと 先だった。駐車場となっている中庭を抜けて階段を三階(日本的表現)まで 上がると入口がある。途中の廊下には掲示板にあれこれ掲示があって いかにも大学といった雰囲気だ。(読めないけど)

良く聞いていると女の子たちは英語を話している。アメリカ人の 修学旅行なのか?アメリカにそんなのあるのか?中にはプラダなど持っている ねーちゃんもいて、こーゆーのわ洋の東西を問わんのー、と思いつつ 彼女たちが中に入って行ったので、我々もチケットを買う。

入口がミュージアムショップになっていてTシャツやら帽子やら絵葉書など あれこれ売っている。ショップまであるとは思わなかった。

彼女たちはジャック・ヴィルヌーヴにちょっと似たガイドのおにいちゃんの 説明を受けている。おにいちゃんはきれいな緑のジャケットを着ている のだが、それが嫌味にならずとても似合っていてうらやましいなあと思う。

一緒にくっついて説明を聞くのもいいがうっとおしくなりそうなので先にいく。 最初は昆虫や海老蟹類の標本が並ぶ。寄生虫もしっかりいた。 次は動物、鳥、魚類の剥製が数百から数千と何十室にもわたって展示 されている。世界各国から集められているもので、良く見ると日本の ものもあった。メディチ家の人々がこれらを眺めていたのだろうか。

猿の展示室には人が入れるケースがあって、そこに入ると上の蛍光灯が つくようになっている。そして足元には、「Man 1947〜」と札が。 てなわけで私もしっかり展示されてきたっすしくしく。

いいかげん食傷気味になりながら見ていると、後ろから数人の 女の子たちが追い越していく。そりゃそーだ、若い女の子がこんな 剥製ばっかり見て面白いわけはないよなと思いつついよいよ 解剖模型の部屋へ。

最初の部屋に三人の少女がいた。 そのまわりを各臓器の模型が取り囲んでいる。 解剖模型は運ばれてきた死体(この時点で腕や頭などに分けられている そうだ)から直接型取りして作ったそうだが、全身模型の場合は実際に生きた モデルにポーズを取らせながら作成したそうだ。

彼女たちは微妙に体をくねらせ、目を開き、口元はほんの少し笑みを うかべているかのようだ。ほほや肌にはほんのりと赤みが差している。 その顔をじっと見つめていると吸い込まれてしまうかのようだ…

venus

ただ一つ尋常でないのは彼女たちの腹は裂かれて内臓がでろんと 飛び出していることだけだ。

三人はそれぞれ少しずつ異なったポーズを取っている。 真ん中の少女は三つ編みにした金髪(もちろん死体から取ったそうだ)を 肩の前で撫でている。ポーズがそれぞれ違うのと同様に、飛び出している 内臓もそれぞれ違っている。

彼女たちは一体ずつガラスケースに入れられて横たえられている。 ケースには各国語に混じって日本語でも「もたれかからないで下さい」の 表示がある。それがかろうじて理性を踏みとどまらせたが、 ケースがなければ倒れ込んで抱きしめてしまいたい…

いつまでも見つめ合っていたかったが我に帰って他の部屋へ。 CTスキャンのように脳の断面を少しずつ違う高さで切って見せた いくつもの人の頭部。皮を剥ぎ取られて全身の血管を浮き出させた男。 全身のいろんな部分が微に入り細に入り模型化されている。

全身の筋肉模型の男が上から不気味にこちらを見下ろしている脇では 腕の筋肉模型を熱心に模写している20才ぐらいの女性がいた。 医学生なのだろうか、それとも美術学校の学生なのだろうか…

さらに奥には妊婦の間とイタリアでの解剖模型の先駆者ともいうべき ガエターノ・ズンボの間がある。妊婦の間は妊婦の生殖器、子宮および 胎児の模型がこれでもかと並んでいる。 やはりその中心に一人の16歳の少女が横たわっている。

『こうしたリヴィング・デッドの中でもとりわけ愛好家の多いのは、 妊婦の間の少女の全身模型、俗に『解体されたヴィーナス』と呼ばれる ものである。同じフィレンツェにあるボッティチェッリのヴィーナスを 連想させるせいか。(略)肌合いも表情もみごとに生きた人間のようで いながら、可哀想なヴィーナスは解体可能に作られている。 皮膚にあたる蓋を開けると、さらに白っぽい腸がパカリと外れ、 内臓も一つ一つがパーツで取り出せるようになっていて、最後に子宮の 蓋を開けると胎児がうずくまっている。』(バロック・アナトミア 亀津奈穂子)

でも個人的には三人並んだ少女の右側の子が一番かわいい(以下省略)

他の部屋よりも比較的狭いズンボの間には4つの死の劇場と名付けられた 小さいジオラマ、「人生の栄光の虚しさ」「時の凱旋」「ペスト」 「梅毒」が四隅に飾られ、中心には「若い男の頭部」がある。 これだけが人間の頭蓋骨に肉付けされたものだそうだ。

非常に立ち去り難いものを感じつつも結局一時間ほどで博物館を出る。 入り口のミュージアムショップで解剖模型の絵葉書を数枚購入。 誰かに出したいような出したくないような(^^;;

またフィレンツェに来ることがあったら立ち寄るだろう、きっと。 たとえ新婚旅行であっても(そしたら成田離婚かしら)。

そういえば話は全然関係ないが、及川哲也というひとがイタリアの 墓地の墓碑彫刻を撮り集めた写真展というのを以前見たことが あるのだが、やはりそこに感じられるのは過剰なエロティシズムとでも いうべきものであって(まあ写真の場合は撮影者の視点が多大に反映 されるのだが)、イタリアつーのは伝統的にそういう土地柄なのかしらと 思ったり思わなかったりする今日この頃であった。 そうだ、お墓ツアーもやらなくちゃ…

1994年当時ではひっそりと目立たないと書かれていたが、現在は 大きな緑の垂れ幕があるのでだれでもみつけられるだろう。

Museo Zoologico "LA SPECOLA" dell'Universita a Firenze
Via Romana 17
9:00-12:00 (Sunday -13:00) 水、祝日休
入場料 大人6000リラ

まだ昼には時間があるので、ボボリ庭園を散策する。 川向こうの高台からフィレンツェ市街を眺めようという魂胆。 市内中心部の喧騒がうそであるかのように落ち着いた雰囲気であるが ピッティ宮の改修工事などで入口付近ががたがたしているのがちと残念。

オリーブ採りのおっちゃん

陶器博物館まで登っていく。中にはマイセンやらいろいろな陶器の コレクションが収められている。とても美しいなあ、ほしいなあと 思ったが、皿に見合う料理を作れるかというととても疑問だったりしち。

なんかのTV番組でタレントがおいしそうな料理を食べていたらしい カフェハウス(Kaffeehaus、なぜドイツ語なんだろう)を覗いてみるが、 普通のバールで大した料理はない。だがテラスからの ドゥオモ方面の眺めは最高。

さらに出口方面に下ってグロッタグランデへ。

『<グロッタ>とは人工洞窟を意味し、タイルや岩や貝殻を用いた奇怪な 連続装飾を施してある空間を指す。古くは、洞窟や鍾乳洞の多い 北イタリア地方で発達した庭園の装飾様式であった。わざわざ庭の 一隅に人工の洞窟をつくり、そこに水を引きこんで海底の世界を イメージさせたり、あるいは鍾乳石を配置して地下の地獄を イメージさせたりした。』(ヨーロッパホラー紀行ガイド、荒俣宏)

グロッタという言葉がグロテスクの語源となるのだが、ここ グロッタグランデは改修中であった。残念無念。

お昼近くになったので、市内中央へもどりつつ、飯屋を探す。 そういえばこのへんで、庶民風な飯を食わせる店があると雑誌に 出ていたなと思いつつ、ポンテベッキオを渡らず、川沿いに サンタトリニタ橋方面へ。

サンタトリニタ橋手前の店の前で足が止まる。メニューには 白トリュフのタリオリーニの文字が。うーん、雑誌に乗ってた 店とは違うよなあ、庶民ぽい店で白トリュフが出るとは思えん… と思いつつも白トリュフにひかれ満場一致でこの店に決定。

12:30頃とはいえ、相変わらずイタリア人の昼飯の出足は遅く、 店内にはまだ誰もいなかった。前菜に生ハム1、白トリュフの タリオリーニ3、私は脳味噌と花。後は何だか忘れた。 花って何だ?と思いつつオーダー。

石田さんがトイレに立って戻ってくる。

「なんか変なモン見てもうた。」
「なに?」
「JCBのマークの入った『御予約席』ちゅう札があったっす。(-_-;;」
「うーむ…そういやウェイターのおっちゃんも、
  片言の日本語なんか使って妙になれなれしかったしなあ…」

そうこうするうちパスタが運ばれてくる。 ううう、香りがたまりましぇーん。 全員無口になってパスタをかきこむ。 でも、もうちょっと麺の塩味が強いほうがよかったなあ。

そうこうするうちに店は段々混んでくる。どっかの日本人駐在員ぽい 中年男性一人の客や、アメリカ人観光客以外のイタリア人の客層を 見てみると、ずいぶんおしゃれな客が多く、どちらかというと 高級店というかスノッブぽい客が多い店みたいだ。

隣にはエグゼクティブぽい服装の(適切な表現がみつからん) 中年女性が一人で座っている。 彼女も白トリュフのパスタを頼んでいるが、良くみると麺の量が 我々の1.5倍程度はある。うーむ…手加減されたか… しかしトリュフの量はそんなに手加減されなかったようでまあいいか。

脳味噌はフリットで出てきた。花、はズッキーニの花のフリットで、 (この時期にあるのかとびっくりしたが、翌日中央市場に行ってみると 結構みかけた)花の中の詰め物はなし。どちらも美味。うまい!

デザートまで食って(なんだっけ)お腹一杯になって会計を頼むと、 あろうことかおっちゃんは人さし指を交差させて×印を作ってにっこり、

『オ・カ・ン・ジョ・ウ・ねー!』

誰だ、このオヤジにこんなの教えたのは…

オカンジョウおやじの店を出てすぐの角にある八百屋で しましまが苺を一パック買ってつまんでいる。 まだ食うか。(-_-;;

しかしそれほどうまくなかったそうだ。

サンタトリニタ橋を渡って駅方向へ。 橋を渡った通りの両側にはフェラガモやらグッチやらの 高級ブランド店が立ち並んでいる。

石田さんは出発直前に履いている靴がへろへろなのに気付いて 靴を欲しがっていたし、私もおフランスで星つきレストランに 行くというので革靴が欲しかったからとりあえずフェラガモへ。

2年前のようにそれほどアジア系観光客でごったがえしている風でも なかったのでちょっとびっくり。

石田さんは気に入ったのがあったようで試し履きしているが、 私はどうもイマイチだったので諦めた。 しましまは日本人のおねーちゃん相手にスカーフの争奪戦を 繰り広げていたようだ。買物の醍醐味つーか。(^^;;

二人とも買い物を済ませてとりあえずホテルに物を置きに帰り、 一休みした後再度街へ出る。夕方になったのでだいぶ暗くなっている。 靴が欲しいのでウィンドウをまめにチェックしているのだが、 どうもこれという靴が見当たらない。

デパートでシャツを買ったり、頼まれたお土産を買ったりして 中心部をぶらぶらしていると突然、雷と共に激しい雨が降りだした。 慌ててバールの軒先で雨宿りする。

路上でぱちもんのバッグや安っぽい玩具を売っているような 黒人が折り畳み傘をもって、いらんかえ〜?と何度も通り過ぎるが、 私と石田さんは傘は持っている(が、ホテルに置いてある(-_-;;)ので 意地でも買うものかと無視している。

小やみになったので、サンタクローチェ教会の方へ向かおうとすると また突然雨が強くなった。こんなに天候が不順なのは初めてだ。

しょうがないのでヴェッキオ宮で雨宿りする。とはいえ上まで 登ったわけではなく、下のミュージアムショップでぶらぶら していただけ。

雨が止みかけたので再度サンタクローチェ教会方面へ。 特に何かを見たいわけでもないが、歩いたことがない道だし、 夕食を食べる店の当たりをつけたいというだけで歩いて行くと また激しい雨が。勉強しない人達だつーか。>われわれ

裏道のさびれたバール兼乾物屋に飛び込んで翌朝用の水など買う。 石田さんはなんとかいうベルギーだかオランダのビールを買っていた。 とりあえずサンタクローチェ教会の前まで行ったが、雨でゆっくり 見物というわけにもいかず、足早にホテルへ戻る。

ホテルで雨が止むまで時間を潰し、雨が止んだのを見計らって 夕食を食べに出る。とりあえずプランもなく、サンタトリニタ橋方面へ。

どうもいい店がないな〜と思いながら歩いていると、目の前には 懐かしいあの店が(笑)。かつて態度悪いにーちゃんにみんなで むかついた IL LATINI である。20時過ぎていたのですでに満員、 店の中には十数人待っている客がいる。

「店員はむかついたけど、味は良かったすよ。」

「でも、待たされるのやだから、他にしよう。」
ということで今回はパス。

川を渡ってオルトラルノへ。なんとなく、中心から外れて じもちー中心の安いトラットリアを探したいなーと歩いていると なんとなくそれっぽい店があった。

値段も昼に比べるとだいぶ安い。 まあいいか、てなところで入る。 地元民ばかりかと思ったがそうでもなく、観光客ぽい人もいる。

前菜にハムやらサラミ類を一つ、私はミネストラインブロード、 石田さんがミネストローネ、しましまがポレンタ(だったか?)と それぞれちょっと怖そうなプリモを頼む。

セコンドには、zampetto なんちゃらとかいうのが あったので、なにこれ?ときくとおねーちゃんはアキレス腱 のあたりを指すので、んじゃ、それでいいっす、と頼む。

この時点で私の頭の中にはアキレス腱のトマト煮込みというか オッソブーコ風な煮込み物が頭にあったのだがそれが全ての 間違いの元であった。しかしあと二人ののセコンドはなんだったか、 すっかり思い出せない。

ミネストラインブロードは細めのパスタを2,3cmに切った ものがコンソメに入ってるという程度のものでかなり楽だった。 ポレンタちょっともらったけどうまかったなあ。

とりあえずプリモは全員無事にやりすごしてセコンドへ。 zampetto と言われて出てきたのを見たら、30cmぐらいの ゼラチン質を白くゆでただけのものがでーんと皿の上に 鎮座ましましている。

うううううう。勘弁してくりっす。私が悪うございましたと 半分も食べないうちに早くも泣きが入ってギブアップ。 多分ブロードで煮込んでいるので味はいいんだけど、 さすがにゼラチンは量は食えないっす。

後日、帰国したその日に平野邸で宴会があってその話をしたら、 さっそく仕込んでいた豚皮のトマト煮込みを出されたつーか。 でもあれ一切れなら楽勝っすよ、楽勝。あれトマト味なしで 全部食えつーたら泣きっすよ泣きつーか。

うちひしがれて店を出る。 腹がいっぱいで入らないというより、喉を通らないと言ったほうが 正しいか。ホテル近くの本屋で車雑誌を買って昨夜と同じ バールへ入る。

アマロが飲みたかったので FERNET BLANCA を頼んだらあろうことか おやじが MENTA(メンソール)をよこしやがって、口の中が スースーになってしまった。うううう、踏んだり蹴ったりとは まさにこのことだと思いつつ就寝。

明日はフィレンツェを発ってシエナを経てモンタルチーノへ。 天気回復しないかなあ。雨の中を走るのはいやだなあ。

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text and photo: nigel@st.rim.or.jp