11/19 (Sun) "The longest day"


10:30 頃某管理職の ())) な車で厚木を出発する。当初の予定は、

AZ785 12:20 NRT - MXP(Milano) 経由 - FCO (Roma)
AZ3864 20:35 FCO - Firenze (3letter code なんだっけ)

で、当日中にフィレンツェまで乗り継ぎする予定であったから、 本当はこんなところにいる場合ではないのだ。

17日の夕方、会社に旅行代理店から電話がかかってきて、前日にローマを 出発する便(すなわち折り返して我々が乗る便だ)が機材不備のため 5時間出発が遅れるという。したがって我々の便も5時間遅れるそうである。

そうするとミラノに着くのが22時、ローマに至っては0時である。 当然当日中の乗り継ぎなどできないわけで、アリタリアが、ローマに宿を 取るか、ミラノで降りてバスでフィレンツェまで送るかどちらかだという。

その後再度電話がかかってきて、結局後者だとのこと。 ミラノからフィレンツェまで4時間はかかるらしい。(-_-;;
フィレンツェ到着は午前2時か。 さすがアリタリア、珍道中はもう約束されたようなものである。

そうこうしているうちに飛行機は出発し、つまらない映画とまずい機内食に 耐えつつミラノにほぼ定刻の 22:10 に到着。

アリタリアのカウンターの前で日本人職員の人から説明を受ける。 こういう時には日本語はありがたい。ホテル側にも到着の遅れを連絡して くれるとのこと。結局フィレンツェまでの乗り継ぎする人は我々を含め11名。

当初はそれぞれのホテルまでバスで送ってくれると言っていたが、運ちゃん (60ぐらいのじいちゃんだ)が、俺フィレンツェしらねえよ、とのことで、 駅の近くの別の人が泊まるホテルの前まで行って、そこから各自、という ことになった。我々は近いので歩いて行けるが、タクシーがいる人には呼んで おいてくれるらしい。

そこで50位の夫婦がいきなり、リラ持ってない、と言い出す。 ばかっすばかっすばかっす。10時に着いたらいくら何でも両替所くらい 閉まってることぐらいわかるだろうに。成田でかえとけっつーの。ばかばか。

そんなこんなでバスが出発したのは23:30。 機内でほとんど寝ていなかったのにもかかわらず眠くならない。 あこがれのアウトスタラーダ走っているんだもん、寝ろというのが無理だって。 という私を横目に某管理職はさっさと寝ている。機内でも寝まくり。 これ以後も寝まくり。普段お疲れなのねーちゅうか。

窓から突然 Alfa Romeo のでかい看板が。あれが本社だ。見に行くぞ。 あっ、この瞬間が Alfa Romeo だね、(c)大沢さん ちゅうか。(^^;;

なんせ普通の観光バスに11人である。やりたい放題。 ちょっと眠くなったので1列4人分占領して(ほんとに)横になってちょっと眠る。

ボローニャの手前のSAでトイレ休憩。 トイレは売店の中である。ついでに売店で地図を買ってくる。 日本ではなかなか外国のロードマップは手に入らないので、現地で買うつもり であった。

そうこうするうち、ボローニャをすぎて山岳セクションへ。 バスは今までの直線区間をチンタラ走ってたのとは同じ人とは思えないほど 飛ばす飛ばす。高速とは思えないようなコーナーまであるし。(^^; さすがイタリア。こうでなくっちゃ。(^^;;

トスカーナ地方に入ったのは3時前。ホテルに着いたのが3時半過ぎ。 おっちゃんも市内の道を知らないものだから迷う迷う。迷っているうちに、 Bar Quadlifoglio を発見。フィレンツェのアルフィスタの溜まり場か。(ウソ)

そのホテルから歩いて自分のホテルに向かう。 ホテルには近いはずなのだが迷う迷う。午前4時過ぎである。人気がまったくない。 街娼のおねーちゃんと警官ぐらいである。この寒いのに娼婦のねーちゃんも 大変だのー。

やっと見つけてホテルのにーちゃんを叩き起こしてチェックイン。すまんのー。 TVをつけたら子連れ狼である。イタリア語をしゃべる拝一刀と杉田かおるちゅうか。 そんなこんなで眠る。5時である。はあ〜。

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text and photo: nigel@st.rim.or.jp