Nov. 16 (Tue)

Alba - Asti - Torino

今朝は Ceretto のワイナリーを見学してからトリノへと向かう予定。
Ceretto はアルバからバローロに向かう街道沿い、アルバを出てすぐのところにある。
朝食を取って出発。今日はどんよりと曇ってはいるが、昨日とは違って雲は薄く空は明るい。

日本を出発前にfaxで地図も送ってもらったし、こちらで近所の詳細な地図も
買ったので迷わないだろうと思っていたが、街道沿いの小さな看板を見落として
街道を一、二度往復するはめに(^^;;

街道から農家の裏道といった雰囲気の未舗装の小道に折れて、そのまま
小高い丘を登った上にCerettoの本社があった。丘の下には一面に葡萄畑が広がる。

我々に対応してくれたのはフェデリコといって20代の青年。
Cerettoを現在のように有名にした兄弟の子供たちの一人で、自分のことを 
one of a younger generation と言っていた。
彼とその兄弟たちについてはCerettoのオフィシャルページを見てもらえば詳しいことはわかる(^^;;

まずはワイナリーツアー(なのだが彼が説明してくれたことはほとんど web に書かれている(^^;;)
まず醸造所の中を案内して醸造方法について説明してくれた後、熟成中の樽を見せてくれた。
繁忙期は過ぎたせいか、ワイナリーはわりとひっそりとしていて、オフィスの他は
片付け?をしている15歳ぐらいの少年とおじさんと、梱包をしているおばさんたちぐらいしかいなかった。
醸造や熟成の話は面白かったが、時間が経ったせいもあって細かい内容はすっかり忘れてしまった。

次は彼の車に乗せてもらってブリッコロッケの醸造所へ。
本社のツアーだけだと思っていたのでうれしいやらびっくりするやら。
今家の引っ越し中で荷物が散らかっていて汚いんだ、と言った彼の車は
Fiat Punto 5dr. でほんとに汚かった(^^;;

着てる服はいわゆるモード系でおしゃれだし、US留学から数ヶ月前に戻ってきたとのことで
そこまでさせてもらえるボンボンなのだからどんなすげー車に乗ってるのだろうと
思ったおれは拍子抜けというか、日本と違って身の丈以上な車はまだ周囲の人々に
乗らせてもらえないのだろうかとかえって納得というか。

なんとも庶民的なプントでブリッコロッケへ向かう。
おれたちはイタリアをレンタカーでまわっているんだというと、
彼はUS留学ですっかりぼけてしまったのか、イタリア人の運転はクレージーで恐いだろ?
とにわかには信じられない台詞をのたまう。

みんなすごいスピードでぶっとばすし、後ろにぴったりくっついてすきあらば
追い越して行くし、まったく危ないよ、アメリカはもっと運転が丁寧だ。

まあ確かにそれはその通りなのだが、一般的にスピード命と思われているイタリア人の若い男からそういう
台詞が聞けるとは思わなかった。とかなんとかいいながら葡萄畑の間を縫って
丘を登りブリッコロッケの醸造所へ。随分モダンな建物で現在も隣で何やら
工事中である。トリノ冬季五輪に向けての村起こしであろうか、観光客誘致のために
増改築しているとかなんとかだそうである。

ブリッコロッケではバローロのブリッコロッケ、プラーポ、ブルナーテの三つのワインを造っている、
それぞれの畑によって味わいは異なり一番強いのがえーとどれだっけ(^^;;で
柔らかいのが…ブリッコロッケは中央なので両方のいい所を備えているなどと実際の畑を
遠くに眺めながら一通り説明してくれたあとで地下の貯蔵庫を見せてもらったが、
まだ新しい建物だからなのか、眠っているワインは90年代のものばかりであった。

また車に乗って次の目的地へ。ブリッコロッケを下り少し離れた丘の中腹で車を止める。
集落のはずれに立っている小屋へ向かった。ドアを開けて一歩中に入った瞬間、
小屋中に立ち込めているのはグラッパの香り!

小屋の中では2,3人のおじさんが作業服で蒸留に精を出している。
外には原料となるであろう葡萄の皮が山と詰まれている。
緑色だったからモスカートであろうか。

グラッパは専門の蒸留所に出しているメーカーと自社で蒸留するメーカーがあるが、
Ceretto は後者で、自分の所で蒸留しているそうである。設備は近代的というよりは
高校か大学の科学実験室といった雰囲気だった。配管のところどころには針金で
封印がしてあり、税務所が毎年調査にきて密造はできないようになっているそうだ。

グラッパの香りにつつまれて幸せな気持ちになりながら建物を出ると、隣には
何やら原色に塗られたかつてのベネトンF1のようなサイケデリックな小さな礼拝堂がある。
彼いわく、あなたがたのようなワイン好きの人たちは畑を見たりするだけでも
楽しんでもらえるが、そうでない一般のお客さんは何も無い、とこの土地を
通りすぎてしまうだけなので、そういう人達にももっと来てもらえるように
有名な現代美術のアーチストに頼んで礼拝堂を塗ってもらったんだ、とのこと。

よく見ると夜にはライトアップされるようにもなっている。これだけで集客力があるかどうかは
甚だ疑問だとは思うが、色々地域振興を考えてるのだなあとは感じさせられた。

最後に本社に戻ってテイスティング。最初は Arneis Blange。DOC 的には
DOC Roero Arneis になるのだが DOC にはしてないといった気がする。
ラベルのデザインがいいだろ、と自慢していた。

軽くてフルーティだがそれなりにしっかりしているので連れはとても気に入っていた。
帰国後近所では売っている店を見つけられなかったので1ケース
取り寄せてしまったくらいである。おれ的にはさくらんぼ食べているときに飲んだらうまかった。

次は Barbera d'Alba, Barbaresco Asij, Barbaresco bricco asili と
ひとつひとつ丁寧な説明を受けながら試飲させてもらう。

最後はmonsoldoというシラーとカベルネ?というフランス葡萄のブレンドの
ワインを試飲させてもらう。まだこれは市場に出まわってないんだ、若かったから
熟成させていたんだけど、そろそろ良いんじゃないかと出してみた所なんだとのこと。

Asij とか色々面白い名前がついてますけど、それは何か理由があるんすか?と
聞くと、面白い名前に聞こえるかもしれないが、それらはみんな土地や畑の名前で、
特別な意味のある fantasy name じゃあないんだよ、とのこと。

2000年の6月にはvinexpoで日本に行くんだ。とても楽しみにしてる。
日本食も食べたりするんだよ。などと言うので日本で再会したかったのだが、
何度かVinexpo の出展者リストを見てみたが名前が無いままおれもvinexpoに行けず
再会は果たせなかったのであった。

別れ際に、これからトリノに行くんだ、と言うと、トリノはもっと運転がクレージーだから
気をつけろとだめを押されたが、彼はトリノで

『うちに帰ってパスタでも茹でてな』

とクラクションを鳴らされているのであろうか。 トリノにいいレストランはない?と聞くと、ホワイトホースという店を教えてくれたが、どのへんとか 詳しいことも聞かず、ガイドにも見当たらなかったので結局行かなかった。 実際プロではない我々にとってワイナリー巡りというのは、説明は一度聞けば後はどれでも 大して変わらず(地方や種類によって多少の違いはあれど)、畑や醸造所に対する 思い入れを実際その場に来たということで多少なりとも満たしているだけに過ぎない。 あまりに田舎なので単に時間潰しのネタという話は大きな声ではいえないが(^^;; あわよくばセラーに眠る古いワインを売ってもらおうというスケベ心もなくもないが(^^;; それでもこうして忙しい時間を割いて対応してくれたワインを作っている人達の人柄や情熱みたいなものに 多少なりとも触れられたのは、酒飲みとしてはというより単なる旅行者としてもうれしい体験であった。 暖かいホスピタリティにうたれてすっかりファンになってしまった Ceretto を辞して トリノへと向かう。どうやって行くか考えたが直接トリノには向かわず、遠回りになるが アスティで昼食を食べてから、ということになった。 約1時間ほど走ってアスティに着いた。 ここもそこそこ大きな街で交通量が多い。市内をぐるぐる回っている時には 駐車スペースを見つけるのが大変かなと思ったが、街はずれに広大な駐車場があって 端の方はガラガラだった。 あてずっぽうで街をブラブラしてみる。たまたま場所が悪かったせいだけかもしれないが 食堂の数が割と少なくてピッツェリアを含め3,4軒ほど、これは!という店には当たらず 適当に飯屋に入って昼食を取る。入ってみたらずいぶん広い店で半地下のような フロアには100人は無理でも50-60人ぐらいは入って大宴会ができそうである。 しかしそちらはガラガラで、客が入っているのは入口ちかくとそのすぐ奥のフロアだけで あったが、それだけでも結構にぎわっていた。ここも客層は地元の会社員と思われるタイプが多い。 プリモはお薦めメニューのレンズ豆とパスタ(コンキリエ)の煮たの、ラグーのペンネに セコンドはソーセージのグリルとフリット盛りあわせ。 特に何ということはないメニューであったがおいしくいただいた。 アスティに来たが運転もあるので結局スプマンテは飲まず。 腹ごなしに街をぶらついてみるがめぼしい酒屋や食料品屋にはぶち当たらず、 トリノへ向かう。前回たまたま入ったボマルツォからローマへ 向かう途中の山の中の高級店のように、街の中より田舎道を走って走って ぶつかった店に入った方が良かったはずだとすっかり印象の薄くなってしまった今にして思うが 詮無いことである。第一アスティまでの街道沿いにはめぼしい店は見当たらなかった。 アスティからは高速に乗ってトリノへ向かう。30分足らずでまだまだ日の高いうちにトリノに到着。 宿につくまえに車で市内を一周してみる。市電、バス、タクシーに一般の乗用車が うようよしている。交差点で前の左折車にひっかかって大都会の洗礼を 早速受けてしまったのでとっとと観光をあきらめホテルへ向かうことに(^^;; トリノの宿はメリディアン・リンゴット。泊まるかどうかはともかく一度は訪れなければならない 場所である。なぜならリンゴットは1919〜1982年までFIATの工場だったのだ。 敷地内には鉄道路線がひき込まれ、屋上のテストコース(中庭のある長方形の建物 の屋上は全長1kmのオーバルコースになっていてバンクまでついている)で 試走した車がイタリアやヨーロッパへと出ていった。 その後リンゴット工場は稼動を停止してしまうが、1989年、レンツォ・ピアノによって この建物の外観を残したままで、ホテル、ショッピングセンター、展示場などを含む スペースに造り変えられたのであった。まあ幕張メッセとかそういうもんだ。 屋上のバンクは今でも残され、泊り客がジョギングできるという話もあるので FIAT党の私としてはぜひともこれは登ってみなくてはなのである。 ガードマンに止められることも無くホテルの正面入口横に車を止めてチェックイン。 フロントから宿泊棟へは中庭に通っているガラスの通路を通っていくのだが、これが意外に 狭く造ってあり、竹が目立つ通路の左右の庭園の樹木は通路に覆い被さるようで、 どことなく東洋、中国かベトナムあたりの森の中を歩いているような錯覚を起こさせる。 ただのツインルームながら入ってすぐの部屋にはデスクの上に電話とイエローページが置いてあり、 バスルームを挟んでベッドルームとなっている。日本の雑誌などでは有名建築家の設計したホテルと いうことでデザイン面からとりあげられることが多いのだが(雑誌によれば同じインテリアの 部屋は二つと無いらしいが他の部屋に入ってないから真偽は不明)、ビジネス客を 主な客層として狙っていることははっきりとわかる。 日も落ちてすっかり暗くなったが路面電車で市街中心へ。駅までは2km以上あって さすがに歩いていくのは面倒なのでバスか路面電車を使うことになる。 ホテルの前を通っている大通りは一方通行なので一ブロック東に歩き バールに入って回数券を買い、市街中心方向の市電をつかまえる。 さすがトリノは大都市だけあって繁華街もでかい(^^;; 惣菜屋のウィンドウにへばりついてみたり洋服を眺めたりしたのち一度ホテルに戻るが、 連れは疲れたようで外に出るのがおっくうになってしまったとのこと。 ルームサービスでもいいかと思ったがとりあえずホテルのレストランで食事することにした。 連れはごくごく軽くアスパラガスのスープとメニューにはないがフレンチフライを頼んで 作ってもらう。こちらはオリーブと松の実のソースのStrozzapreti というパスタに 鶏の焼いたの、ワインは朝試飲した Arneis Blange がリストにあったので頼む。 客がいっぱいだったせいかメインのダイニングフロアではなく、入口手前にあるラウンジの 奥の方にもテーブルが並び、客が座っている。 日本人と見られる中年ビジネスマン風の客や、書類を広げて資料作成をしている風の 女性やらまあ大体において主な客層はビジネス客である。 Strozzapreti も鶏も印象が残っていない。 それなりには楽しめたがそれ以上でも以下でもないといったところだろうか。 明日はトリノ自動車博物館に行こう。
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Text and photo: nigel@st.rim.or.jp