川村渇真の「知性の泉」

問題指摘型から提案型へと変化


問題点を指摘するだけでは不十分

 既存のジャーナリズムの基本的な考え方は、問題を指摘することに中心を置いている。実際に起こった現象を読者に伝えることで、世の中を良い方向へと変えさせようとする考え方だ。こうした方法は、これまでずっと続いてきたし、疑問を持つジャーナリストは少ないようである。
 しかし、これで本当に良いのだろうか。問題点を指摘しただけで、世の中を良い方向へと進める力が作れるのだろうか。もちろん、何もしないよりはマシである。けれども、考え直してほしいのは、費やした労力に対する効果の大きさだ。本当に効果的だろうか。残念ながら、よほど幸運な状況でもない限り、世の中を変える大きな力にはならない。
 確かに昔は、問題を指摘するだけで十分だった。しかし、世の中が変わって、問題点の指摘では不十分になりつつある。解決が遅れると損害が大きくなるので、素早く解決しなければならない問題が増えた。また、価値観が多様化して、現象を見ただけでは簡単に判断できない問題も増えている。
 報道方法に変化が求められている大きな原因は、こうした世の中の変化である。社会構造、各種技術、人々の価値観などが複雑になるに連れて、簡単に評価できない問題が増えてきた。困ったことに、重要な問題ほど該当する。そんなテーマに関しては、起こっている現象を単に説明しただけでは、その意味を適切に理解できない。時代に合った、より適切な報道方法が求められている。

できるだけベストな解決方法を提示する

 これからのジャーナリズムでは、より効果のある報道方法を実施すべきだ。単に現象を紹介するだけでなく、それが持つ意味を分析し、解決方法やその効果まで含めて提示する。
 現象の分析では、その道の専門家に意見を求めればよい。複数の専門家に尋ねることで、間違った分析は避けられる。専門家といってもピンからキリまでいるので、良い専門家を知っておくことも大切だ。有名だがダメな専門家も存在するので、能力をきちんと評価して選ばなければならない。
 分析の結果は、読者である一般市民への影響がどうなるかにも触れる。どんな形でどれぐらいの損害が考えられるのか、できるだけ具体的に説明すべきだ。こうした取り上げたかをすれば、読者にとって価値の高い記事に仕上がる。
 解決方法の提示では、被害を最小限に押さえるための方法を紹介する。複数の方法を評価して比べ、その中からベストなものを選ぶ。最低でも、候補となった解決方法の種類と評価方法ぐらいは取り上げ、比較して選択したことを伝える。
 解決方法の評価にも注意が必要だ。評価方法が不適切だと、間違った方法を選んでしまいかねない。予想される効果、成功の確率、考えられる問題点などを明らかにして、かなり慎重に評価する。評価方法と評価結果を公表すると、不適切な場合には読者に指摘してもらえるため、積極的に公表したほうがよい。
 複雑な問題になると、ベストな解決方法を簡単には選べない。無理して選択することはせず、最終候補に残った解決方法をすべて紹介する。もちろん、評価方法と評価結果があるなら、それも一緒に掲載する。読者の中には、詳しい専門家だけでなく、良いアイデアを出す人もいるので、ベストな解決方法を選べなかったテーマに関しては、意見やアイデアを募集するとよいだろう。予想外の解決方法や評価方法が得られて、ベストな方法を選べるかも知れない。
 解決方法を明示するのが難しい問題でも、その時点までに分かっている内容をきちんと整理して伝える。問題の全体像を適切に理解させることが、非常に重要だからだ。

関係する組織に変化を促す

 解決方法まで示すのは、取り上げた問題が解決してほしいからだ。その力を最大限に高めるためには、もう少し工夫した報道に変えなければならない。
 まず考えるべきなのが、解決方法を実施すべき組織や部署の明示である。最終的に選ばれた解決方法の内容には、実施すべき組織や部署も必ず含める。複数の組織に関わる解決方法なら、担当する作業内容ごとに明らかにする。
 既存の組織のままでは、解決方法の実施が難しかったり、効果的に作業できないこともあるだろう。そんな場合は、ベストな組織構成まで示す。どんな組織構成を作り、どの権限をどこの組織に持たせるか、どの仕事をどこの組織に担当させるかなど、具体的な形で提案する。また、全体としての責任を持つ人がどこに属するべきなのかも、明らかにしておく。責任者を明確にしなければ、成功の確率が低下するからだ。
 解決方法の実施時期も、非常に大切である。現代の重要な問題の多くは、モタモタして実施が遅れると被害や損害が拡大してしまう。できるだけ早目に始めるように、実施期限を含めた大まかな日程を示す。組織を整えるとか、詳細な内容を決定するとか、担当者を決めるとか、実施で重要な作業を選び、それらを日程の中に含める。遅くなると大変な問題に関しては、遅れの大きさと被害の関係を明らかにしたほうがよい。
 以上のように、実施組織や日程を含めて報道すると、関係する人々には強いプレッシャーがかかる。それこそが大きな狙いである。しかし、無視しようとする組織も出るので、実施したかどうかや、実施内容の質も追い続ける。重要な問題に関しては、定期的に報道し続けるべきだ。
 解決方法を紹介した問題に関しては、関連組織の実施状況を評価し、点数による評価結果を公表する方法も有効である。いつでも見れるように、ウェブページのような媒体に掲載する方法が適している。何を評価する場合でも、評価基準の適切さが重要である。きちんと評価していると伝える意味でも、評価基準や評価方法を公表するとともに、いろいろな人から意見を求めて、評価基準や評価方法を改良し続けなければならない。

読者が評価できる書き方が重要に

 ここまでの話は、ジャーナリズムの質が高い前提で述べた。しかし、日本においては、レベルが相当に低い媒体も存在する。そんな媒体が悪い影響を及ぼさないように、良識ある市民の監視は欠かせない。市民の側でも、ジャーナリズムを評価して点数を公表したほうがよい。この場合も、評価基準や評価方法を公表して意見を求め、常に改良し続ける。
 質の高いジャーナリズムを目指す媒体なら、低レベルな媒体との違いを明確にする工夫も必要だ。今までのように文章中心の説明ではなく、読者が内容を評価できる形で記事を作らなければならない。内容を論理的に書くのはもちろん、論理構造を図で表すとか、調査したデータを示すとか、いろいろな形で表現方法を改良する。このような形で記事を作ると、低レベルな記事との違いが目立つように変わる。
 逆に低レベルな記事は、読者側が評価しやすい書き方はできない。もしそうすれば、誤魔化している部分や論理的でない部分が目立ち、信用を一気に落とすからだ。そうなっては困るので、今のような書き方をずっと続けるしかないだろう。というわけなので、質の高いジャーナリズムが新しい表現方法を用いれば、その違いを強く伝えられる。
 ジャーナリズムを評価する市民運動も同様で、評価した結果を説明する際には、できるだけ論理的な表現を用いる。また、市民運動を邪魔する媒体に対しては、厳しい評価を与えるとともに、どんな点が悪いのか詳しく説明する。その内容をウェブページなどで掲載し続けると、ダメな媒体が好き勝手に書けなくなるだろう。このような圧力も大切だ。
 読者側が評価しやすい書き方は、説明の量も増えるし、それに応じた取材も求められる。さほど重要でない取材をやめて、その分を重要テーマに回す必要がある。マトモなジャーナリストなら、やりがいを感じるはずだ。

 以上のように、これからの報道では、問題の現象だけでなく、解決方法、担当する組織、理想的な組織構成、大まかな日程、関係する組織ごとの実施状況、組織ごとの評価なども含めなければならない。最終目標は問題が実際に解決することなので、それを達成する工夫なら何でも取り入れるべきだ。また、読者側が記事の内容を評価する形で書き、低レベルの媒体との違いを明確にする必要もある。
 こういった提案を無視し、ジャーナリズムの守備範囲を自己限定するのは最悪で、何も改良できない。ジャーナリズム本来の目的を深く考え、報道方法を改良し続けることこそ、ジャーナリズムやジャーナリストのレベル向上にとって必須だ。

(1999年12月31日)


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