川村渇真の「知性の泉」

転職や離婚の容認は、やり直しが可能な社会への第一歩


転職が当たり前になってきた

 以前の日本では、最初に勤めた会社を辞めることが、かなり悪く思われていた。辞めた本当の理由には関係なく、「不真面目だ」とか「根性がない」とか、無条件に良くない印象を持たれてしまう。しかし最近では、転職しても悪く言われないばかりか、積極的に転職する人まで現れ、転職が特殊なことではなくなってきた。
 一般に「転職」と呼ばれる行為には、職自体を変えることに加えて、仕事は同じで会社を変える「転社」も含む。実際の件数は、後者のほうが圧倒的に多い。原因はさまざまだが、前向きな理由が増えつつある。自分の能力を生かせる組織や、より高いレベルの仕事ができる組織へ移るとか、これまでよりも良い環境を目指しての行動だ。また、職を変える転職でも、現在の仕事が合わないので、違う仕事にチャレンジするとか、自分との適性を求める傾向が強い。さらには、異なる仕事を経験することで、能力の幅を広げようとする人までいる。

離婚しても恥ずかしくなくなった

 転職と似た状況になりつつあるのが離婚だ。以前なら、離婚すると世間体が非常に悪かった。そのため、夫婦の関係が相当に悪化しても、離婚せずに我慢し続ける。実質的には崩壊であっても、形だけは夫婦を続ける人も多かった。
 ところが現在では、我慢せずに離婚する夫婦が増えているし、別な人と再婚して、新しい家庭を築く人までいる。もっとも変わった点は、離婚した人が「バツイチです」と恥ずかしがらずに言えるようになったことだ。以前には考えられない状況である。
 変化の背景には、女性の経済的な自立がある。昔は、女性が一人で生活するには、相当な努力が必要だった。社会全体に男尊女卑の考え方が蔓延していることも、いろいろな面で自立を難しくしていた。ところが、男女平等に少しずつ近づいていて、女性が仕事を持つことを社会が認めだした。経済的に自立できれば、じっと我慢する必要がなく、結果として離婚が増える。

両者に共通するのは人生のやり直し

 転職と離婚の両方に共通するのは、以前の選択が間違っていたと判断し、関係を解消する点だ。転職なら、職業や会社の選択が正しくなかったと、離婚なら、結婚相手の選択に失敗したと、気付いたことを意味する。就職も結婚も、人生にとって非常に大きな出来事だ。それらが間違っていたと分かったとき、修正できないとしたらどうだろうか。まさしく、悲惨な人生である。
 こう考えると、転職や離婚の位置付けが見えてくる。人生上の大切な選択を訂正するための行為なのだ。その意味から、両者を「人生のやり直し」と捉えることができる。一生を左右する出来事だけに、やり直す価値は大きい。
 「最初から適したものを選ばなかったのが悪い」と言う人もいるだろう。しかし、現実的に考えた場合、本当に可能だろうか。職業、就職先、結婚相手などを、一発で最適に選ぶことが。それも、世の中の全員がである。そんなことは不可能だ。企業は、実際に働いてみなければ分からない。結婚相手も、一緒に暮らしてみなければ、良し悪しを判断できない。もう1つ見逃せないことがある。人生の経験を積む過程で価値観が変わり、やりたいことや相手に求めることも変化する点だ。それも含めると、さらに不可能だと分かる。不可能ならば、「やり直し」の仕組みを用意するのが、妥当な結論となる。

広い分野でやり直しが容易なほど良い社会

 もちろん、すべて良いことばかりではない。とくに離婚では、家庭環境を悪化させ、子供に精神的な悪影響を与える。親の幸福のために、子供が犠牲になるわけだ。ただし、離婚しないことが最良の方法とも言えない。仲の悪い夫婦が無理して一緒にいても、長期間に渡って言い争いやグチを見聞きすることになり、子供にとって良い環境ではないからだ。より良い状況を求めるなら、別な対策を施すことが必要だろう。親も子供も幸福に近づく方法がだ。
 以上のように、人生や社会を長い期間で考えると、転職や離婚の価値が見えてくる。幸福へ向かうための重要な要素であり、それほど懸念すべき行為ではないのだ。もちろん現状での離婚は、子供の幸福を助ける方策がないため、積極的に勧められることでもない。当分の間は、いろいろな面を考慮して、迷いながら選択するしかないだろう。
 今後の社会では、転職や離婚以外の分野でも、やり直しが容易な状態へと進化する。人々の寿命が延びている現状では、何度もやり直せることの価値は非常に大きい。これは、住みやすい社会としての“重要な条件”の1つなのだ。

(1996年9月26日)


下の飾り