「ユビ教師」


 生徒のいる場所ならどこにでも存在し、その生徒の求めるタイミングで、最も効果的な形式を通して教育を施す者の意。ドイツの情報工学博士、ノール・クルツによって1970年代前半に発明された言葉。英語名称Ubiquitous Teacher、日本ではユービキタス・ティーチャー、あるいは遍在教師とも。

 音楽教室の講師であった経歴を持つクルツ博士は、この言葉を発明した当時非常な発展の端緒を見せていたコンピュータ技術に触れ、限界のない多態性と遍在性を持つ情報の力をいかんなく発揮できる場がコンピュータ技術の中にあることを強く予感した。また同時に、情報の持つ力を応用するのに最も適した分野が、人の数だけ存在する個性に対して等しく知識を具えてもらうことを至上の目的とする教育の世界にあることを即座に確信したのだった。

 以後、クルツ博士は、コンピュータ技術を利用した教育の目指すべき姿を求め続けた。その過程で、比較的初期から現れ最も強く長く主張されてきた彼のアイディアは、幾人かの(ありうべくは一人の)優れた人となりを持つ教師が、学校教育のために作られたコンピュータの総てを統括し、世界中の生徒の前に設置された学習装置を通して教えを施す、というものだった。教師はコンピュータの力を借りて、総ての生徒の前に存在し、彼ら一人一人の欲する知識を、最も効率的な形式――彼の著した論文の中では、それは文書の場合もあるし、写真や動画から、コンピュータ・グラフィックス、音声、手話、点字、指文字、ボディ・ランゲージ、アイ・コンタクト、詩、歌、果ては精神感応までもが例として挙げられていた――を通じて授けるというのである。

 彼のこの考えは各界から一応の評価を受けたが、論点が実現の可能性へ至ると、何ら建設的な意見を得たり肯定的な論争を仕掛けられることはなかった。そんなクルツ博士が、このアイディアを暖め続けてゆくよすがとしたのは、遍在というキーワードのみに呼応した一部の熱狂的な信者の存在だけだった。

 やがて時の流れとともに、それらの支持者の中から社会的技術的実力を身につけた「直彦」のような者達が現れ、彼らなりの解釈にもとづいた遍在教師を体現してゆくことになるが、そこにはクルツ博士の希求した、単一の優れた人格による教育活動の管理は微塵も存在せず、民主主義経済に裏打ちされたマーケットシェア争いを後ろだてに、複数の異なる理想を喧伝する教育者達の独善的な現場支配のみが目立つようになる。

 この時代を生き、ユビ教師の一つの現実を目のあたりにしたクルツ博士は、自分の思想が一度完全に忘れ去られ、いつか可能な限り原点に近い形で蘇り、再び教育の世界に浸透することをひそかに祈りながら人生を送っている。


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