20041024

昨日 2004.10.23 の夕刻、コンビニにでも行くかと着替えの最中、震度6弱? の地震に見舞われました。丁度6疊間2つながりのまん中に立った状態で、鴨居をつり革の ごとくつかんで立っていました。大きなものは倒れず、本棚の中身の本が落ちてきた程度。 もともと、片付けるということをしていない部屋で、いろいろなものが平たく重なっている のが逆に利したか?

しかし、停電。早晩、水もとまるだろう。 空腹、かつ備蓄なしの状態で地震にあってしまったので、携帯メールを 2本ばかり打ったのち、 おそるおそるコンビニに行くと、なんと非常電源で営業中(棚のものは少し崩れたようだが) ということで、電池式携帯充電器、ヘルシア、弁当、サンドイッチをとりあえず買う。

信号機も消灯の余震の中、職場まで歩き、自室を見まわり。やっぱり大物は落ちてなくてよかった。書類のみ散乱。 はじめ駄目だった、有線電話が復活した。しかし、電気はこない。水は、タンクにあるぶんは

若いOBのひとりK君と連絡が取れ、彼と車で物見。市内でも電気が生きているところはあるらしい。 とりあえず、別の電気がついてるコンビニで、おかしとかワインとか確保。弁当とか携帯充電器とかは 当然に売り切れ。物資に困っていないところまで出よう、と新潟方面に車を走らせるが、途中の 橋で通行止。挫折。

結局、木造のアパートよりは、ということでしばらく真っ暗な職場の自室でお菓子を食べて雑談。 その間も強い余震に見舞われているのだが...まあ本震で崩れるべきもはの崩れたと、強引な割り切り。

その後は24日 AM 3:00 くらいにそれぞれ、自宅に引き揚げて寝る。わたしはワインひとびん呑んでいて (ぉ)爆睡←ぢつは大きな余震がいっぱいあってかなりやばかったらしい

K君のドアチャイムで起こされる。7:00。彼は長岡を脱出しようと提案している。上越方向に向うことにする。 8号というメインルートは所々通れない所があり、地蔵トンネルとか海岸道路とか迂回して、柿崎町まで 出たところで完全に文明が維持されていた。ホームセンターで、カーバッテリーの12VをAC 100Vに 変換するアダプタをゲット。やっと携帯が充電できた。

その後、上下浜駅付近長峰温泉で休憩し、今夜は鯨波駅付近の豪華旅館に宿泊など、報道されているのとは 大部異なる、何不自由ない生活をしてますが、明日長岡に戻ってからのこと、思いやられる。

http://www.st.rim.or.jp/~donogo/2004/10/24.html

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