Princeton, NJ USA に来ています。といっても、あと3時間で帰りの空港行きのバスに 乗るところです。またしても2ヶ月抜けでつか、と某氏に警告されたのと、あと自分的にも 記念に書いておきたいことがあるので、初の海外からの更新です。
箇条書きにしよう。いちいちのリンクは致しませんので、不明な語などありましたら、 適当にサーチエンジンなどで調べてくださひ。
戦前編:一部の星人には14日のプチガス会@独料理.秋葉で漏らしていたことだが、準備が 泣きそうな状態。結局お盆休みと次の週は全部使って、戦時体制をとる、と書きたいところ だが、昼間の時間がかなり虫食い状態(;_;)
出陣編:日本時間22日18:00過ぎにすき家経由で長岡駅に出してもらう。 準備のほうは、「同人の修羅場」の頑張りで、中身は完成しているが、これを丸暗記しなくてはならないとは... とほほ。つーことで、22:00 には新浦安基地入り。翌23日 7:07→京葉線下り→ ...→ 8:43 空港第2ビル。11:00 には離陸。「丸暗記」のために、例により MDプレイヤー攻撃。 現地時間 10:30 JFK 着。ここで、バスに予約確認入れるのを電話でやらねばならず、 とうぜん相手のいってることがぜんぜんわからず、のっけからクラクラ状態。とにもかくにもゆうがた には Nassau INN につひた。
戦闘編:会場に(同時に)いるのは40人ばかりの、小さな集まりなのである。 その中に、Karp, Wigderson, Agrawal, ... という人たちが普通に居るのには マイッタ。何という土地柄だ。自分の番は...2日目の午後イチ、という(心理的準備として)最高の 位置にあったが、 とにかく頭が真っ白な状態で...とにかく ひどい英語で、一応は最後までしゃべったらしい。 断言できることは今回の参加者中 英語会話能力最下位はおそらく私である。他の人は、母国語か、それに準ずるレベル で話している。一応無事終了ということになっているが、あまりの英語のひどさがたたってか、 I先生が寝こんでしまわれたのは秘密。
戦後編:自分の番が過ぎてしまってから、はじめて人の話聞いたりする心の余裕がでてきた。 最終日の朝、chair をやってた Umans が昨日の話についてちょっと聞いてくれた。良い人だ。 で、午前中は会場に座って、人の話眺めたり(注:わしのレベルだと聞く、と書くのはちょっと気がひける)、 問題考えたりしてた。午後、大学の生協みたいなところで、オレンジのトラのヌイグルミその他を買いもの。 (オレンジ、トラは巨人阪神ではなく、プリンストン大のシンボルとマスコット) ちなみに、ここの売り子の手際はS軍だったら爆発級、の極悪でした。 おそらくプリンストンの学生バイトで、別のとこに才能がいってるんだと思います。
おみやげを買ったあと、午後はおさぼりで、大学のまわりを探検した。 ここまで書くのを保留してきたが、プリンストンというところ、 噂はいろいろ聞いてはいたのだが、こんなに良いところがあるのか、というほど 素晴しい所である。静かで、自然が美しく、人々はがつがつしておらず(と見える)、 物を考えるためにあるような場所である。大学には、1800年代の煉瓦建物と最新鋭の 機能的な建てものが共存している。おそらく優秀なる同窓生たちの熱烈な協力があるのだと思う。 ここの風土というのを如実に思い知らされたのは、 フォンノイマンだのアインシュタインだの名前のついている道を通って IAS -- プリンストン 高等研究所に辿りついたときだった。ベンチにかけると、巨大な前庭には人ひとり歩いておらず、 風と木の音がするのみ。絶対にかなわない、そう思わされた気がした。 その後、帰り道で危なく迷いかけたが、莫大な回り道(どうも大学の半身とゴルフ場を囲むような感じで 一周したらしい)の結果、なんとかホテルに辿りついた。1ドル、25セント、10セント、10セント、 5セント、と財布のなかからかき集めて、自販機でコークを買うことができた。 夜はホテルのレストランで、I先生とささやかなるご苦労会の宴を張った。しかし、プリンストンの すばらしさを語るとどうしても日本に対する毒ガスが出てしまうので、実質的にはプチガス会だったかも しれない。あと、ガスではないのだが、日本文化の話として、基板が蔵に、とか、寮が図書館に、とか 言う話も、出ないことはなかった。
またすぐ俗塵にまみれる、もとい、日本にもどります。明日(日本時間29日)は しっかり拘束されているので成田から長岡に、東京付近素通りしていくと思います。 毒ガス希望の方、その後 30日とか東京にまたでばってくるのは 私としてはぜんぜん OK ですが。
http://www.st.rim.or.jp/~donogo/2003/08/27.html