皆様、明けましておめでとうございます。賀状を下された方、どうもありがとうございます。 今年はオリジナルを落しまして(汗)妹からのOEMで迎撃させて頂いております。
皆様におかれましては、楽しいお正月を過されましたでしょうか。 私は、告白致しますが、「砂糖漬け」になっておりました。
「ちっちゃな雪使いシュガー」公式ページ: www.tbs.co.jp/snow-sugar/
ひとつの作品が、青年というには(もはや)少し苦しい男の価値観の軌道を、多少なりとも ずらしてしまうこと、無いようでいて有ることです。シュガーはかなり有名なアニメですが、 ご存じない方のために無理に要約しますと、妖精の一種の季節使いの一種の雪使い、であるところの、 シュガーが「きらめき」を探す修行に人間界に出てきて、少女サガのところに居候をする、という 話です。地上波放映は 2001年秋から昨年3月まででしたが、私の家には電波を受信する設備がなく、 DVD を全巻揃えて鑑賞しました。
きらめき、というのは、実に抽象的なもので、かつ、それを追及する者が誰であるかにも 依存する、という厄介なものです(シュガーにとっての「きらめき」が何であったか、 は説明しません、というより私もまだ考えていますので、皆様におかれましても、DVDを購入して 検討されることをお勧めします)。 ネガティブな方向からの特徴付けを試みると、「きらめき」は、直接的に生命や身体の安全を 確保するものではないようです(無関係ではないですが)。
生命や身体の安全を守ること、これは人が人になる以前からの古典的難問で、まだ完全に解決 したわけではないと思います。ただし、文明により、モノとエネルギーが尽きないという前提 のもとで、日本を含む一部の国々では一応の条件付き解決を見ていると思います。(この 前提はカナリ怪しいのですが、とりあえず今日はそちらの方向の話は置きます)
生命や身体の安全が確保できたとして、どんな問題が残るか?何を解決すべきか? ひとつの問題に括ってしまうなら、ほとんど自明に、「精神的幸福を追及せよ」という問題が 残るのだと思います。現に、日本を含む一部の国々において、文明の精力の相当部分は「精神的幸福の追及」 に注がれていると思います。
「精神的幸福」とは意味不明スレスレの漠然とした(そのかわり包括的な)言葉ですが、「きらめき」 は間違いなくその一端を担うものと言えます。小説、絵画、音楽、アニメ、スポーツのプレイ、それから棋譜、等々、 これらは「きらめき」が取り出し易い形でセーブされている例であると思います。
ここまで話をひっぱって、言いたいことは、50年100年たって初めて意味がわかるタイプの「きらめき」、 を追及するのも、人間の活動としては有りなんじゃないかなあ、 ということです。お正月なのでこれ位の大風呂敷許してくだちい。
http://www.st.rim.or.jp/~donogo/2003/01/03.html