シマ女王

昔、中央ジャワ北部の「カリンガ王国」を、シマという女王が治めていたという。「カリンガ」という名前は、インドから伝わったものらしい。

シマ女王は、非常に公明正大で、強い意志を持っていることで知られていた。彼女の臣民たちは、このうえなく正直だったそうだ。

カリンガ王国の評判は、唐の国にまで届いた。唐の皇帝はその評判が本当かどうか確かめようと、ジャワに使者を送ったのである。

シマ女王は使者たちの目の前で、宝石や金を集めさせ、それを壺の中に入れた。そして、その壺を街の大通りに置いておいたのである。

3カ月の間、壺はそこに置かれたままで、誰もそれに触れようとしなかった。だがある日、皇太子が誤ってその壺につまづき、壊してしまった。


たとえ故意ではなかったにせよ、女王は壺に触れて壊した皇太子を許さず、厳罰に処したという。どういう処罰だったかは伝わっていないが……。

中国の使者たちは、女王がいかに公明正大かという証拠を持って、唐に帰っていったのである。

マリオ・ルスタン



シマ女王
公明正大な「シマ女王」と聞くと、賢者ソロモンを訪れた聡明なアラビアの女王「シバ女王」を思い出します。このストーリーは唐の時代(7C〜10C)の話で、紀元前に生きたシバ女王とはずいぶん時代が異なりますが、アラビア半島からインドを経てインドネシアにシバの女王の話が伝わったということも考えられます。 BACK





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