都電廃止記念「さよなら」乗車券。(昭和47年11月11日)


<1471型>

ホヘサ1471型(NOS1471-1652)1854型(NOS1854-1953)1954型(NOS1954-2103)大正3年〜8年に180両が製造され、大正10年〜12年に250両が増備された。このうちNO1526以後のものに最初の国産台車D-1及びD-2を採用、またNOS1471-1481には始めてエアブレーキが取り付けられたが、故障多発のため、外されて、ハンドブレーキだけとなった。(切符裏面より転載)


<1653型>

ホヘ中 1653型(NOS1653-1853)大正8年〜10年に製造された、市街電車最初の3扉ボギー車。形態は「ホヘサ」の車体を延長して、中央部に両開きの出口を設置した形である。前後端は折りたたみ扉で入り口専用に使用された。この形式より本格的にエアブレーキが採用され、ポールも当初から前後式になった。またパーメンターフェンダーを廃止してストライカー式とし、バンパーが取り付けられた。(切符裏面より転載)


<木造3000型>

木造3000型(NOS3001-3610) 大正11年から震災後の大正13年までの間に610両も大量生産された木造ボギー車で東京市内の全線区で復興に活躍、東京市電の基本型をなした車両である。台車はD-10低床式を採用、車体の堅牢化のために鉄骨を使用、出入口には引き戸をつけて登場した。戦災で373両焼失したが、戦後も復興に活躍、昭和24年より、順次新3000形に生まれかわった。(切符裏面より転載)


<木造4000型>

木造4000形(NOS4001-4050) 大正14年製造の低床式鉄骨木造ボギー車で「ホヘ中」以来の3扉車である。台車は新規に設計されたD-11を使用、形態的には前後が絞ってあり、正面はフラットなため、何となくウマズラ的な感じを与える。大正14年、弟分にあたる4100形(4101-4150)が製造されたが、正面にやや丸みをもたせてアクセントをつけた他は、4000形と変わりはない。(切符裏面より転載)


<5500型>

5500型(NO5501) 昭和29年、アメリカ、ウエスチングハウス社よりパテントを買って作られたP.P.Cカーで、当時マスコミに「無音電車」等と呼ばれ注目を集めた。竣功当初は、運転装置がすべて足ぶみ式であったが、乗務員にきらわれ、昭和35年、一般車と同様に改められた。現在は記念車として上野不忍池畔に保存されている。(切符裏面より転載)


<7500型>

7500形(NOS7501-7520) 昭和37年に登場した新造車20両で、都電最後の新造車となった。これも従来の都電のスタイルとはおもむきをかえ、ヘッドライトが2ケ、系統番号が真中につけられている。台車はD-23を使用、当初は全車両青山営業所に属していたが、路線の縮小、廃止にともない、柳島営業所、荒川営業所に転じた。(切符裏面より転載)


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