とこはるにっき

●友達のおかあさん (99/3/17)

 去年、家出したときにお世話になった友達のおかあさん。多分、今は友達よりもおばさんとの方がいろんなことをおしゃべりしていると思う。
 あたしは突然おばさんの家に遊びに行くことが多い(電話して行くことは殆どない)。でもおばさんは「あら、いらっしゃい」と言って家に上げて下さる。「おなか空いてるでしょ」と言って、お茶やお食事を出してくれたりする。そしてあたしのくだらない話をたくさん聞いて下さったり、自分のことをいろいろ話して下さったりする。
おばさんはとてもステキな人で、突然遊びに行くと「あら、口紅も付けてなくて、ごめんさないね」とおっしゃって、口紅を付け始める。あたしが「そんな気を使って下さらなくてもいいです」って言うと、いっっつも「きちんとしている方が気持ちが良いのよ」と笑顔でおっしゃる。おばさんはいつもオシャレだ。ご主人のためにオシャレをしているのだろうけど、それと同じぐらい自分のためにオシャレをしているのだ。
 友達のお母さんだから、それなりの年齢なんだけど、歳をとってもキレイでいつづける秘訣を彼女から学んだ気がする。あたしもおばさんみたいに「自分のため」にきちんとしていたい。オシャレってほどオシャレはできないけど、いっつもちゃんとして気持ちよく過ごしていきたいものだ。


●タクシードライバーさん(99/3/22)
 なんだか最近タクシーを利用する回数が多い。で。いろんなタクシーの運転手さんに遭遇する。失礼な運転手さんもいるが、先日げんなりする運転手さんと遭遇!

ぬぁにが失礼って、わしがタクシーに取り込んだとたん、「あー、つかれた。雨の日の運転はつかれるんだよなぁ!」と言った。

んなこたぁ、わしには関係ないし、だったら仕事切り上げて帰ればいいじゃありませんか!
こっちだって、いろいろ忙しくてくたびれているんじゃ。急いでいないんだったら、即降りて、別の車に乗り換えたかったわい!ぬぉぉ!むかつくわい!不景気で儲からないのはお互い様じゃ!自分ばっかり不幸だなんて思ったらあかん!(なぜ大阪弁?)そ〜んなふうに後ろ向きだから客も寄りつかんのじゃ。車からイヤーなオーラがでてまっせ。それに見ず知らずの人間に愚痴聞かされる身になってみんしゃい。あんさんの車には二度と乗りなくないと思うわ。タクシーの運転手さんだってサービス業なんだからさ、お互い気持ちよくいられるように気を使ってくれなくちゃ。

で、今日お会いした運転手さん。ドアが開いて乗り込んだら、運転手さん、携帯電話でお話し中。をいをい、危ないんじゃないかい?とビビりつつ行き先を告げた。運転手さんは相変わらず電話中。する事のないあたしは「どんな話をしているのかな??(わくわく)って感じで耳をそばだてていた。話の内容は「アツシ」なるドライバーが休職願いを出し、あと2日で田舎に帰るのだが、その「アツシ」さんに想いを伝えたい女の子からの相談電話だった。ドライバーさんは女の子の話をときどき頷きながら聞き、明日の野球大会の時にアツシさんが彼女を家まで送るように手筈を整えてやるから、その時にふたりっきりで話せばいい。でもその時、自分の背負っているものを全部正直に話しなさい。そうでないと後で面倒なことになる(いったいどんなものを背負っているのだろう(興味津々))。だから正直に話すんだ。あと2日しか時間はない。がんばりなさい。と話していた。仕事中に(それも車の運転中)に電話って、どんなものかなぁ、って思ったりするが、この場合は仕方ないかなぁって思った。そして親身になって相談に載っているドライバーさん。なんだか便りになる先輩って感じだなぁ、なんて思ったりした。


●てっちゃんのこと(99/4/20)
 今年の3月19日にうちで10年飼っていたねこのてっちゃんが死んでしまった。
 突然食欲をなくし痩せていくネコを病院へ連れていったのが2月20日。脱水症状を起こしていたネコは即入院。先生からは「ネコ伝染性腹膜炎」の疑いがあると言われた。
 2月23日。ネコはやっぱり「ネコ伝染性腹膜炎」であることが判明。この病気が発症すると、もう助からない。2週間から2カ月で死ぬ病気だ。先生からも後は余生を楽しく過ごさせてやってくださいと言われた。

 その日から、あたしや家族の生活はネコ中心のものになった。なにも受け付けないネコになんとか食べさせようと、あれこれ手を焼いていた。でもこのネコ、贅沢もので、「甘えび」が大好物だった。そして甘えびなら受け付けた。今日はエビを何匹食べたとか、今日は牛乳を飲んだとか、毎日祈るような思いでてっちゃんの様子を見守っていた。それでも病気は進行していく。どんどん痩せていき、腹水が溜まり、呼吸も苦しそうになっていくねこのてっちゃん。見ているだけで息が詰まりそうになった。夜も眠れない。少しでも長く生きて欲しいと思う反面、苦しそうなてっちゃんを見ていると、早く楽にしてあげたい・・・と思いも混乱してきた。毎晩泣いていた。そんなときに頂いた数々のメール。友達の優しい慰め。本当に嬉しかった。
たかがネコ一匹のことであたしはとても取り乱していた。そんなあたしを優しく見守って下さっていた人たちが側にいてくれてとても幸せだった。
 そしててっちゃんもよくがんばってくれた。そのおかげであれこれ世話をやけたこともとても幸せだった。

 てっちゃんとの日々はとても楽しく、面白く、大人ばっかりになったあたしの家族に笑いや意外な驚きをたくさん与えてくれた。小さな命だったけど、大きな存在だったなぁ。どうして死んじゃったの?あたしはてっちゃんからいろんなことを教えてもらった。これからもたくさんいろんな事を教えてもらいたかったのに。

 てっちゃんが死んで昨日で一ヶ月が経った。てっちゃんが死んでから初めててっちゃんの夢を見た。いつもの場所に座ってあたしを見上げている夢。元気だった頃のてっちゃんの夢だった。もう会えないてっちゃん。今までホントにありがとね。あたし、とっても楽しかったよ。ホントにありがと。大好きだよ。てっちゃん。

てっちゃんの写真はこちら。


●眼を鍛えよう(99/5/16)
 今日、副島 泰さんの「東京残照 1999」と題する写真展に行って来た。この写真展のテーマは「建築物をモチーフとして、近代の歴史を探ろうとするもの」というものだ。
 写真を見ていると、「あ、ここ、通ったことある!」「あれ?ここも知ってる!」っていう場所がでてきた。普段何気なく歩いている街に、通り過ぎていく道に、こんな風景があったなんて!こんな美しい建物があったなんて!
 関東大震災を逃れ、戦災を逃れ、今も街を歩いていく人達の目を、街に住む人たちの目を楽しませてくれる建物たち。バブル期の地上げに負けなかった「はなし家」長屋の写真を見ていると「写真」の力を感じてしまう。。
 街の何気ない眺めの中から歴史を重ね続けてきた風景を切りとって見せてくれる、そして「なにか」を気づかせてくれる写真たち。それに、そんな風景を見いだす写真家の眼の鋭さ。
 あたしは写真家ではないけど、普段の風景の中に埋もれている美しい風景、建物、花、木々等、少しでも見いだしていきたいと思った。そしてそんな風景に気づけるような心のゆとり、敏感な気持ちを持っていたいなぁと思った。
 きっとありふれた風景の中にもたくさんのステキなものが隠れているのだろう。それをどれぐらい見つけられるか。眼を鍛えて、たくさんのステキなものを見つけたいと思ったりした。こんな事を気づかせてくれる、そんな写真展だった。
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後日談
 副島さんの奥様に無理にお願いして水曜日の夕方から受け付けをさせていただいた。
 ほんの数時間の間だったけど、写真を見に来られるお客さん達が嬉しそうな顔をして見ていかれる様子を眺めていた。お客さんたちは帰り際に「私はあの写真の近所に住んでいたんですよ」とか「なつかしかった」とか「今でもこんな場所が残っていたんですね」など、様々な感想を述べていって下さる。芳名帳にご自分の生まれた年を書いておられた老人もおられた。
 みなさん、それぞれの思いを抱いて写真を見ていくのだろう。同じ建物、同じ風景なんだけど、見る人様々な思い出があるんだろう。そんなことを思いながら行き交う人たちを見ていたら、とても切ない気持ちになった。みんなそれぞれの人生をいろんな思いを持って生活している。普段は見ず知らずの人たちだけど、「写真」を通して「共有」している「もの」を感じずにはいられない。街に隠された風景を切りとって見せてくれる写真。そして見るあたしたちを繋げていってくれる写真。上手く書けないけど、普段それぞれいろんな思いを持って生活しているあたしたちだけど、実はみんなどこかで繋がって生活しているのかなぁ・・・なんて思ったりした。

●思うこと(99/6/9)
 今年の初めからずっと考えていたことがある。今まで恥ずかしくて言葉に出来なかったのだが。

 「ユニバーサルデザイン」って言葉をお聞きなったことがあるでしょうか。あたしはこの言葉は知っていたのだが、実際どんなものだろうと思っていた。今年の初めに何かのテレビ番組でユニバーサルデザインに則った(という表現が適切かどうか分からないですが)家電製品を見た。デザインも可愛らしく、そして誰にでも使いやすいもの。何だか心揺さぶられた感じ。その後あれこれユニバーサルデザインについて調べてみたのだが、行き着く先は建築方面(バリアフリー)だった。でも建築だとあたしはサッパリ手も足も出ない。

 「機能美」って大切だと思っている。今読んでいる本の中「鑑賞が主な目的である絵画や彫刻とは違って、ものをデザインする場合にはそれを使用する人々がいることを忘れないのが第一」って書いてあった。ちょっと前に読んでいた本の中で工業デザイナーさんのこんな言葉があった。「名前も知らない人がデザインした製品が、たくさんの人の手に渡って、その人達の生活を支えている、なんて素晴らしいことだろう」。
 作り手としては、使い手に気に入って貰って、いつまでも愛用してもらえたらきっと嬉しいと思う。そしていつまでも使って行きたいって思ってもらえるようなデザイン。

 なんで恥ずかしくて書けなかったというと、この方面のお勉強をしてみたいと思ったからだ。何かを作るってことにとても興味のあるあたし。ホントの所、自分が何をしたいのかも良く分からない。そして今更その世界でやっていけるとも思っていない。けど、なんだかとても心惹かれている。こんな風に心惹かれる事ってあまりない。今の気持ちは目の前に海もしくは草原がぱぁぁっと広がっている感じ。どの方向にどう進んでいったら分からない。何をどうやっていって良いかも分からない。とりあえずこの方面の本を読んだり、ネットであれこれ調べている。そのうち何か手応えを感じる日も来るかもしれない。それまで自分なりに探していこうと思っている。(同僚の皆様。これを読んでも何も見なかったこと、読まなかったことにしておいて下さいな。意見や感想など言われちゃうとマジで恥ずかしくなってしまします。)

ユニバーサルデザインの7原則
 1.誰にでも公平に使用できること
 2.使う上での自由度が高いこと
 3.簡単で直感的にわかる使用方法となっていること
 4.必要な情報がすぐ理解できること
 5.うっかりエラーや危険につながらないデザインであること
 6.無理な姿勢や強い力なしで楽に使用できること
 7.接近して使えるような寸法・空間となっていること

●思うこと−その2「歳のせいにしたくない今日この頃」(99/8/13)
 実はあたしは結構恥ずかしがり。きゃ。でもこれでもホントにシャイな所があるんです。で、やっぱり思っていたけど書けなかったこともたくさんあり、でも、ちゃんと文章にしておかないと忘れちゃうので、赤面しながら書こうと思っています。

 上の方の文章に「ユニバーサルデザイン」の事を書いた。あたしはそっち方面の事を少しお勉強したいって思った時のこと。あたしはすでに“いい年”で、とても学校に行ってお勉強なんて出来ないって思っていた(ヘタすると先生より年上ってこともありそうだし)。が、ちょっと不謹慎なんだけど、ある日のニュースで定時制高校で殺人事件があった事を聞いた。同級生同志の喧嘩が元で片方の方が刺されて亡くなってしまった。で、その殺されてしまった方の年齢が71歳だった。ビックリした。そのお年で定時制高校に入って自分のお孫さんと年齢の変わらないであろう子ども達と机を並べてお勉強をされていたなんて!

 このことを友達のKちゃんと話をした。あたしはお勉強をしたいけど、年齢が年齢だけに・・・って思っていたけど、71歳で定時制高校に通っている人もいるんだよねぇ・・・って言うと、Kちゃんは先日テレビで80代で大学受験して法学部(?ちょっとうろ覚え)に入ったおじいさんがいるんだよ、って話してくれた。それからどこかの大学教授(工学系)が医学の勉強をしたくなって普通に受験して医学部に入った教授もいるんだよっって話もしてくれた。

 この話を聞いて、やる気さえあれば年齢なんて関係ない。行動力のない自分の行動力のなさを歳のせいにしている自分に気が付いた。かなり反省。確かに今のあたしの状況って結構忙しい。それに一番の問題はあたしが具体的にどんなことを勉強したいのがハッキリした方向性を持っていないこと。全てがクリアになってレッツゴー!っていう風にはならないだろう。でも、やる気と方向性さえ掴めたら・・・と思っている。そして歳のせいにしないで、向上心を忘れずにいたいと思う。

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