1998年のひとりごと


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●ビルの中の光
 会社の近所に建設中のビルがある。まだ鉄骨が組み合わさっただけのビル。下から見上げると空が見える。
 東京に数年ぶりの大雪。その翌日ビルの鉄骨の上に積もった雪が融けて雨のようにビルの中に降りそそいでいる。青く晴れた空を背景に鉄のオブジェのようなビルの中をきらきらと輝きながら雫が次から次へと落ちてくる。とても綺麗でとても不思議な風景だった。

 そのビルも完成に近づき、もう空は見えない。

●川の名残
 通勤で毎日通る道。昭和の初めまで川だったところ。それほど遠くない過去、この地にも清らかな川の流れたあったのだ。失なわれてしまった川の流れはもう戻っては来ない。川の姿はなくなってしまったけど、道に名残を残している。くねくねと続く川の名残の道。あたしはこの川の名残をいろんなことを考えつつママチャリで走り抜けていく。

●洋子さん
 去年の暮れ、洋子さんが亡くなった。あたしはその知らせを受けたのは今年の1月5日。彼女の追悼式が1月10日に行われた。
 追悼式の後彼女の住んでいた部屋へ行った。彼女が具合が悪いと言って病院へ行ったとき、こんなことになるなんて誰も思わなかっただろう。もちろん洋子さんも。彼女の部屋は未だにあるじの帰りを待つかのように生活のにおいで満ちていた。きれいにたたまれた洗濯物。台所に片隅に芽の出たじゃがいも、しおれた野菜たち。真っ白な1998年のスケジュール帳。笑っている彼女の写真…。何かが胸に突き刺さった感じだった。そしてその“なにか”はときどきあたしの胸を刺す。何気ないときに痛みがよみがえる。

 短い人生だったけど、不器用に、そして一生懸命に生き抜いた彼女の生き方、彼女の死はあたしにたくさんのことを教えてくれた。命とはなんと貴重なものなのか。生きることを楽しむこと、正直に素直に生きることの大切さ、あるがままの自分を受け入れていくこと…。
 あたしはこの日を境に若くして亡くなった洋子さんの分も楽しく生きていこうと決意した。
 そしてこの日はあたしにとって忘れることの出来ない数十回目の誕生日となった。

●クランベリーソーダ
 今、モスバーガーのクランベリーソーダにハマっている。あたしがときどき行く神楽坂のモスバーガーのレジにはお母さんみたいな年齢の方がいる。人生のベテランのおばちゃん(失礼!)たちの接客は若い子のマニュアル通りの応対と違い、なんとも新鮮な感じなのです。さわやかなクランベリーソーダのようなおばちゃんたちの応対に、つい嬉しくなり、また足を運んでしまうあたしなのです。

●図々しい夢
 あたしは考えていることが割とそのまま夢の中に出てくる。
 このまえ音楽の師匠からお借りしたClaptonのLive Videoを見ていた。そのままあたしは眠ってしまった。そして夢を見た。Claptonと同じステージで歌っているのだ!我ながらなんて図々しい夢を見てしまったのかと思う。でもでも夢の中だったけど、claptonと一緒に歌を歌えて幸せだったなぁ(^。^)!

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●黒い悪魔「ケンケン」
 ケンケンは体重が8kgもあるデブねこです。彼は自分の体重も考えず本棚の上からあたしのお腹めがけて飛び降りてくる。朝、夜が明けないうちから「うにゃぁぁ〜〜ぉう」とでっかい声で鳴きながら走り回る。部屋のふすまで爪を研ぎ、おかげでふすまはボロボロ、睡眠不足であたしもぼろぼろ。
 でも、そんなヤツでも、寝ているときは可愛いと思う。寝ているときは…。

●いくら考えたって、お腹は一杯にならない
 歩きながら考え事をするのが好きだ。(だからよく転ける)。
 てくてくと歩きながら人生のことから晩御飯のおかずのことまでいろんなことを考えている。
 最近「東京の空間人類学」という本を読み始めた。この本は「日本の都市を読む」ための文法書、都市学の定番本なのだそうです。この本を読みつつ街を見つめ直すと今までとは違った風景が見えてくる。いや、正確には“気づく”といったほうが良いのかも知れない。
 あたしは街の中の今まで気が付かなかった部分を一生懸命“見よう”と目を凝らしてみる。現代の風景の中に息づいている江戸時代の風景を見つけようとがんばってみる。できることなら江戸時代にいってみたい、などと思いつつ昔の人たちの生活のことなど考えてみる。
 あたたかくなったら、あちこち歩いてみよう。自分の足で坂を上ってみよう。リアルな「江戸のなごり」に触れてみたい。

●髪を切った
 3、4年ぶりに髪をショートカットにした。髪を伸ばし始めた頃、人間不信になりそうな辛いことがたくさん重なっていた。
 そう、あれから3、4年も時間は過ぎてしまったのだ。辛かったことのある部分は解決され、未だに未解決なこともある。しかし、その数年間に少しは精神的に成長したと思う。だいぶ冷静になれたと思う。
 髪を短くしようと思ったのは、もしかしたら、もう過去の辛かったこととおさらばするためかもしれない。
 久しぶりにあった友達に「昔の大谷ちゃんに戻ったじゃん」と言われた。人間不信のかけらもなかった頃の自分に戻れるなら戻りたいけど、しんどいことをそれなりに乗り越えてきた今の自分も結構好きだったりする。

●川の跡を歩く
 先日「東京の水」というホームページを出されている本田さんと地元(音羽、雑司ヶ谷辺り)の二つの川の跡を歩いた。くねくねとした川の跡の道をたどっていくと、今まで見過ごしていたことがたくさんあったことに気が付く。道の脇の崖を見ると未だに水がしみでてきている。そしてしみだした水が小さな小さな流れを作っていた。水のしみ出ている回りには“藻”もしっかりと生えている。橋の跡もあったりしてビックリした。
 偶然に川のことを知っているおじさんに会うことができた。その人は70才ぐらいだろうか。そのおじさんは「昔、笹舟を流して遊んだなぁ」となつかしそうに話して下さった。
 今ではどれほどの人がこの地に川が流れていたことを憶えているのだろうか。
 本田さんにはこれからも暗渠となってしまった川の名残をたくさん書き残していってもらいたい。
 …って訳で、この川の詳しいことは本田さんの「東京の水」をご覧下さいっ!!

●リアルな江戸の名残に触れてみたい(98. 3/24)
 江戸の名残に触れてみたいと思いつつ回りを見渡してみると、あります、あります。江戸の名残。
 今日、久しぶりに昼間の神楽坂を歩いた。牛込橋の上から眺めるお堀はとても穏やかにきらきらと光っていた。1636年(寛永13年)外堀が開かれたときにに最初の牛込橋がかけられたそうです。その牛込橋のところに牛込御門跡がある。ここは江戸城から牛込の出口にあたり、重要な交通路の見張り場所だったそうだ。
 がっしりとしたその石垣は江戸時代から、いろんな人の行き来を見てきたのだろう。この橋を行き来する人たちはどんな思いでこの橋を渡っていったのだろうか…。
 卒業式帰りの袴姿の女の子たちが楽しそうに歩いていた。別れと出会いの春。みんなhappyに過ごしてほしいと思う午後だった。

それにしても牛込橋の欄干にくっついている張りボテのやぐら(?)はちょっといただけないなぁ(^^;)。

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●ホームページを出してみた(その1)(98. 4/1)
 ホームページを出してみた。いろんな反応が返ってきた。
 見て下さる方達が暖かい見方をして下さるので、本当に有り難い。優しい誉め言葉をたくさんいただいた。本当に嬉しかった。
 なぜあたしはホームページを出したのだろう?と考えると、我ながら「???」なのだ。誰がこのページを見てくれるのか解らないが、親兄弟にも話せないような日々思っていることなどを平気で書いちゃったりする。自分の内面をさらけ出したりしている。
 ホームページを出すことはあたしにとってどんな意味があるのか…。この件はこれからも日々考えていこうと思う。(つづく)

●体調が悪いよぉぉ(98. 4/8)
 体調が悪い。あまりすっきりと良くならない。眠っても、恐い夢を見て目が醒める。
 会社の方達や友達が気遣ってくれるのでとても嬉しく、ありがたい。
 体調が悪いと今まで普通に行っていたことが出来なくなり、超悔しい!。また心配性のあたしは外出先で具合が悪くなったらどうしよう〜〜って考えるだけでも不安なのです。が、その反面、なるようにしかならないって思っているのだけど。

 あたしの具合の悪さは本当に深刻な病気を抱えている方達から比べたら全然対したことはない。父が入院中、病院へよく通った。重い病気で(それも慢性的な)で長いこと入院されている方、小さなお子さんを家に残し入院している若いお母さん、心配そうな表情の病人の家族たち…。病院の中っていろんな人の人生を感じてしまう。
 こういう現実を目の当たりにすると、元気でごく普通に生活できることにとても感謝できる。こんな経験を通して病気の人、病気の家族を持たれる方の気持ちがだいぶ解るようになった。

 健康のために苦手な牛乳を飲むようにしよう、早寝、早起きを心がけよう…なんて考えたりしてね。

 みんな、みんな元気で丈夫でhappyでいてほしいと心からねがう。

●近所の木(98.4/19)
 うちの近所に清水○設の社宅跡がある。社宅を建て替えると聞いてから10年ぐらい経っている。ま。それはいいのですが…。
 その社宅跡の中にすんごい立派な銀杏の木がある。桜の木もある。塀の外からときどきその木々を眺めるのが好きなんです(のぞき趣味だなぁ(^^;;)。誰に見られるわけでもないのに毎年きれいな花を咲かせたり、立派な葉っぱを生やかしたり…。特に今の時期が本当に眩しいほどきれいなのです。
 いずれ社宅が建て替えられる時がきたら、あの木々は伐られてしまうのだろうか?木が立派に育つのって時間がとても必要なのに、伐ってしまうのはほんの一瞬で済んでしまう。
 できるなら、その社宅を建て替えるときは今ある木々を活かすレイアウトで建て替えて欲しいっっ!と、心の底から思うのです。清○建設さん!ぜひぜひよろしくお願いしますっ!

 って、訳で、最近街を歩いていると「木」が気になるのです。近所で見かけた大きな木の写真をホームページに載せてみようともくろんでおる次第です。

●ホームページを出してみた(その2)(98. 4/19)
 ホームページを見て下さった方から暖かいお手紙をいただくことがある(これがチョ〜嬉しい!!)。あたしが「ホームページを出してみた(その1)」で書いた内容についてのご意見をいただいた。poojeeさんからである。こんな内容であった。「ホームページ作成は、単なる宣伝ではなく自己確認だと思っています。人間、いくつになっても、この作業(自己確認作業)はいろんな形で行なっていくと思います…」。なんだか、あたしが今まで「???」と思っていたことの答えがあっさりと見つかってしまった気分だ。
 性格診断のページをある方のホームページから見つけて自分の性格を診断してみた。当たっているか、はずれているか、何とも言えないが、自分の性格を客観的に分析する手助けになったと思う。刻々と変化していく自分自身の「自己確認」、「自分探し」。答えが出そうで出ないことだろうけど一生続けていくのだろうな。
 あたしもこれからもホームページの作成を通して「自己確認」を続けて行こうと思う。でもあくまでお気楽に、楽しく探して行こうとおもう。
(つづく)

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●菜の花と青虫(98. 4/29)
 ちょっと季節外れだけど…思い出したので、忘れないうちに書き込もうと思いまして…(^^;;)。

 毎年春になると菜の花のスパゲッティを作る*のがここ数年の恒例なのです。
 今年も菜の花が出回り始めた頃このスパゲティを作った。
 その時のことだ。まな板の上に菜の花をぱさっと広げたら、うにょにょ〜〜と5ミリほどのの大きさの青虫が5、6匹出てきた。ひええ〜〜と思いつつも「どうせ火を通して食べるのだから、よく洗えば大丈夫だ」とワシワシと菜の花を洗い、無事にスパゲティを作り、食べました。

 よく考えると、青虫がついていたという事は、農薬を使っていないということなのだろう。だから虫が付いていてもしょうがない。もし、虫が付いているのがイヤだったら農薬を使っている野菜を食べるしかないのでしょう。…「農薬、口に苦し(そりゃ、良薬だって〜の!)」なんて言葉を思い出しちゃったよ。

 「地球に優しく」なんて言葉がよく聞かれた時期があった。本当に「地球に優しい」生活をするのなら、多少の虫や形の悪い野菜でも我慢しなければならないだろう。今よりも水準を落とした面倒くさい生活に甘んじなければならなくなるだろう。そんな覚悟がなくちゃ「地球に優しく」なんて言葉は言えないなぁ…なんて、しみじみ思ってしまった春の夜だった。

*(菜の花スパの作り方−まず菜の花を軽く茹で、食べやすい大きさに切る。オリーブオイルでにんにく、鷹の爪を軽く炒め(お好みでベーコン等を入れても美味しい)、そこに茹でた菜の花をいれ、塩胡椒で味を整え、茹で揚がったパスタと混ぜれば出来上がり。簡単で美味しい春の味なのです。)

●哀しいけれど忘れてしまう(98.5.7)
 どうしてだろう。いつも思うのだけど、絶対忘れたくないと思っているのにどんどん忘れていってしまう。大好きな人と話したことや、手の暖かさ。絶対に忘れないって思っていたのに、どんどん記憶が薄れていってしまう。
でも、辛いときに思い出すようにしている。笑いかけてくれたこと、いろんなことを一緒に話せたこと。…sweetな思い出。あたしにもそんなイイコトがあったんだよね。これからもガンバっていけばまたきっと良いことあるよね。

 思い出に頼って生きていくつもりはないけれど、疲れたとき、ふっと思い出し、またがんばって行こうと思う。

 その反面、もう忘れてしまいたいと思うことはなかなか忘れられない。
なんとも脳味噌というのは不思議な物体ですなぁ。

●ホームページを出してみた−その3/ホームページはぱんつなのだ−
 (98/5/11)
 なぜホームページを出したのだろう?と考え初めて2カ月ほど経っただろうかか。なぜこんなことを考え始めたかというと、あたしの知り合いに確実にこう反応する人がいるからだ。それは「どうせ他の人の注目を自分に集めようとしてやっているのだろう」という反応。彼らはいつも素直じゃないな反応しかしない。ま、彼らのそんな反応には慣れっこになってしまっているが、自分の中に本当にそんな感情があるのかどうか、自分の考えをを調べたいと思ったからだ。

 深い意味や、いろんな考えがあってホームページを出そうと思っていた訳ではない(まぁ多少考えたことはあったが…)。サイバーな世界に足をつっこんでみたかっただけ。とりあえず流行りモノには手を出しておこうという興味本位だけだった。ただ結果的にpoojeeさんのおっしゃるとおり、ホームページの作成は自分探しのためなのだと思う。自分の感じているいろんなことを文章に表してみることにより気持ちの整理を付けたかったのかもしれない。でなければ、親兄弟に話したこともないようなことをおおっぴらにさらしたりはしなかったと思う。

 初めてホームページを出した日、夜中にもかかわらずメールを送れる友人知人全てにメールを出しまくった。恥ずかしいけど、それでも見て欲しいという複雑な心境だった。なんだか「ぱんつ」を見せちゃうぐらいの恥ずかしい気分だった。

 でも一度見せちゃうと平気になってしまう。それどころか、もっと見てみて〜〜っ!!てぐらい図々しい開き直った態度になってくる。

 ……やっぱり自分に注目を集めたいだけなのだろうか(--;;;)。  おわりっ!

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●長崎うどんの昼下がり(98/5/12)
 会社ののりちゃんとお昼ご飯を食べに「翁庵」へ出かけた。お客さんの7割はサラリーマンのおじさんという渋いおそばやさんだ。そんな「オヤジ」のムードに飲まれたのか、のりちゃんと「仕事とは」見たいなことを「長崎うどん」をワシワシと食べながら、熱く語り合っていた。うどんを食べ終わり、渋いお茶を飲みながらふっとレジの方を見ると、あたしの大好きな、憧れの人が立っていた!おぉぉぉ〜〜っと思いつつ、あたしは憧れと尊敬のこもったまなざしで(普段の目のサイズより2倍ぐらい大きくなっていたと思う。そしてきっとうるうる〜〜っとしていだだろう)その人をじ〜〜っと見つめていた。その人はあたしの視線に気づき、力強い眼でにっこりと応えてくれた。

 その人、数学者の秋山仁さん。今年の正月のあるテレビ番組で秋山さんの話を聞いた。正確な言葉は忘れたが、「苦労は報われない。されど挑戦は続く」といったような印象深い話をしていた。なんだか、正月から元気の出る話を聞いたなぁ、なんて思ったことを思い出した。
 その時、「そうだよな。うまくいかないことばっかりだけど、挑戦を続けていかないとなぁ」なんて思ったんだっけ。

 で、あたしは秋山さんと会えた嬉しさのあまり会社に戻り原田宗典さんのように「大谷しあわせ音頭」をフルオーケストラをバックに1番から4番まで「ハァァァ〜〜」と歌いつつ自慢しまくった(ウソ)。でもそれぐらい嬉しくて会社のみなさんに話まくってしまった。なんだか、ウレシイ昼下がりでした。

●見えないけれど感じるモノ(98/5/13)
 視線って不思議だと思う。ある日てくてくと歩いているとなにかを感じた。ふっと見ると犬があたしをじ〜〜っと見ていた。逆に誰かをじ〜〜っと見ていると、視線に気づいたその人がこちらを見てくれるってこともある。猫はじ〜〜っと見つめると眼を逸らす。視線って不思議だ。

 今日駅のホームで電車を待っているお母さんに連れられた赤ちゃんがじっとあたしの顔を見ていた。すっごく澄んだきれいな眼。なんであんなにきれいな眼をしているのだろう。なんでかなぁ?って電車に乗りつつ考え始めた。きっとまだ細胞が若いからきれいな眼なんだろう。それに汚いものを見ていないからなのだろう。見るものすべてが新鮮だから、眼もキラキラするのだろうか…。大人になればなるほど見たくないものもそれなりに見てしまう。汚いものも見てしまう。哀しい、辛いことも見てしまう。だから大人になると眼も濁ってくるのかなぁ。でもさ、どうせ見るならきれいなもの、美しいものをたくさん見たいですな。

●雨の日に(98.5.24)
 懐かしい痛みだわ。ずっと前に忘れていた…って感じでした。日曜日、雨の中、友人達と野球もどきをした。その時、あっしは守備をしていた。友達の打ったボールがぴゅ〜〜んとあっしのほうへ飛んでくる。「よ〜〜し!取るぞぉぉ」と気合いを入れてボールを追いかける。一生懸命走った。が、気持ちとは裏腹に足が付いていかない。これは転ぶぞ!と思った。そのとたん風景がスローモーションになる。あらら〜〜と思いながらすっころんだ。気が付くとお気に入りのTシャツはどろどろ。ついでに手のひらを擦りむいて、真っ赤っか。友達は心配して「大丈夫?」と聞いてくれた。ホントはとても痛かったけど、「大丈夫〜」なんて強がったりしてた。
 夜お風呂に入ったが、その時にお湯がキズに滲みて「く〜〜〜〜っ」と声にならない悲鳴をあげてしまった(ちょっと大袈裟(^^;;))。この痛み。小学校の頃、よく転けて膝を擦りむいたりしたときの痛みと同じ。すっごく懐かしい痛みだ。
 大人になり、派手に転ぶこともなくなり、こんな痛みを忘れていたよ。久しぶりに走って、すっころんで、手のひらを擦りむいて…。なんだか小学生に戻っちゃった、そんな気がした。

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●歩く、歩く!(98.6.12)
 夏至が近づき、ますます日が長くなってきた。
 今週もよく働いた。仕事が終わって会社を出ると、まだ外は明るい。
なんだか、いろいろ考えちゃうことがあり、少し辛くなってきていた。
そんなわけで、気持ちをクールダウンするためにも、今日は歩いて家まで帰ろう!と決めた。

 神楽坂をてくてくと上っていく。週末だけあり、街は華やかな感じだ。緩やかな人混みを避け、一本裏の道に入ってみた。あたしは超方向オンチなので道に迷うかも知れない…と思ったが、それはそれで楽しもう!と思い、歩いたことのない道を進んでいった。見慣れない景色。見慣れた表通りの華やかさから想像できない静かな住宅街。坂を登り切って見おろす風景は、この場所が高台なんだということを教えてくれる。
普段は土地のアップダウンなんて考えないで歩いていたのだけどね。

 坂を登り切ると後はどんどん下り坂になる。自分の住んでいる街が「窪町」と言われていたことを実感する。以前本田さんと歩いた水窪川の跡を歩いて家まで帰った。
CD一枚分の時間をかけて、きょろきょろ回りを見ながら、寄り道をしながら、いつも通らない裏道を黙々と歩く。額にうっすら汗が浮いてくる。気持ちが少し軽くなる。

 家に帰ると友達から手紙が届いていた。友達の暖かい言葉の詰まったお手紙を読み、また頑張ろうと思った。

●日本の夏、キンチョーの夏(98/6/16)
 その日は朝から何とも歯車のかみ合わない日だった。
 朝起きてご飯を食べに台所へ行くと、なぜが家族が朝食の後かたづけもせずに出かけていた。そして、あたしの朝御飯がなかった。しょうがなく適当にあるものを食べ、洗い物などをして会社へGO! 仕事も無事に終わった。夕方少し時間があったのでCD屋さんへいった。2枚購入したのだが、1枚はちょっと失敗。好みの曲ではなかった。かなり悲しかった(; ;)。もう一枚は以前に音楽師匠から借りたことのあるMondo GrossoのCDのリミックスだったので気持ちよく聞けた。そんな風にその日の夜は更けていった。
 その夜お風呂から上がり、ワインクーラー片手に部屋に戻ったときのことだった。部屋の電気をつけたその時、「やつ」の動く姿を発見。一瞬だったが見逃さなかった。ヤツを見つけたしまったあたしの頭は一瞬真っ白。もう家族も寝静まっている。だれも助けてはくれない。気分はリプリーVSエイリアン。戦うしかない。で、殺虫剤(キンチョール)を探し出し、ヤツの隠れていそうな所をめがけて「しゅ〜〜〜〜〜っ」と薬を撒きまくる。「どこだ!どこに居るんだ!」と思いつつ、殺虫剤をさらに撒く。すると「カサカサ」とヤツの動く気配が…(こんな時って全身が耳になっているので、どんな音も聞き逃さないものですな)。音のする方へ、さらに殺虫剤を撒く。机や電話機がつるつるになるぐらい撒いた。すると、ヤツがヨレヨレと出てきた。今度は直接ヤツをめがけて狂ったように殺虫剤を撒く。が、なかなか死なない。こんな風に10分ほど戦っただろうか。ヤツは動かなくなった。と、油断していたら、カサカサと再び動き出した。あたしは気を失いそうになったが、ここで気を失っている場合ではない。「ヤツを片付けなければ…」。ありったけの勇気を絞り出し、近くにあった紙袋へ、ない知恵を絞りだしヤツを入れる。ヤツはまた生き返るかも知れないという恐怖があたしを襲う。そうだ、トイレへ流そう。こわごわヤツの入った紙袋を持ってトイレにヤツを流す。そして戦いは終わった。

戦い終わって。今度は殺虫剤だらけになった部屋の掃除。夜中の一時に雑巾掛けをする。
 なんとも疲れる一日だった。

●ダメなものはダメなのよ(98/6/16)
 おバカな黒猫ケンケンは8kgもあるデカイ猫だ。そして凶暴。暗闇から突然飛び出してきてかみついたりする。飛びかかってくることもある。本当に恐いヤツなのだ。が、ケンケンは自分より小さくても犬が恐いのだ。ホント小さな子犬でもケンケンは背中の毛を逆立てて逃げ回る。ケンケンはカエルも苦手なようだ。
 あたしはそんなケンケンを見て、なんて情けないヤツだと思っていた。が、そんなあたしの考えを改めるときが来たのだ。
 それは上記の「日本の夏、キンチョーの夏」に書いた、ゴキとの遭遇がきっかけだ。あたしのゴキのサイズの差は多分ゴジラと車ぐらいではないかと思う。ゴキから見ればあたしはゴジラぐらいのサイズがあるのに、あたしはヤツが恐ろしくてたまらない。きゃぁぁ〜〜っ!悲鳴を上げて逃げ回る。たかが虫一匹なのに(5、60匹で襲ってきたら超恐いけど)。そんな小さな虫ごときにビビっている自分のことを考えると決してケンケンのことを「情けないヤツ」とは言えない。君のことを情けないヤツって言ってごめんね…と、しばし反省する真夜中だった。

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●父のこと(98/8/18)
 父が今年3回目の入院をしている。
 母が父のパジャマを畳んでいた。Lサイズの大きなパジャマ。

 父は昔漁師をしていた人だった。とても頑強で病気一つしない、
タフで働き者の男だった。

 あたしは父が苦手だ。ここで全てを述べることは難しい。
父は傲慢で自分の思い通りにならないと、とたんに不機嫌になる。
家族のものが父の気に入らないことをすると容赦なく言葉の暴力(時には本当にぶたれたりしたけど)で家族を罵る。本当に父を憎いとさえ思ったことが何度あっただろうか。

 そんな父が6、7年前癌を患った。その時である。父の人生って…と考えたのだ。父の生まれ育った村(そして家)はとても貧しく、父は若くして働かざるを得なかった。そして第二次世界大戦。自分のことだけを考え、自分の夢を追いかけるなんてことの許されない時代を家族のため、生き抜くため、一生懸命に生きてきたのだろう。

 戦争も終わり、自分の家庭を持ち、漁師から印刷屋へ転職し、家族のためにただ働き詰めだったろうだろう。自分の趣味や楽しみらしいものもなく、毎日インクにまみれて一生懸命働き、家に戻り酒を飲み眠る…という生活の繰り返しだったのだろう。

 仕事もそれなりに落ちつき、さあこれからって時に癌にかかった。
幸い癌の手術は上手く行って再発はしていない。
が、持病の糖尿病の悪化に伴い腎臓がだめになり、今度は肺が悪くなった。
今回の入院は肺の機能低下の治療のための入院だ。

 未だに我侭な父に振り回されている。もしこの人がよそのおじさんだったら他人と割り切れるので、どんなに良かっただろうと何度思っただろうか。

 だけど、どんなに憎いと思っても、やっぱり掛け替えのない父である。
本当に体格の良かった父がすっかり痩せて枯れ木のようになった姿を見るのはとても辛い。もうLサイズのパジャマがブカブカになってしまった。そのことを認められない母が父のために買ってくる服は相変わらずLサイズ。

 人間の命なんていつどうなるか分からない。だけど出来るだけ長く、穏やかに幸せに楽しく過ごして欲しいと祈っている。

*8/21に父の退院が決まった。

●清水ミチコ(98/8/29)
 この前、清水ミチコの「清水ミチコの顔マネ塾」という本を買った。
 ラーメン屋でこの本を開いてみる。やられた。このまま見続けるのは食事中には
危険な行為である。すばやく本を閉じる。
 仕事も終わり、電車の中で再び本を開く。涼しい顔でしばらく読み進める。
しかし「ぷっ」と笑い声が漏れてしまう。ダメだ。これ以上笑いを堪えることは出来ない。読み続けることは無理だ。再び本を閉じる。
 そして帰宅。今度こそゆっくり本を見られる。これが同じ人物かと思うぐらい見事な顔マネ。これはもう芸術だろう。
 この本を見ながら笑い、涙し、彼女の深い洞察力に感動した。
 暇とお金のある方(そうじゃなくても)一度本屋さんで立ち読みでも良いから見て!
ホントに凄いよ!

●だから医者って…(98/9/21)
 1カ月以上く前の話だが…。あまりの頭痛に耐えかねて病院へいった。
 普段見てもらう病院がお盆休みだったので、しかたなく別の病院へいった。その病院の待合い室にはおじいさんとおばあさんがたくさんいた。その日たまたま若い患者さんが多かったのか、あたしの隣に座っていたおじいさんが隣のおばあさんに「今日は若い人が多いねぇ」とか「こりゃバイアグラ飲まなきゃぁいけないなぁ。がはははは」と話しかけていた。それに答えておばあさんが「でもその薬で死んだ人いるのよ」とそっけなく返事をしていた。そんなジジババの会話を頭を抑えつつしばらく聞いていたらあたしの診察の番が回ってきた。

 看護婦さんに呼ばれて診察室に入る。
 太ったお医者さんが椅子に座って「どうしました?」と聞いてきた。
で、頭が痛いのです。と、ごく普通の問診が続く。
 そしてあたしが「そういえば首の筋を変えてしまって…」というとお医者さんがあたしの後ろに回り、肩を掴みぐいぐいと前後に動かしたり、首を掴んで左右にガシガシと曲げ始めた。すっげ〜〜痛くて思わず足をぱたぱたさせたら、「タップダンスか?」とお医者さんが聞く。あたしが「痛いんです」と答えても何の返事もせず、「首の骨が曲がっている」というと、「そこに横になって」とベッドにうつ伏せに寝かされた。そして、首をグキッと回し、背骨をバキバキッと押し、骨の曲がりを直してくれた。そう。首の筋違いが頭痛の原因だったのだ。
 そして看護婦さんに「局麻(局部麻酔)○○ミリ」というと、注射器が出てきた。そしてわしの首に「必殺仕事人!」と言いながら、じゅう〜〜〜っと注射したのだ!わしが思わず「延髄はやめてね」というと「冗談の通じない人だ!」と冷たく言い放った。注射の後「痛くなくなったでしょう!」と言った。わしは「まだ痛いですけど」と言うと、頭痛は取れているはずだと言う。ついつい「はい。痛くなくなったと思います」などと心にも無いことを答えてしまった。それで治療はおしまい。とても内科とは思えない数々の治療。そして上から押さえつけるような横柄なお医者さんの態度。ホントに痛くて、恐かったよぉ〜〜。だからお医者さんって苦手さ!

 その後、首に湿布を貼り3日後に頭痛から解放された。

後日談:看護婦さんをしている友人にこのことを話した。すると「じゃ、注射の後、すぐ痛くなくなったでしょ」と言われたが「ううん。全然」と言うと、お友達は「上手いお医者さんなら一発で痛みが取れるんだけどね〜〜」と言っていた。
なんか、恐い思いをしただけ損をしたと思った。

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●iMacがやってきた!!(98/10/20)
 待ちに待ったiMacがやってきた!すっごく可愛いお姿!可愛い外見に似合わない処理スピード!ホントにすごいのだ!
 確かにマウスは使い難い、キーボードも使いにくい。正直言ってイライラしてくる。
でもね、可愛いから許しちゃう。だってあたしは面食いだからなのさ。

 でね、今日はiMacで書いているのよ。わ〜〜い!うっれしいなぁ!!


●西武池袋線(98/10/20)
 最近整体を受けるために西武池袋線にのって石神井公園駅まで通っている。
土曜日の午前中という時間帯の姓なのか、車窓の風景ものどかだが、乗客のみなさんも本当にのどか!!なんともくつろげる電車なのです。
それに知らない人同士が親しげにおしゃべりを始めたりしている風景は山手線や有楽町線では見られない風景だ。
 あたしもこの前、隣に座ったおばあさんに話しかけられた。そのおばあさん(80歳)は娘さんのところへ行くと話していた。話題は戦争中の苦労話から自分の着物コレクションの話とどんどん広がっていく。おしゃべりは乗り換えの駅まで延々と続いた。

 西武池袋線マジックなのか、本当に自然に会話が始まるものだなぁと妙に関心してしまった。西武池袋線はのどかでいいなぁと益々大好きになった。

●もうすぐ今年も終わるのね(98/11/4)
 もうすぐさよなら1998年!そしてこんちは1999年。20世紀ももうすぐ終わる。
今年もいろんな事があった。友達、従姉妹を病気により失った。ホームページも出しちゃった。家出もした。なんだかいろんな事があったなぁ。

すっごくさみしくなったことも有った。
当てこすりを言われれイヤな想いをしたこともあったが、
そんな人たちを心から気の毒に思えるようになった。

人間不信になりそうなとき、人の気持ちの暖かさにもたくさん触れることができ、また元気が湧いてきたこともあった。

HPを通していろんな人たちと出会えた。
楽しい人、優しい人、おもしろい人、物知りな人、強い人等々。
本当に嬉しいことだ。

いろんなことを考え、あたしなりにいろんな事にチャレンジしたり…。
忙しくもそれなりに充実した一年だったと思いたい。

 でも、もっと精神的に大人になりたいと思っている。強く、優しく、あったかい人間になりたい。いろんな人と出会って、いろんなことを吸収して成長したい。
って、訳で1999年も前向きに楽しくやっていくぞぉ!!

●やっぱり、プロの仕事はいいねぇ。(98/11/6)
 今日はストレス発散のために衝動買いをした。セーターにスカート、そして靴。
どれもステキなものばかり。でもちょっと買いすぎたかなぁ。まぁいいかぁ!

 いつも行くお店のお姉さんといろいろおしゃべりをしながらお洋服を選んでいくのだが、そのお洋服やの人はとても良心的なんです。前の店員さんは割となんでも進めてくる人だったが、今回の店員さんは自分の気に入ったものを進めてくれる。
そして流行のものばかりでなく、長く、そして流行に左右されずに着られるような服を進めてくれるのだ。この人は本当にこのメーカーの服を好きなんだなぁって感じが伝わってくる。だから安心して買い物が出来る。きっとこれがプロの接客なんじゃないだろうか?と思った。

そしていつも行く美容院の美容師さん。彼女もプロフェッショナルな人だ。
 美容師のお仕事はお給料が安い割に重労働で、彼女曰く「好きでなくちゃやってられない(^-^)」仕事なのだそうです。
体調の悪いときや、お客さんが立て込んで、夕方までお昼ご飯が食べられないこともざらだそうです。それでも疲れた顔など見せずにお客さんの髪をきれいにしていく。
そしてお客さんが帰った後も最新の髪型などのお勉強。休みの日にも研修などと本当に忙しい。そんな話を彼女はあたしの髪を切りながら嬉しそうに話してくれる。
ホントにこの仕事が好きなんだなぁってことがしみじみ伝わってくる。

この2人に共通で感じるものは「誠意」とか「仕事に対する真摯さ」だろう。
仕事に対してもそうだが、きっと彼女たちは何に対しても誠実に接しているんじゃないだろうか。

天職に恵まれる人ってどれぐらいいるかわからないが、自分の仕事を愛して、楽しんで働ける人ってステキだと思う。

*あたしが髪を切っている美容院は地下鉄三田線の千石駅の近所の「サロンドユーウ」さんです。どの美容師さんも気さくで親切。腕もいいよ!と、さりげなく宣伝したりして〜。でも宣伝料はもらってないの。

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●大阪、大阪!!(98/11/25)

 憧れの一人旅!たそがれのしょうしん旅行!
 とうとう行って来ました!大阪、京都!未だ興奮冷めやらず。

 家でのごたごた、自分の中途半端さ、根性のなさ等を払拭したかったこの数カ月。友達に「京都へ紅葉を見に行こう!」と誘われて計画を立て始めた旅行だった。が、友達が病気になり、一緒に行けなくなってしまった。しかし、ある程度計画を立てて進めていたので、思い切って一人で出かけることにした。
 そのことをおばさんの家へ行き、あーだこーだと話していると、大阪のおじさんより電話が入った。そして旅行の計画を話したら、大阪へ行くことになり、そして京都にステキなホテルを取って下さり…と、どんどん話が進んでいった。

 友達に京都、大阪の見所を聴いたり、お土産のリクエストを聴いたりした。方向オンチのあたしのためにいろいろアドバイスをしてくれた友達もいた。本当にありがたかった。

 そして出発。始めて一人で乗る新幹線。もうワクワク!さっそくお弁当とビールを買い、気分は出張のオヤジだ。
 車窓を流れる街の明かりを眺めつつ、Lauryn HillのThe miseducationを聴いていた。アルコールも程良く回ってきてすっかり良い気分になり、ゴキゲンなあたしであった。
 ゴキゲンな気分のうちに無事大阪に到着。インターネットでホテルを予約していたのだが、電話でホテルに確認していなかったので、本当に予約できているかドキドキしたが、無事にチェックインできた。(インターネットの「ホテルの窓口」は使えますよ!ホント便利な時代になったものです。)

 大阪ではおじさんに本当にお世話になった。おじさんのお友達のYご夫妻、初対面のあたしなのに、お昼御飯をごちそうしてくれたOご夫妻。本当に本当にありがとうございました。
 一人で大阪の街をフラフラ歩き、念願であった、「グリコの看板」、「喰い倒れ人形」との感動の対面を済ませ、美味しいと評判のラーメン屋さんでラーメンを食べた。「大たこ」のたこ焼きも食べたかったのだけど、あまりの行列を見て断念した。たこ焼きは次回大阪へ行ったときにぜひ食べようと思う。
 そして、梅田の梅田スカイビルへ行った。そこで「人体の不思議展」を見る。以前横浜でこの展覧会をやっているときに見られなかったものだ。そして人体の不思議にビックリしつつ、高所恐怖症ながら展望台へ上る。(ああ、上るときは本当に恐かったぁ)展望台から見る大阪の風景。夕焼けに光る大阪の海。とってもきれいだった。

 一人で行動すること、苦手な場所へ行くこと。恐かったけど、それを乗り越えたときに見られるすばらしい風景、そして得られる嬉しい気分。最高のご褒美だ!(ちょっと大袈裟かな??)

 京都も歴史的な建物や街並みやステキなお庭を見られて楽しかった。
 「難しい顔をして哲学の道を歩く」という目標を達成できた。(我ながら変な目標だったなぁ)
 長い年月を経てもその力強さが伝わってくる建物。表通りとはちがう表情を見せる住宅街。街の成り立ち方が東京とは違うのかなぁ…なんて思いつつ歩いたりした。

 あっと言う間の3泊4日。とてもたくさん歩いたので、足の裏に水膨れは出来るし、筋は痛むし…。でもでもとても面白かった。

 旅はいいなぁ。と、心から思った次第です。今度行くときは一緒にいけなかった友達と行きたいなぁ。だから、Tちゃん。早く元気になってね!!


だから人との出会いって…(98/12/12)
 大好きな高橋家のみなさんが引っ越されてあっと言う間の一週間。大きな穴があいたような寂しい気持ち。高橋家の皆さんには本当に親切にしていただいた。あったかい愛を教えていただいた。今まで興味がなかったぶたちゃんのかわいらしさも教えていただいた。

 振り返ればあたしはいろんな人たちと出会って、その都度たくさんの事を教えてもらったり、助けられてきた。

 数年前、精神的に参ってしまうことがあった頃、子犬のような、きれいな目をした人と出会った。その人はいつも穏やかな笑顔であたしにほほえんでくれた。その人はとても有能な賢い人なんだけど、そんな素振りを決してみせることのない人だった。そしてすっごい努力家でがんばり屋さん。それだけに色々大変だったと思うが、その大変さを楽しんでいるようだった。あたしはその人から「どうせやるなら楽しくやろう!」みたいなことを学んだ。
 それにK野のおじさんとおばさん。S美ちゃん。おじさん、おばさんは実の親以上にいろんな事を聞いて頂いたり、アドバイスを与えていただいたりしている。おじさん達家族を見ていると本当に元気づけられる。本当にたくさん助けられている。
 音楽師匠は今までに出会ったことのないタイプの人で、わしの知らない世界を教えてくれた。師匠を見ているうちにわしの中で眠っていた感情が目を覚ました。上手く書けないが、“造ることを愛する気持ち”とでも言ったらいいだろうか。それまで押さえてきた感情だけだっただけに、この気持ちが自分の中に再びわき上がってきたことをあたしは心からうれしく思っている。そして師匠と出会えたことも心から幸せだと思っている。
 そしてホームページを出してから多くの人たちと知り合えた。
相互リンクを張って下さっているたまさんやスペイン人さん。小野くんさん。
さーままさんや、たらったさん。奇遇さんにほおずきさん・・・・。
またあたしのページを見て下さった方たちや、ここに書ききれないぐらい出会ったたくさんの人たち。
 ホントにあたしは多くの人たちに支えられ、助けられて生きてる。

こんなステキな出会いがあるから人生って面白い。ホントにホントに感謝です。そしてこんなあたしだけど、これからもよろしく!!です。


期間限定!これって大事だと思う。(98/12/16)

 もうすぐ1998年も終わる。正月がやってくる。子供の頃はお正月にはお餅が食べられるのが本当に楽しみだった(このころから喰いしんぼうバンザイ人間なのさ)。年末に親戚が集まり餅つき大会を開き、お正月に食べる分のお餅をついたりしていた。お餅は特別なときの特別な食べ物だった。

 今では一年中お餅に限らず、特別な日に食べるような特別なものが食べられるようになった。例えばお赤飯やケーキ。これらは何かのお祝い事でもない限り食べられものだった。(普通の野菜や果物にも「旬」がなくなってきて、つまらない)

 豊かな時代になったのは本当に嬉しいことだが、季節感や「ケ」とか「ハレ」の区別がなくなってしまっている気がする。一年中お祭りのように楽しいのも良いことなんだろうけど、やっぱり期間限定みたいな、その時期でないと見られないモノ、食べられないモノ、特別な日の特別な物とか、特別な装いっていうのが有った方が生活にメリハリが出て楽しいと思う。その日だけの装いとか、その日だけ頂けるごちそう・・・。そんな風に「旬」ものをその季節に頂く、また、「ハレ」の日を「ハレ」の日として過ごせることこそ豊かな生活なんじゃないかなぁ。なんて思ったりして。

そんなことを考えているせいか、わしは「期間限定」モノにとても弱い。冬季限定のチョコレートなんかをコンビニで見つけてしまった日にはついつい買ってきてしまう。
ああ。お菓子屋さんの思うつぼだ・・・・・。



こうして一気に読んでみると、いろんなことを考えていた一年だったのだなぁ。
もうすぐHPをだして1年になろうとしております。
今回、ここでは書けない諸事情でHPをリニューアルしたのです。
「書けない事情」っていうのがイヤなので、もうHPをやめちゃおうかなぁって考えましたが、もう少し続けてみようと思い直しました。
そんなこんなで、これからもよろしくお願いいたします。(1999/2/13)


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