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「ゆとり教育」とは何か?!

ゆとり教育が日本の子供にもたらすもの

 
今この4月から公立学校の週休2日制が始まった。なんでも、ゆとり教育の一環ということらしい。

しかし私は、誰が何と言おうと「ゆとり教育」には、断固として反対である。まあ、個人が反対した所で、一旦動き出した巨大な国家という舟は簡単には止まらないかもしれぬ。最低10年でもやって、いよいよ日本の子供達の学力が、下がってにっちもさっちも行かなくなって、それで軌道修正がやっとなされるのであろうか。

はっきりと言おう。「ゆとり教育」に象徴されているものは、将来の国家日本を支える国民の教育を司る機関としての文部科学省の存在理由がなくなったということである。もはや、心ある親は、自身の子供の教育を文部科学省に預け、又頼ってはだめだ。

「ゆとり教育」は、「詰め込み教育」(戦後教育)の反省にたって、立案された21世紀の教育制度などと高尚なことをいう教育専門家もいるようだが、この「ゆとり教育」こそは、時代が要請した均質な学力水準を保つためにはある程度の成功を収めた戦後教育と比べても、問題にならないほど、駄目なシステムと言わなければならない。

戦後の日本の教育制度は、今でこそ「詰め込み教育」などと揶揄されているが、敗戦国日本が、民主主義国として生まれ変わるためには必要不可欠な日本の高度成長を教育の方面から支えた教育制度であった。もちろん個性を伸ばす面であるとか受験戦争といったいくつかの欠点は指摘されているが、それでも一定レベルの働き手を確保できたという点で、日本の戦後における教育システムは、ひとつ成果をもたらしたことは何人も否定できないであろう。それはアジア各国で、日本の教育システムをひとつのモデルとして採用されていることからも分かる。又アメリカにおいても、一頃子供達の学力低下が言われ出した80年代の一時期、日本の教育システムを研究し、それを取り入れる学校もあったほどだった。

「ゆとり教育」が目指しているものは、ともすれば理解度あるいは理解力が低い子供たちにレベルに視点を合わせ、その水準を引き上げるところに力点があるように思われる。すると少し勉強に興味を持った人間にとっては、学校の教室で行われる授業というものは、極めて退屈な時間となってしまうことになるであろう。そうするとかつては、学校の勉強について行けないから退学する生徒というものがいたが、今度は、教育のレベルが低すぎて退学などという笑えない事態も招いてしまうに相違ない。

子供の才能は、それこそ多岐に渡っていて、千差万別である。記憶中心の勉強が得意でなくても、スポーツに得意な才能を発揮したり、ピカソのように大人をはっとさせる絵の天才だっているかもしれない。そのような人間の能力の質を見極め、専門の教育を受けさせてやり、才能を開花してやることこそ、親の務め、社会の務めである。大事なことは理解できない子供に教育の焦点を合わせるのではなく、子供の興味を惹く教育内容の充実と教育者の養成システムの変革や教員免許制度を大幅に改変し、各分野各方面において、活躍している人物の教員としての登用制度(ボランティアを含む)のようなものを作ることだ。要するに子供の時代から、学習における動機付けをはっきりとさせ、一流の人物に実際に接する機会を与えてやるということである。

どのように好意的に考えて見ても「ゆとり教育」とは、文部科学省によるテイのよい手抜き教育であり、教育にかかる財政削減の安易な策謀に過ぎない。結局、一見耳障りのよい「ゆとり教育」が、日本社会に、もたらすものは、私学私塾の乱立と過当競争、そして一家族あたりの教育資金の急増である。そして何よりも懸念されるのは、子供へのしわ寄せの問題である。「ゆとり教育」は、「ゆとり」という言葉とは裏腹に、子供を塾から塾へ移動する塾の渡り鳥のようにしてしまう可能性が極めて高い。そしていよいよ最後には、「ゆとり教育」によって、公立学校は著しいレベルの低下によって、存在理由を失い、崩壊の危機を迎える可能性だってある。又「公立学校」という言葉が新たな差別用語になってしまう危険性があることも指摘しておきたい。

「ゆとり教育」もこうして考えてくると、実に虚しい言葉にしか聞こえて来ない。言葉とは実に不思議なものだ。「ゆとり」とか「いやし」とかもてはやされているうちに、日本という国家そのものが、急速に駄目になっていくのを感じる。つい3ヶ月ほど前であったか、「ゆとり教育」によって、「日本人の学力が下がるのでは」と、当の現役文部科学大臣が発言した。すると早速日教組が噛みついた。大臣でも心配しているものを、省として推進する。これはどうしたことだろう。そして又いつの間にか、組合と文部科学省がタッグを組んで、日本の弱体化に拍車をかけている。首を百ペン傾げても理解できない不思議な構図が見え隠れしている。いよいよもって、日本と日本人は行ってはならない没落への道をまっしぐらに突き進んでいるかのようだ・・・。佐藤

 


2002.4.8
 

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