妖精の歌

 
 
エンヤの新しいアルバムを聞きながら、ふとこんな物語が浮かんできた。

* * * * * * * * * * *

1
さらさらと空から雪の花が舞っている。
その雪の花の間を、楽しそうに小さな妖精がふたり、言葉を交わしながら、飛び交っている。

「ねえ、あなたさあ、すごくかわいい子猫が、あそこの赤い煙突のある家裏に住んでいるんだけど、見に行かない」
「へーそうなの、みたいわ、絶対みたい」

妖精は、透き通る羽を目一杯に羽ばたかせて、赤い煙突のある家の前に飛んでいった。
すると子猫がいて、ふたりの妖精を見つけて、「ミャー」と一声鳴いた。
妖精は、子猫の余りの可愛らしさに、近くまで飛んで行って、

「猫ちゃん、あなたの名前はなーに?」と言った。すると子猫は、たどたどいい口調で、
「わたしのなまえは、ミーちゃん、ミャーと鳴くからだって」
「そう、あなたはミーちゃんか、とっても可愛い名前ね、ママが付けてくれたの?」
「・・・」
「どうしたのそんなに悲しい顔して?」
「ミーちゃんのママいないの?」
妖精たちは、ショックを受けた。こんな悲しい顔を見たのは、初めてだった。
何とかして上げなきゃーと思った。

「ミーちゃんのママは、どうしたの?」
「わかんない、きのうまで、いっしょだったけど、」子猫の目からは涙がポロポロと溢れてきた。
「大丈夫よ、ミーちゃん、おねーちゃんたちが、ママ見つけて上げるからね」
「ホント?ホント、ホントにママ帰ってくるの?」
「大丈夫きっとママは、ミーちゃんの所に帰ってくるからね」
その時、子猫のお腹が、「クー」となった。子猫のお腹は、しぼんだ風船のようにぺしゃんこだ。
「あら、ミーちゃんお腹すいているのね」
「うん、ママのオッパイがのみたいわ」

妖精は、魔法の杖を使って、子猫の目の前に、ミルクのお皿を出した。
そこには暖かいミルクが湯気を立てて子猫に飲まれるのを待っていた。
子猫は「ありがとう」と言うが早いか、チュウ、チュウと音を立てながら、飲んだ。

「じゃーあたしその辺探してくるからね」

ひとりの妖精が、子猫と仲間をあとに残して、ママの猫を探しに飛び立っていった。

空からは、雪の花が舞っている。いつまで降るのだろう。
もしもママの猫が見つからなければ、この子猫は、雪に埋もれて死んでしまうに違いない。

2
妖精は、雪の降る町を飛び回った。
道の端っこには、落ち葉が溜まっていた。
その上に白い雪が、音もなく積もっていく。
妖精は、街路樹が並んでいる道路を、北に向かって走り、
そこから海のある西の方に飛んだ。海もまた荒れていた。
鉛色の空から、雪はますます勢いを増して降りてくる。
しかしそんな天気の中を、色とりどりの自動車が、猛スピードで駆け抜けていく。
今し方、赤い大きな消防車がけたたましいサイレンを鳴らして走り去ったかと思えば、
今度は黒いパトロールカーが、この世の終わりでも告げるような騒がしさで過ぎていく。

妖精は、思った。
「こんな寒い日に人間たちは、いったい何をそんなに急いでいるのだろう。ミーちゃんのママは本当に大丈夫だろうか」と、そしてどんどんと不安が募ってきるのだった。

妖精の耳に、猫の鳴き声らしきものが、どこからか聞こえてきた。
妖精が耳を澄ますと、どうやらその鳴き声は、生者(せいじゃ)の声でないことが分かった。
次第に妖精は、その小さな声が、大きく近くなるのを感じた。
妖精は、声のする方に向かって飛びながら、
「あなたはミーちゃんのママなの?」と叫んだ。
すると声は、はっきりとした言葉となって、妖精の耳に飛び込んできた。

「そうです。私は、ミーちゃんの母親です。残念ながら、私はミーちゃんを育てる事ができなくなってしまいました。このままではあの子が、凍え死んでしまいます。何とか、あの子を助けたいのです」
その声は、次第に大きくなり、空の上にひとつの像を結んだ。
そこにはミーちゃんとそっくりな三毛猫のママが映っていた。


妖精は、その空の上に映った猫にむかって言った。
「どうして、あなたは亡くなってしまったの?」
「昨夜、餌を探している途中に自動車にはねられてしまったんです」
「ええ、自動車事故だったの?」
「そうです。私が角を横切ろうとした瞬間、目の前に大きな救急車が、音を立てて飛び込んで来たんです。はねとばされた私は、宙に舞い、私はそのまま死んでしまったのです。誰も私が死んだことを気づいてはくれませんでした。私をはねた運転手は知っていながら、その場を猛スピードで走り去りました。きっと、乗せている人間の命を救いたかったのでしょう。」
「人間って、何てずるいの」
「でも、皮肉なことに私はその時、救急車に乗っていた人間と一緒に天国へ召されることに成りました」
「もちろんその人に罪はないけど、気づいたかしら?」
「ええ、もちろんです。私は、その人と話をしました。その人は、口ひげを蓄えたおじいちゃんで、何度も、『ごめんなさい』と言いながら、私の手を握りました」
「そうだったの…」
「でもどうしても、ミーちゃんのことを考えると、許す気持ちにはなれず、『人間って本当に勝っ手ね。自分たちの事ばかり考えている。猫にだって、人間と同じ生き物として、生きる権利も、守られる権利もあるんじゃないですか?』と叫んでしまいました」
「当然だわ。あなたの言う通りよ」
「だって、私は言いたいのです。私は母と共に、かつて立派な貴族の家に飼われていたことがありました。でもその貴族が、ある事業の失敗で、家を追い出されると、私はたちが、公園の片隅に捨てられました」
「そんなこともあったの」
「ええ、その時は、悲しい思いをしました。本当に悲しかったんです」
「でも母は、私に『仕方がないよ。頑張ろう』と言って何度も励ましてくれました。それから私達の野良暮らしは、始まったのです。でも不幸な事はつづくもので、母は、ある日、猫狩りにきた役所の人間の手で、連れ去られてしまいました。母は、どうなったのでしょう。それから私はたった一人で、生きることになりました。そこで住み着いたのがあの赤い煙突の家の裏でした。あそこならたとえ寒くなっても、暖をを取れるので、助かりました。私をかわいがってくれる人もいて、その人の家の前で、小さなカップで、食事をするのが、楽しみとなりました。けっして裕福な人ではないけれど、とっても暖かい女性でした。名前もはっきり覚えています。その人は、自分で、『ミミおばさんだよ』と言っていました。自分のことも私に話してくれました。確か、ご主人は戦争で亡くなって、一人息子いるのですが、都会に出て、結婚もしているので、『仕方なく一人暮らしをしている』と、言っていました。私にとっては本当に幸せな時でした・・・」

「で、そのミミおばさんは生きている。ミーちゃんはその人に頼むしかないわね」
「駄目です。駄目なんです。ミミおばさんも二年前に、他界してしまったのです。
「だったら、ミーちゃんの父親は、どう?自分の子供位面倒をみる義務はあるでしょう」「ビリーですか」
「ミーちゃんの父親はビリーと言うの?」
「ええ、黒猫のビリーです。でもあの人は、当てにはなりません。流れ者ですから、第一どこにいるか分からない人ですから…」
「そう、困ったわね。私たちが、いつも付いている訳にはいかないしねえ」
そうしているうちに、ミーちゃんのママ恋しくて泣く声が、聞こえてきました。きっと空におぼろげにママの姿が見えたのでしょう。
「ママ、ママ、ミーちゃんのママ、ミーちゃんのママ」その泣く声が、あまりに悲しそうだったので、ママ猫も大きな涙を流してしまいました。
「ミーちゃん、ミーちゃん、私のミーちゃん」

妖精は、そこに居たたまれない気持ちになってしまった。
 


町には夕暮れが迫っていた。
妖精が赤い煙突のあるミーちゃんの所え戻ると、ミーちゃんは、降りしきる雪にお腹の辺りまで埋もれながら、ママの名を叫び続けていた。
側にいたもう一人の妖精が、ミーちゃんの鼻先にいて、必死で慰めていた。

「ミーちゃん、あなたのママは、天の神様の元に召されたの。でも、でも大丈夫、あなたのママは、いつもあなたの心の中に住んでいて、あなたを守ってくれるのよ。」

しかし子猫には難しい言葉は理解できない。
「ママは、もう居ないの?ミーちゃんのママは、どこに行ったの?」

戻ってきた妖精は、冷たくなったミーちゃんの小さな顔を撫でながら言った。
「ミーちゃん、もう泣かないで、おねーちゃん達もいるでしょう。ミーちゃんは、ひとりじゃないのよ」

その時、またミーちゃんのお腹が「クー」と悲しい音を立てた。
泣いて涙を流したミーちゃんは、お腹が空いたのだ。妖精は、魔法の杖を使って、暖かいミルクを与えると、ミーちゃんは、あっという間に飲み尽くしてしまった。
お腹がいっぱいになったミーちゃんは、眠くなったのか、目が虚ろになっていた。
ふたりの妖精は、ミーちゃんを煉瓦で仕切られた狭いミーちゃんのお部屋に、魔法で可愛いベットこしらえ、ふかふかの毛布を用意した。
ミーちゃんは、いつの間にか、スヤスヤと眠ってしまった。

そしてミーちゃんは、ママの夢を見た。ママ猫は、ミーちゃんに優しく言った。
「ミーちゃん、私のミーちゃん、ママですよ。あなたのママですよ。もう泣かないでね。さっきおねーちゃんに言われたでしょう。『ママは、あなたの心の中に住んでいる』って。ほらこうしてあなたの前にママはいるでしょう。夜が来るたび、あなたがママと会いたいときは、いつでもママはあなたの前来るからね。昼でもそう、あなたの側にママが居ることをあなたは見ることが出来なくても、感じることができる。『ママ』と、あなたが心でそう思えば、ママは必ずあなたの側にいるからね。」

ふたりの妖精は、その光景をずっと見守っていた。子猫は、うれしそうに、夢の中で、何度も、微笑みながら、ママの話にうん、うん、とうなずいている様子だった。

でもふたりの妖精は、明日からのことが心配になった。
いつまでもこのこの子に付いていてあげることは不可能だ。
いったいこの子を、どうすればいいのだろう。生きていけるだろう。

ママの言葉は、まだ続いているらしく、子猫は寝返りをうちながら、
「ママ、ミーちゃんのママ」という寝言が、小さな口元から漏れた。

いつの間にか、夜は白々と明けかけていた。
そしてあれほど激しく降っていた雪は止み、
空には金色の星が白みかけた空でキラキラと瞬いていた。
鳥たちも目覚めてはいない。
辺りは一面白銀の世界だった。
驚くほどの静寂がやがて来る朝陽を待っていた。 
  


その時、「ゴォー」というエンジン音が響いて、静けさは、一瞬にして破られた。 
その轟音に妖精達もびっくりして、音の方を見ると、猛スピードで、通りを過ぎていく、一台のポンコツ自動車であった。 
妖精たちは、ただならぬものを感じ、その後を追ってみた。 
古いワゴンを運転しているのは、太った男だった。その横には、小さな子供がちょこんと乗っていた。
ポンコツのマフラーからは、白い煙がモクモクと立ち上っている。

少年が口を開いた。
「パパ、しっかりしてよ。この辺、どうなの。ねえ」
「多分、この辺だと思うけど・・・」額からこぼれる汗を吹きながら男は言った。
「じゃ、パパ止めて、降りて見ようよ」
「うん」

赤い煙突の通りから、三つ目の通りの角で、ポンコツのワゴンは止まった。
少年と男は、白い息をハア、ハアしながら、車を降りた。
白い雪をふたりが踏みしめると、足跡がくっきりと付いた。
どこかで鶏が鳴く声がした。
だいぶ空には明るくなってきた。

「パパ、思い出してどの辺。ねえ、しっかりしてよパパ」
「・・・この辺だったかな」
そう言いながら、男は、道路の端に座り込んで、雪をひと掻き、ふた掻きした。
少年も、男の側に来て、小さな手で雪を必死で掻きだしていた。
すると男が、急に泣き出した。手には何か持っている。
「うぇーん、うぇーん、猫ちゃん、ごめん猫ちゃん、ごめん」
「パパ、見つかったの、猫ちゃんはいたの?」
「うん、ここに、ほら、夕べ夢に出てきた猫ちゃんだ。うぇーん、うぇーん」
そこには冷たくなったミーちゃんのママが雪に埋もれて横たわっていた。
「パパ、しっかりして、今、毛布を持ってくるね」
少年は、車の方へかけ出し、車に積んであったピンク色の毛布を持ってきた。
少年が、雪の上に毛布を拡げると、男は抱えていたミーちゃんのママの体をそこに安置した。

少年は、十字を切ると、時を告げ教会の鐘が鳴った。
ふたりはしばらく目を瞑って、ミーちゃんのママの為に祈った。
ふたりの目からは、暖かい涙が、次から次と溢れてきた。
男は、その前にひれ伏し、このように懺悔した。
「猫さん、ごめんなさい。私は大変な罪を犯してしまいました。あなたを刎ねてしまったにも関わらず、あなたを放置してしまった。自分の救急車に乗せていた老人の命を救おうとして、私は小さなあなたの命を奪った上に、乗せていた老人の命をも助けることはできなかった。あの時、少し迷ったけれど、私は瀕死だったはずのあなたを構わずに逃げてしまったのです。もしもあの時、止まって、救急処置を施していれば、きっとあなたの命は救われたのに、私の愚かな決断の為に、あなたを死なせてしまったのです。本当に申し訳ないことをしました。神様どうか、私を罰してください。私はどんな罪でも甘んじて受けます。どうか私を罰してください。」

少年は、男の肩を抱き、いっしょに泣いた。
「神様、どうか、私にも罰をお与えください。父は、大きな罪を犯しました。でも父は、ママが亡くなってからというもの私を育てる為に必死で働いてきたのです。だからパパの罪は、私の罪でもあります。神様、パパは、夕べうなされていました。そこで私が『どうしたの?』と聞くと、ここに居る猫さんを刎ねたことを教えてくれたのです。どうか私にも罪をお与え下さい・・・」

ふたりの妖精は、ずっとこの親子のことを見ていたが、胸が熱くなって、小さな涙を流しました。そしてふたりは、親子の前に現れて、このように言った。

「パパと坊や、きれいな心を持った。パパと坊や。世の中は、とっても寒く冷たくなっているけれど、あなた方親子の心を見ていると、とっても暖かい気持ちにさせられました。私は亡くなった三毛猫さんを知っています。パパさんお立ちなさい。彼女はあなたを少しも怨んではいませんよ。あなたは誰かを必死で助けようとしていた。その男の人も、猫さんも今は仲良く、天国に召されて、神様の元にいますよ。ふたりの魂は、共に救われました。でもあなた方は、忘れてはいけませんよ。今自分の罪を認め、それを悔いたこと。その誠意はこの世で一番尊いものです。きっと神様は、あなた方を許してくださいますよ。そして罰ではなく、きっとチャンスをお与えになるでしょう。」

親子は、耳を澄ませて妖精の言葉を聞いていた。
少年が言った。
「罰ではなく、チャンスですか・・・?」
「そうですとも、この三毛猫には、小さな子猫がいます。とっても大事に育てていたその子猫の名は、ミーちゃんと言います。その子は、ママをなくして、飢え死にしかけています。この寒さの中で、明日をも知れぬ命です。この側に赤い煙突のある家があります。その煙突の裏に、小さな隙間があり、そこがミーちゃんとママの住みかでした。行って上げなさい。そしてミーちゃんをあなた方の家族に入れてください」
少年は目をパチクリとしながら、妖精に向かって、「妖精さん、ありがとう」と言うと、
「パパ、ミーちゃん助けに行こうよ。パパ、すぐに行こうよ」
親子は、立ち上がると、急いで車に乗り込み、妖精が教えてくれた赤い煙突の家に向かっていった。

妖精は、先回りして、ベットで寝ているミーちゃんを、やさしく起こした。
「ミーちゃん、起きなさい。ミーちゃん、お兄ちゃんが来るからね」
ミーちゃんは、眠い目を擦りながら、「ママ、ママ」と、大きなあくびをした。
そして外に出てみると、お日さまが、道路の彼方から昇って来るのが見えた。
そこから、「ミーちゃん、ミーちゃんは、どこ」という少年の声がした。
それがミーちゃんには、ママの声に聞こえたらしく、
「ママ、ママ、ミーちゃんは、ここだよ」と大声で叫んだ。
少年は、お日さまの向こうから、ミーちゃんの前に現れた。
ミーちゃんは、それがママでなかったので少しびっくりしたが、少年に抱かれて、すぐに家族の一員になった。少し罰悪そうにしていたパパも、
「ミーちゃん、あなたがミーちゃん。どうぞパパをよろしくね」と言って笑った。
ふたりと一匹のあたらしき家族は、眩しい一面の銀世界を仲良く、ポンコツワゴンに乗って、朝陽に向かって走って行った。

ふたりの妖精は、赤い煙突のある家の上空で、あたらしき家族を乗せた車が見えなくなるまで見守っているのだった。 

* * * * * * * * * * *
この物語は、2000年のささやかなクリスマスプレゼントです。佐藤


義経伝説ホームへ

2000.12.6