ヨハネ・パウロ二世の生涯を讃える

平和の法王国際平和に殉教す

二〇〇五年四月三日の日曜日の朝、目覚めると、「ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の死す」のニュースが流れていた。その人の死に接し不思議な感動を受けた。俗っぽい事件が毎日毎日洪水のように流される中で、法王の死のニュースだけは、まったく別次元の話で、「聖なるもの」に触れる感じがしたからだ。

死は厳粛である。老いもまた厳粛である。どのような身分の人にも、老いと死は平等にやってくる。 その中で、人は青年期には考えもしなかった老いと死のプレッシャーを受けつつ、それを友のようにして受け入れ、そして従容として死の床に就くのである。

しかしこれは言葉では簡単だが、なかなか出来ることではない。かのヨハネ・パウロ二世も、近年パーキンソン病という難病を背負いながら、キリスト教世界の最高指導者として、世界平和のために世界各地へ飛び回り、平和の尊さを説いた。日本を訪れ広島に降り立った法王は、早速広島の大地に跪き接吻をした上で、広島の被爆の惨状を嘆き、「二度とこのような悲劇が起きないように、広島を考えることは、平和に対しての責任を取ること」と、平和を祈念することは人類共通の責任とのスピーチを日本語で行った。

かつて彼の地で聖ペテロが法王となって以来2000年の歴史の中で、これほどまでに平和を愛し行動に移した法王が存在したことはない。記憶に新しいところでは、アメリカの単独行動と言われるイラク戦争の勃発に際して、最後の最後まで、これを阻止し、戦争に繋がる行動を、諫めようとした法王の意志ある行動を忘れる訳にはいかない。法王は、バチカン市国の外交団の先頭に立って、ただひとつの超大国になって、傲慢な姿勢を強めるアメリカの外交にもっと柔らかな方法でと、キリスト教徒二千年の苦難を思いながら、世界の指導者に天の声を伝えようとした。キリスト教世界の父とも言うべき法王は、平和を祈りながら旅立たれたのだ。法王の逝去を報を受け、アメリカ大統領ブッシュは、厳しい諫めの言葉を受けた父を懐かしむ息子のような面もちで聖ペテロの精神を受け継ぐ偉大な法王の生涯を最大級の言葉をもって讃えた。今や世界中がこの平和の法王の死によってひとつになりつつのを感じる。

ヨハネ・パウロ二世の偉さは、過ちを過ちとして認めて、素直に頭を下げる勇気にある。彼は中世において聖地奪回の大義をもって立ち上がった十字軍の行動に行き過ぎがあったことを認め、イスラム教徒に謝罪の言葉を述べている。十字軍の歴史は11世紀末から13世紀後半にかけてのことであるから、900年前から600年前のことを持ち出して、謝罪の言葉を述べていることになる。

法王は、歴史を歴史とせず、掛け違えたボタンを外して、掛け直すような作業を行ったことになる。そうすることで、法王は、世界中の宗教者が集い知恵を出し合って、平和な世界を実現しようとしたのである。日本国憲法に馴染んだ日本人からすれば、何でそこまで宗教者が、政治に口を出すのか、と訝(いぶか)しく思う人もいるだろう。しかし元々宗教儀礼とは、政(まつりごと)そのものであった。宗教者(聖職者)が、政治的(俗世)話をしないというある種の禁忌(タブー)は、近代の社会がつくり出した社会規範であり、ヨハネ・パウロ二世の勇気ある行動が、今後の宗教者と政治政界の繋がりのあり方を自然に示唆しているようにも思えるのである。

それはヨーロッパが、キリスト教という宗教的結びつきを拠り所として、EUという超国家といわれるような枠組みの下にまとまる動きがあることからも納得できるものだ。その中で現れたのがヨハネ・パウロ二世という指導者だったのである。すでにEUは通貨統合を果たし、今25カ国に拡大したEUは、新しいEU憲法を起草し、その前文のなかで、神の概念を盛り込んでいるほどだ。

法王は誠に偉大な宗教者であった。それは風邪をこじらせ、体調を崩したにもかかわらず、出来うる限り、不自由になった体をそのまま広場に居並ぶ民衆の前に姿を見せたという最後のエピソードからも分かる。おそらく、法王が死の床に就いてから、長い時間をまどろったまま逝かなかったのは、天の啓示であろう。すなわち、それは全人類に、生の尊さと平和の大切さを伝えようとしたモラトリアムではなかっただろうか。

今改めて、第264代法王ヨハネ・パウロ二世(1920ー2005)の屈託のない慈愛に満ちあふれた笑顔を思う。そしてヨハネ・パウロ二世の偉大な生涯とその歴史的業績を思う。しかし今悲しいかな、法王は、紅白の法衣を纏って動かない。民衆にもっとも愛された法王はヨーロッパに花の咲く頃、天に召され、神の御許(みもと)に旅立たれた・・・。在位期間(1978ー2005)享年八十四歳。アーメン。(佐藤弘弥)
 

    ヨハネ・パウロ二世の御霊へ捧げる七首
 桜(はな)の頃天に召されし法王を「平和の使徒」と我は讃ゑむ
 ひとびとの姿見たきと窓辺にて逝きたる法王(おう)の最後の視線
 慈悲深き笑みを湛えて平和説くヨハネ・パウロの逝去悲しむ
  温もりの欠けし世に居て法王の丸き笑顔に救われしかな
 法王の最後の祈りを思う時「平和」の二文字脳裏に浮かぶ
 イスラムにユダヤにブッダヒンズーとヨハネ・パウロの死悼まぬはなし
 聖ヨハネ・パウロ二世の身まかるを天の啓示と受け入れてけむ
 



2005.4.5 Hsato

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