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闇世のひとり言

−試されている日本人の智慧−


人の心と同じで、世の中は思うように動かないものだ。それでもきっとアフガンにいるというビン・ラディンなどは「世界は俺の手の中にある」という位に思っているのかもしれない。でも長い目でみたら、そんなことはない。所詮は逆に自分こそが「仏の掌(てのひら)」を飛ぶ孫悟空の如きものなのだ。やがてその現実をいやというほど思い知らされることになろう。もちろんこれはブッシュとて同じだ。アメリカが、あれほどパレスチナを放置して、イスラエルに肩入れしなければ、今回の惨事だって、起きなかった可能性もある。

「窮鼠猫を噛む」という言葉もある。ネズミだって逃げ道をふさがれれば、ネコの足下を狙って一か八かの反撃にでる。それにしても世の中というものは分からない。今年に入って、泥沼に入っていたイスラエルとパレスチナの紛争が、先の9月11日のニューヨークーワシントン同時テロ以後、ピタリと止んでしまった。今年に入って双方の死者の数は、何と700名にも達している。あれだけヒートアップし、誰も止められなかった紛争が、あの一瞬のテロによって休戦状態になってしまうとは・・・。

誠に世の中は不可思議なことが起こるものだ。一寸先は闇とは云うが、闇ばかりではない。突然美しい花園になったりすることもあるかもしれぬ。そんな世をうまく生きていく、秘訣なんてあろうか。おそらく、そんなものはない。ただひとつ言えることは、極端に走らず、独りよがりに思い詰めず、また経済的には、国だろうが、個人だろうが、富みというものを余り多く「私」(わたくし)しないことぐらいだろう。考えてみれば、大国アメリカは、世界中の富を、一国で、「私」し過ぎたのかもしれない。もしももう少し、同盟国以外にも、その集まった富みを配分するような仕組みや国際的な枠組みを作っていたら、今回のような惨劇も自ずと防げたかもしれない。

誰でも欲を求めれば、際限がなくなる。ほどほどなという訳にはいかなくなる。個人でもついちょっとばかり小銭でも貯まろうものなら、ついワガママになって、「世界は私の為に回っている。」などと錯覚を起こしたりもする。「余の辞書に不可能はない」などと云った挙げ句、坂通を転がり落ちるように亡くなったナポレオンの例もある。でもどうしたものだろう。とくよく考えてみれば、ビン・ラディンの目からすれば、日本だって、アメリカと一心同体のミニアメリカとして映っているはずだ。だからいつ何時、災害が日本に降って涌いたように起こらないとも限らない。どうやって、この国際的な難局をやり過ごすか。日本人の智慧が試されている・・・。佐藤 
 

 


2001.9.19

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