八尾市のヤミ金融心中事件 の背後にあるもの

--童話「赤ずきんちゃん」を手がかりとして--

佐藤弘弥

1 ヤミ金融の発生の原因とアル・カポネ

ヤミ金融による脅迫的な取り立てで、悲惨な事件が起きた。その事件は14日(土)の未明に起きた。調べによる と、大阪府八尾市のJR関西線の線路上にうずくまっており、運転士は、120mほど手前で、人影に気づき急ブレーキをかけたが間に合わなかったというもの だ。死亡したのは、ヤミ金融業者に追われていた大阪府八尾市の清掃作業員の男性(61)とその妻(69)そして保証人だったという妻の兄(81)の三人で あった。

この自殺した夫婦から手紙を受け取った人物がいる。手紙は、自殺直後の14日午後、知人の男性(78)宅に送 られてきたものだ。そこには自殺に至る苦しい心境が便せん4枚に連綿と綴られていた。

「悪徳業者にひっかかり、大へん困っております。2万円借り入れして15万円も払わされています・・・毎晩、 毎晩、デンワに怯(おび)えています。主人も兄も私に同情して死を決意してくれました。・・・死をもってお詫びします」

夫婦は、4月頃、金策に行き詰まり、この知人男性から25万円を借りた。そのうち5万円は、亡くなる前日の 13日夕方、妻が男性宅を訪れ、返しにきたという。既に、この時、自殺の手紙は投函されていたのだから、お詫びを兼ねて最後の別れに訪れたのであろう。手 紙には、残りのうちの10万円は何とか「夫の給料で支払います」とも書かれていた。自分たちは、死んで行く身であるのに、お世話になった男性に対する夫婦 の良心がにじみ出ているような話である。

八尾署によると、妻は5月中旬頃、「ヤミ金融業者から1万5000円を借り、すでに10万円支払ったが、完済 できない」と同署に相談に訪れた。この時、警察は、「ヤミ金融業者に支払ってはいけない。強く出るように」との話をして返したようだ。しかし今回の場合、 単純に初動捜査のミスと警察を責めることはできない。現行法での取り締まりは極めて難しい。仮に出資法違反で容疑者を逮捕しても、初犯の場合は、すぐに釈 放。あるいは3百万以下の罰金で、ほとんど実刑になることはない。一種のやり得の状況がある。しかも現在のヤミ金融業者の手口は、警察も音を上げる程に執 拗で狡猾(こうかつ)だ。

この夫婦は、始め、口車に乗せられて、3万円を借りたのだが、どうやら口座には1万5000円しか振り込まれ なかったようだ。そして次々と暴力的な取り立てによって、短期間に15万円もむしり取られていた。出資法上限金利の年利29.2%なんて全く無視した違法 な犯罪行為を、警察も法の制約上、二の足を踏むケースが多い。残念だがそれが今回の悲劇を生んだ直接的な要因だ。しかしそれでもこのような悲劇を生む状況 は、何とか対処してくれなければ、日本から正義というものはなくなってしまう。

ヤミ金業者は、強気な口調で、法外な金利を請求し、暴力でこの夫婦の人生そのものを奪ったことになる。また保 証人とされた妻の兄(81)も一緒に自殺するということは、信じがたいことだが、事件の捜査が進む過程で、おそらく電話かなにかで、「あんたは保証人だか らな」ということにされてしまった可能性がある。

それにしても悲惨極まる事件だ。この問題の根底を深くえぐってみる必要がある。

ヤミ金融の増殖の根底には、周知のようにふたつの大きな問題があると言われる。
第一の問題は、3年前の上限金利改定によって、出資法上限金利は、40.004%から29.2%に引き下げられたこ とだ。第二には、日本における消費者教育欠如という問題である。

まず第一の金利引き下げからみてみよう。これは日栄という上場金融会社が、強引な取り立てをしたということ で、社会問題化し、それが金利問題にまで飛び火し、たいした議論もないままに、僅か6ヶ月という猶予をおいて、3割近い金利が下げられたことにある。

その結果、経済学で言われる「逆選択」(あるいは「逆淘汰」ともいう)という現象が起こった。この逆選択と は、簡単に言えば、1919年の禁酒法下のアメリカ社会にモデルを見ることができる。禁酒法は、世界が第一次大戦をやっている中で、キリスト教的良心に基 づいた人々が、酒造りと販売を禁止することによって、もっと健全なアメリカ社会を創ろうとの崇高な理念のもとに施行された法律だった。ところがこの法律下 で起こった現象は、アルコール中毒者の激増(5,6倍)と違法となった酒造りと販売を通じて巨万の利益を享受するアル・カポネに代表されるようなギャング の横行だった。
 

2 ヤミ金融もアル・カポネも社会が作った怪物

一説によれば、アル・カポネは、最盛期には、当時のアメリカの国家予算の半分ほどの巨額の利益を違法化したア ルコールによって得ていたとも言われている。そして密造酒の縄張りに絡んで、400人もの人間を殺害している。

酒は古代からある人々のささやかな楽しみの一つである。禁酒すればもっと健全な世の中になるという一見正しく 見える主張が、いったん法律として、厳格に機能すれば、単にシカゴの町の小さなボスに過ぎなかった人物を、一瞬にして巨額の利益を手にするヤミ世界の帝王 にしてしまうことだってある。しかもこれは紛れもなく歴史の事実である。経済というものはまさに生き物であり、21世紀の今日に生きる我々も歴史の教訓と して胸に刻まなければならない問題だ。

昨今では、タバコの問題が、流れとすれば、禁酒法下の状況と同じような経過を辿っている気がする。もちろんタ バコの吸いすぎは健康に悪いことは明白だ。しかしそれを全面的に規制すれば、かならずそこにヤミ市場が生まれ、ヤミルートを作って、一儲けを企む人間が必 ず現れる。その人間たちは、無法覚悟で勝負をするのだからタチが悪い。予測や立法趣旨の逆方向へ行ってしまう。これが逆選択の法則の怖いところだ。

現在の日本のヤミ金融市場も、このケースに似ている。日本有数のエコノミストで衆議院議員の鈴木淑夫氏も、日 本におけるヤミ金融発生の状況を「禁酒法下の状況に酷似している。これは人為的な金利規制が招いた問題であり、経済学で言うところの逆選択、逆淘汰の典型 的な例」(「月刊財界人」2003.2月号))と指摘する。はっきり言えば、ヤミ金融が発生した背景には、金利をマーケットを無視した形で、大幅に変更し たことが大きい。要は人災の側面が強いのである。

三年前の秋を振り返ってみよう。あの時には、上場事業者向け貸金業者の取り立て問題が、マスコミがスキャンダ ラスに取り上げたことによって、刑事事件が金利問題にすり替わってしまった。本来であれば、上限金利の変更という問題は、金融経済の問題であるから、経済 学者(特に金融論)が中心になって、様々な状況を分析し、また消費者団体、業界からの意見聴取などを経た上で、なされるべき筋の問題であった。ところが、 沸騰した世論はこれを許さなかった。その結果、上限金利の変更の出資法改定から、わずか半年という短い間に、3割近く引き下げられたのである。何度も言う がここに現在のヤミ金融発生の根本が隠されている。もっと分かり易く言えば、金融経済のイロハを知らない政治家たちが、単純な正義感とマスコミと世間から のからの強烈な風を受けて、手直しをしたことが、ヤミ金融業者が社会にはびこってくる諸条件を醸成してしまったことになる。これにより、これまで市場に資 金を供給をしてきた貸金業者が、これでは利益が出ないとして、貸し付けを抑制し出したのである。

利息は貸し付けたリスクによって決定される。貸し金が戻って来ない確立が高くなれば、自ずと利息は高くなる。 要するに利息は、リスクの対価なのである。資本主義経済の市場においては、市場(マーケット)の貸付金のリスクの変動によって、金利は上に行ったり下に いったりする。その前提は、健全(フェアー)な競争である。つまりは健全な競争原理の市場が形成されていれば、貸金業市場は、自ずと健全なマーケットとし て機能していくことになるのである。

ここに人為的な操作を加えたとする。すると一見、金利を極端に下がったのだから、高い金利でしか借りられない リスクの高い人(社会的弱者)が、最初に救済されるように見える。しかし実は一番最初に融資をシャットアウトされるのは、この社会的弱者である。何故そう なるか。貸金が戻って来ないで貸倒になるリスクが高くて、資金を貸してくれる業者がいなくなるのである。今回亡くなられた三人のヤミ金融被害者も、高齢者 で確かご主人は足に障害を持たれていたはずだ。

3年前に金利が下がった時、金利と経済学に詳しい学者たちの幾人かは、「マーケットがいびつな構造となり、単 に中小貸金業者が廃業するだけではなく、これまで資金供給を受けていた社会的弱者(サブプライム層)が、結果として困ることになる」と明確に指摘してい た。但し、まさか今日のようにヤミ金融がこれほど跋扈(ばっこ)すると予測した人は皆無だった。まさに事実は小説より奇なりということだ。

もう一度、金利引き下げ後の個人信用市場の構造について簡単に見てみよう。
まず金利改定後、貸金市場に、空白が生まれる。それは資金を供給する業者が激減したことを意味する。簡単にいれば、 借りたい人はいるが、貸す人がいなくなったということだ。そこに赤ずきんちゃんを食べようとおばあさんの姿をしたオオカミのように、ヤミ金融業者が、社会 的弱者にしのびよって、声をかけるのである。
 

3 赤ずきんちゃんは、何故オオカミに食べられたのか?

「赤ずきんちゃん」という童話がある。この童話を知らない人はいないだろう。子供の頃、絵本で読んだ怖いお話 だ。この童話(グリムとペローの話があるが、今回はペロー版で)を読み解きながら、ヤミ金融というものを一匹のオオカミとして考えてみる。

この童話の登場人物は、「誰も見たことのないような」かわいい村に住む女の子とそのお母さんと別の村に暮らす おばあちゃんの三人。それと一匹のオオカミだ。
ある日お母さんが赤ずきんちゃんに、パンケーキとバターの壺を持っておばあちゃんに届けるように言う。
「おばあちゃんが病気だから様子を見てきておくれ。このケーキとバターを持ってゆくんだよ」
赤ずきんちゃんは言われた通り、森の小道を抜けて別の村へ急ぐ。すると途中でオオカミが、これを見て、赤ずきんを食 べたくなる。何しろオオカミは三日の間何も食べていなかったのだ。ところが森には、木こりたちが居て、人目があるので、オオカミは策略を練る。
「どこへ行くんだい」
「おばあちゃんの所。病気で寝ているから、ケーキとバターを届けるの」
結局、赤ずきんは、オオカミと立ち止まって話すことがどんなに危険なことか、分からなかった。
「へえ、おばあちゃんは、どこに住んでいるんだい」
「ずっと向かうの粉ひき小屋のある村の最初の家よ」
オオカミは、しめたとばかり、先回りして、おばあちゃんの家に着いて、赤ずきんの声色で、ドアを開けさせ、おばあ ちゃんを食べてしまう。一息ついたオオカミは、おばあちゃんのベッドにもぐり込んで赤ずきんを待つ。
「おばあちゃん。赤ずきんよ。開けて。ケーキとバター持ってきたわ」
何も知らぬ赤ずきんは、中に入る。
「こっちへおいで」
前に来ると、赤ずきんは、おばあちゃんの異変に気づく。
しかし時はすでに遅く、赤ずきんは難なく食べられてしまう。

そしてこの童話には次のような教訓が付されている。
「美しく姿よく心優しい娘たちが
誰にでも耳を貸すのはとんだ間違い、
そのあげく狼に食べられたとしても
すこしも不思議はない。
一口に狼といっても
すべての狼が同じではない。・・・」
(ペロー童話集 新倉朗子訳 岩波文庫)
 

何と残酷なストーリーだと思うだろう。しかしこれが現実世界というものかもしれない。赤ずきんが象徴するもの は、オオカミのなんたるかを知らない純粋無垢な人格である。もしも母親が、彼女が森を通る時に、娘に前もってこのように教えていたらどうなっていただろ う。
「オオカミがお前に話しかけて来るかも知れないが、絶対に話にのってはいけません。何かあったら、近くに木こりのお じさんたちが居るから、大声で助けを呼びなさい。そうしないとオオカミは、お前を森にさらって行ってしまうかも知れないからね。気をつけるんだよ」

結局、母親は、娘に一言教育することを怠ったのである。世の中には、無知なために大損をし、あるいはさせら れ、他人の無知をいいことに、この人たちを食い物にするオオカミが多くいる。ヤミ金融もそのひとつだ。

現在のようにヤミ金融が、これほど蔓延してしまう背景には、旧態依然たる学校教育の責任も大きい。すなわち現 在の日本では、消費者教育というものが、全くなされぬまま、難しい高等数学やら、物理の法則やら、化学方程式ばかり教えている。あらゆる世代の人で、金利 の計算を簡単にやってのけれる人が何%いるだろう。契約というものが、法的にどんなことなのか。個人が借金をするときには、どんなことを注意しなければな らないのか。社会生活を営む上での大事な知恵が、現在の学校教育では、まったくされていないと言っても過言ではない。

だからヤミ金融のように、上限年利が29.2%のところを、年利に直せば、数千%あるいは数万%という法外な 年利を取られてしまうようなことが起こってしまうのだ。まさに犯罪の温床は、日本人の心の中にあることになる。消費者教育は、高等数学と比べれば、そんな に難しいことではない。小学生程度の知識があれば十分に理解できることだ。

何もこれは貸金に限ったことではない。詐欺まがいのマルチ商法やら、霊感商法、ちゃんとした知恵があれば、防 げる事例が幾らでもある。知識偏重の日本の教育はやはり是正されなければならない。とすれば、やはり日本の社会でも赤ずきんの歳である小学生(あるいは中 学生でもよい)の頃から、世の中で生きる知恵を、家庭と学校、そして地域が一体となって、教育するような施策も採るべきであろう。結局、この赤ずきんの童 話は、日本における消費者教育欠如という問題を考える上での教訓であり、ヤミ金融被害などの事件に人々が巻き込まれないための知恵が隠されていると言って よい。
 

4 ヤミ金融は正規業者を装う 

ヤミ金融とは何か。ヤミ金融の「ヤミ」とは、「闇」のことであり、金融に限らず、社会あるいは国家が存在する ところには様々な「闇市場」が存在する。特に有名なのは、第二次大戦後に起きたヤミ米騒動(昭和22年頃)だ。米は食管法によって管理されているもので、 これに違反して、米を手に入れることは、法に触れる行為である。しかし都会に住む市民は、これを我慢して、次々と栄養失調状態になった。それでも我慢をし て、当時ある判事が餓死したという話は有名だ。この時の問題は、日本の食糧事情が、一時的に、食管法を越えた需給関係に陥ってしまったことだ。

ヤミ金融を、分かり易く言えば、出資法上限金利(年利29.2%)を越えた金利で貸金業をする者あるいは企業 ということができる。一般に、ヤミ金融は、何かこの2年か3年の間に急速に現れた連中のように見られがちだが、実は昔から存在していたといわれる。「古典 的なヤミ金融」は、出資法上限金利(29.2%)からトイチ(10日一割の利息)のあたりの間で、貸付をする連中であった。彼らは、「現在のヤミ金融」の ように顧客を短期間にボロボロにするまで食いものにするようなことはしない。活かさず殺さず、法定利息を超えた金利で極端に言えば、一生つき合って行く。

しかしこのヤミ金融の手法が突如として脚光を浴びることになった。3年前に金利が下げである。特に低所得者層 や自営商工業者など貸付条件の厳しい消費者層に対する供給が、極端に減り、ヤミ金融に対する需要ニーズが出たのである。少し位高くても一時的に資金が出れ ば何とかなる。そんな借入心理が、消費者サイドに働いていたことは想像に難くない。しかしここにまったく違う連中が目を付けた。広域暴力団と言われる連中 だ。何故なら、貸付条件の厳しい顧客の名簿さえ手に入れば、とんでもない利益を手にすることが可能となるからだ。そして現在問題になっている「ヤミ金融」 が誕生したのである。もちろん現在のヤミ金融は、組織暴力団でもなんでもないのに、むしろその影を巧みに利用しながら荒稼ぎを行っている者もいるようだ。

とにかく2年ほど前から、ヤミ金融で荒稼ぎを目論んだ連中が東京都に集まって来た。東京都に貸金業登録をする ためである。何故東京かと言えば、それはおそらく東京都知事公認というある種の信用力やらブランド力を考えてのことだろう。また地方都市であれば、警察に よる捜査も容易になる。東京で登録し、地方の個人に貸すのだから、当然広域捜査になる。すると現在の警察の都道府県別のタテ割り組織では、捜査活動が思う に任せなくなり、犯罪があっても棚ざらしになることも多い。考えてみれば、このヤミ金融の異常な増殖の陰には、日本社会のシステムの不備があることは明ら かだ。ヤミ金融の連中は巧みにそこを突いたことになる。

通常、貸金業は、貸金業規制法により、都道府県に届け出をすれば登録がされて業者となる。東京都の登録受付窓 口は、2001年から2002年にかけて、毎月数百件の登録希望書類が積み重なっていたというからまさに異常な状況であった。

一般にヤミ金融は、その名前から無登録で貸金業の商売をしている者との誤解があるが、実はそうではなく、彼ら の多くは、都道府県にちゃんと登録している。少なくても形の上から見れば、正規の業者である。中には、大都市の目抜き通りに大きな看板を出して、堂々と違 法金利の貸付を続けている例もある。つまり一見するところ、正規の業者もヤミ金融も、まったく見分けが付かない。ここに日本中の消費者が、彼らヤミ金オオ カミのワナにはまってしまう大きなポイントがある。

また消費者への応対も狡猾であり、少なくても、消費者が借りるまでは、彼らの手口は、高圧的でもなければ、暴 力的でもなく、むしろ困っている人の人生を救うような口調で親身な話をする。例えば消費者が、電話で「金利はいかほど?」と質問すれば、「年利15%から 29.2%以下。後はそれぞれの状況によって違います」と判で押したように女性従業員が優しい声で答える。

ところが消費者が借りたが最後、彼らは豹変をする。まさにオオカミの本質を丸出しにしてくる。ヤミ金融の一般 的な貸付は、きわめて少額である。だいたい5千円から二万円ほどの貸付で、10日で3割からひどいのは10割ほどの金利を要求する。しかも言葉が巧みで、 流れるように話されるものだから、素人の消費者は、まるで「赤ずきんちゃん」状態でだまされてしまうことになる。契約の途中でおかしいと思っても、断るこ とはなかなかできないものだ。

もしも消費者が断るものなら、暴力的な声で脅すようなことも平気でやる。彼らは、はじめから、借りる側が、返 済不能に陥ることは見通している。とにかくとことん追い込んで、親戚縁者、友人知人隣近所借りれる可能性を考えて破綻するまで貸し続けるのだ。その間、暴 力的な言葉によって、恐怖心をあおり、法外な利益を享受するのだから、自分たちのグループ以外の誰が、ババ掴みをしたとしても彼らの知ったことではない。 ヤミ金融の多くはグループを形成していると言われる。だから一人の人間が借りたという情報は、同グループのヤミ金融の知るところとなり、返済しなければな らない頃に、タイミングよく、別のヤミ金融から融資の勧誘話が舞い込み、急速にヤミ金融被害が拡大する仕組みとなる。これがヤミ金融被害の一般的な流れで ある。

ヤミ金融の勧誘の手口は、かつては街頭の公衆電話にところ狭しと張られたチラシや週刊誌、新聞折り込み、新聞 広告などだ。そして何よりも重宝されているのは、ブラック情報と言われる。多重多額債務者のリストだ。このリストは、名簿業者によって、一件あたり数十円 から数百円という値段で、ヤミルートで売買されているといわれる。またヤミ金融の連中専門の情報センターのようなものも作られているとの噂もある。ともか くまだ日本社会には、個人情報を保護する法律すらないのである。今も、貸金情報に限らずあらゆる個人情報は、まさにザルのようにヤミからヤミへと売買がな されていると言っても過言ではない。この面からも、ヤミ金融というものは、日本社会という国家システムのほころびをついて増殖しているメカニックオオカミ の如き怪物なのである。
 

5 ヤミ金融の最終的撲滅と最悪のシナリオ

2003年6月24日の朝日新聞の読者の声に次のような主旨の投稿があった。
「消費者金融のテレビCM規制の指摘があるが、借り手の理由を分析すれば、遊興費などよりはやむに止まれぬ事情から 生活費に充てる人が多いようだ。今やるべきはCMの規制よりは貸出金利を利息制限法の水準まで下げることではないか。低利で融資を受けられる金融機関を設 置して悪質な業者から国民の生活を守るのが先決ではないか」

投稿者は、関西在住の71歳の無職の男性である。この投稿を取り上げる理由は、一般の日本人がヤミ金融という ものに対して抱いているイメージを抽出できると思ったからである。おそらく投稿者は、定年退職して、悠々自適の生活をしている人であろう。そして朝刊を隅 から隅まで読むような人物とお見受けする。

消費者金融のCM規制の問題が論議されていることを見て、消費者金融というシステムが社会的に機能しているこ とも認めた上で、規制の気持ちは分かるが、出資法上限金利(年利29.2%)を利息制限法(15%〜18%)の水準まで引き下げることが先決。そして社会 のセーフティネットとして、個人の低利融資機関を創設し、ヤミ金融から国民の生活を守って欲しいという提案をしていることになる。

この考え方は、一見、極めて常識的で受け入れやすい考え方に見えるが、自由主義経済の考え方からすれば、間 違っていると指摘せざるを得ない。ではどこが間違っているか。出資法上限金利を人為的に利息制限法まで下げろとの提案がそもそも危険だ。これを実行すれば どうなるか。このシナリオは、先に指摘した「逆選択」の最悪の状況を招来することになる。まず中小業者は大半は、この金利に移行する段階で廃業するであろ う。次に問いたいのは、この中小の業者の引き受けていた顧客層を誰が引き続きフォーローし融資するのかという点である。

きっと投稿氏は、これを大手あるいは銀行系の消費者金融が引き受ければ良いと単純に考えているのであろう。し かし中小が引き受けている顧客層は、貸し出しリスクが高い層だ。簡単に言えば、不良債権になってしまう確立が高い。金利は信用のリスクというものに対する 対価であるから、銀行系の消費者金融・上場している武富士・アイフルなどの大手業者も容易に引き継ぐことは不可能となる。そして結局は、融資困難。供給不 能となり、消費者金融市場のマーケット収縮が起こる。

次に起こるのは、人為的な金利規制によって、利益を生み出し得なくなった外資が、このマーケットから撤退す る。現在、外資系消費者金融会社は、GE系とシティバンク系の二社が、参入しているが、今年初めに、シティ系消費者金融は、現在の上限金利水準では、利益 が確保できないことを理由に撤退の意向をほのめかせている。もしも投稿氏の提案のごとく、金利が利息制限法の水準まで、下がったとしたら、二つの外資系企 業は、利益を確保できない日本市場から早晩撤退するであろう。

ではこの信用収縮に陥って、融資を受けられなくなった層を救うのは誰か。それは日本政府が設立する金融機関と いうことになるのか・・・。しかしおそらくは数兆円に及ぶ不良債権に極めて近い信用リスクを政府が負うといっても、結局その出所は、国民の血税であり、現 在、膨大な国の借金がかさんでいる時期にそんなことをしている経済状況ではないはずだ。

仮に低利の金融機関が出来て、一時的に助かる人が一方でできたとしても経済原則に合致しない仕組みは、リスク が吸収できないのだから、現在の公共事業と一緒で、早晩破綻することになるはずである。とにかく政治が、選挙民の言うことを聞き、経済の原則に合わないこ とでもなんでも、利益誘導に走って国に負担させて来た結果が、今の日本の借金付け国庫の現状だ。だから金融機関の創設などという現実離れした話は、机上の 空論に過ぎない。もうこれ以上、大衆が飛びつくような安易な政策をやってリスクを国に負わせるようなことでは駄目なのである。

もしも、投稿氏の政策が、現実に実行されたとしよう。そうなれば、現在のヤミ金融は、更に巨大な怪物となり、 グレシャムの法則の通りに、「悪貨が良貨を駆逐する」ということが起こる。すなわち合法的な金利で商売する業者は、利益を確保できず撤退消滅し、市場の潜 在的なニーズを捉え逮捕覚悟で違法な利益を享受ヤミ金融は、アル・カポネのように巨額の利潤を上げるのである。よくヤミ金融は、法律が甘く、警察の取り締 まりが緩いせいだ、と言う人がいる。これも一見正しいように見えて、実は芯を外した議論だ。ヤミ金融とは、日本経済の金利政策の失敗を糧にして成長したあ だ花であり、これを退治する最終兵器は、やはり金利政策を現実の経済実態に合わせるしかないことを明確に指摘したい。我々は、禁酒法の過ちを思い起こし、 二度と同じ過ちを繰り返してはならないのである。
 

6 2003年「ヤミ金融対策法案」を検証する

どうやら、2003年7月2日の朝日新聞の記事によれば、来週には、ヤミ金融対策のための法改正が国会で可決 される見通しだ。法改正の骨子を見ながら、その実効性を検証してみよう。

ヤミ金融対策の法改正の骨子は大まかに以下の4点である。

【1登録要件の厳格化】

1.暴力団員または暴力団員でなくなった日から5年を経過しない者、これらが役員などである法人、暴力団 員などを業務に従事させるおそれのある者は登録拒否
2.過去における登録取り消し者などの登録拒否期間を現在の3年から5年に延長
3.一定額の手持ち資金を義務化
4.研修を受けた貸金業務取り扱い主任者の設置義務化
5.国の登録免許税を現在の9万円から15万円に引き上げ

【2取り立て行為などの規制強化 】

1.無登録業者の広告、勧誘の禁止。違反した場合は罰則の対象
2.貸し付け、債権の取り立てに当たり、偽り、不正、著しく不当な手段を用いることを禁止
3.取り立てに当たり、相手の請求があったときは身分証明書の提示を義務化

【3罰則の強化】

1.無登録営業の刑事罰を現行の「3年以下の懲役もしくは300万円以下の罰金」から「5年以下もしくは 1000万円以下」(法人は1億円以下)に引き上げ
2.出資法の規定を超える高金利に対する刑事罰を現行の「3年以下の懲役もしくは300万円以下の罰金」から 「5年以下もしくは1000万円以下」(法人は3000万円以下)に引き上げ

【4その他】

1.年利109.5%(うるう年は年109.8%)を超える契約は利息部分の契約無効

今回の法改定の根本は、これまでの登録制度が、非常に甘く、極端に言えば、誰でも貸金業を営める状況であった所を厳 しくすることによって、組織暴力団が、貸金業という業界に容易く入って来れないようにすることにあるように思われる。これはヤミ金融の実態を分析すれば当 然の罰則強化策ではあるが、水際の策であり、これが本当に効果を発揮するかどうかは、かなり難しい面があると言わざるを得ない。

その理由は、ヤミ金融という社会悪が、生まれてくる経済的土壌を何故か無視していることである。概して政治的 決定というものは、経済合理性とは少しかけ離れてしまいがちであるが、3年前の金利改定も、社会の流れにそぐわない現実離れしたものだった。それが結局、 ヤミ金融を蔓延らせてしまう引き金となった。つまりヤミ金融が発生した裏には、金利の大幅な低下によって、貸金業の収益構造が劇的に変化して、利益を生み 出しにくくなってしまったことがあった。そうなれば誰も利益の上がらないビジネスをボランティアよろしく続ける人間はいない。結局、資金供給者(貸し手) が、減ったことが今回のヤミ金融被害拡大の大きな要因であった。そこに目を付けたのが、組織暴力団ということになる。まさに禁酒法下のアメリカの状況が日 本にも出現したのである。このヤミ金融発生のメカニズムについては、すでに経済学で言う「逆選択」の典型的ケースとして、研究者やエコノミストの間だけで はなく、一般にも十分コンセンサスを得つつあるように思われる。

今回の与野党の政治家は、おそらく消費者団体や業界団体の意見を聞き、これを総合的に勘案してこのような改正 案に落ち着いたのであろう。もちろん関係者の努力には頭が下がるが、今ひとつすっきりしないものが後に残る。残念ながら、経済実態から見て、今回の関係法 改正案が、抜本的な意味でのヤミ金対策法とはなっていないことは事実である。したがって、罰則強化によるある程度の犯罪抑止効果は期待できるが、ヤミ金融 発生の根元を絶つ所まで踏み込んでいないために、その効果は極めて限定的なものにならざるを得ないであろう。

私はここでひとつの提言をしたい。金利を含めて、関係法の改正は、再び三年後となるそうであるが、そんな悠長 なことは言わず、直ちにヤミ金融という社会悪の根絶のために取り組んで欲しいことがある。貸金業全般に関する金利政策の見直しである。やはり、資本主義経 済の原則に従うならば、金利政策こそがヤミ金融根絶の最終兵器となることは自明の理である。金利というものは言うまでもなく、上下に変動する性格のもので あるから、これを適正に保つようにすることでヤミ金融の存在理由がなくなってしまう。そこでまず金融論の専門家あるいはエコノミストを集めて、「消費者信 用金利検討委員会」(仮称)を立ち上げて、個人信用市場における”適正金利を計る指数”のようなものを設定すべきではないかと考える。これを仮に「個人信 用金利指数」としよう。そうすることによって、出資法の上限金利を今のように「40.004%」や「29.2%」などと固定的に考えるのではなく、国内の 景気や物価の動向や自己破産の状況、あるいは世界経済の動向を踏まえて、金額の大小、借入期間、信用リスク(他債務)に応じて、一定のレンジの中で臨機応 変に上下させるようにする。

現在、日本社会を見渡して見るならば、あらゆる面でモラルの崩壊が起きている。お金の貸し借りという面にもそ れは現れている。八尾市で起こった高齢のヤミ金融被害者三人の心中事件は、まさにそうした状況の中で起きた悲しい事件であった。しかし敢えてこの事件に救 いを見つけるならば、亡くなった被害者が、極めて高いモラルをもって、ヤミ金融以外の借り先に対して「ごめんなさい」と言って亡くなったことだ。今、この 事件をきっかけに、法改正の動きに拍車がかかり、今この三人の尊い命の犠牲の上に立って、日本人は、もう一度真剣に、人の生き方を学ばなければならないの である。もちろんその中には、これまでタブーのようであったお金はどのようにしてどのような所から借りるのか、そしてその返し方はどのようにするのか、ま た返せなくなった時の救済法はどんなものがあるか。契約とはなにか、というような消費者教育の学校教育への制度化も含まれることは言うまでもない。ヤミ金 融という社会悪を根絶するシナリオは、もちろん厳罰をもって、これを取り締まることも必要であるが、最終的には、やはり経済学の原則に従って、金利政策を 現実に見合った水準に設定することが一番である。了 佐藤



2003.6.25
2003.7.03 Hsato

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