トルシエで勝ちトルシエで敗れた日本


日本サッカーの熱い夏が終わった。観戦後も何か吹っ切れない感じが後味の悪いラーメンを食った後のように残った。だからよく戦ったとは言いたくない。何故力を出し切れずに終わってしまったのか。それが問題だ。

結論から言えば、今回のワールド杯ベスト16での敗退は、中田英が言うように「何かが足りないから」負けた。それだけのことだ。ではその「何か」とは、指導者トルシエのモチベーション(動機付け)持ち方にあった。少なくても私はそう思う。トルシエにとって、一次予選突破がモチベーションのすべてであり、それ以上は、明らかにオマケのような戦いだった。その証拠に、予選突破以降、トルシエの表情は、突如として柔らかくなり、ありありと充足感というか、達成感が支配していた。発せられる言葉も変わった。

その指揮官のモチベーションの切れが、選手にも伝わった。一次予選突破後、中田英は「これからは楽しみたい」という言葉を吐いた。でも考えてみれば、ワールド杯のような魂のぶつかり合いのようなゲームでは、そのようなモチベーション・レベルでは最後まで勝ち残れるものではない。指揮官であれば、ここでモチベーションのギアチェンジが必要だった。

例えばこんな言葉だ。
「おまえ達は、予選突破で終わるような実力ではない。おまえ達は、俺にも信じられない位、日々進化成長している。ここで気を抜くな。このまま、成長すれば、俺はおまえ達が決勝にまで行けると思う」

しかしトルシエの言い方は、「絶好調の時こそ、新しい血を入れる」というコメントを漏らした。それはこれまでの戦術を変え、選手を入れ替えることを示唆したものだった。前日ラジオのある番組で、トルシエが、「先発メンバーを入れ替えるらしいが」ということを、前阪神監督の野村氏に聞くと、「私にはサッカーは分かりませんが、野球で言えば、勝ち続けている時には、先発メンバーは余り動かすものではないと思いますが」と明確に答えていた。勝負のセオリーにサッカーも野球もない。サッカー大国ブラジルの格言にも「勝っている時には、メンバーは動かすな」というのがあるそうだ。

そして6月18日のトルコとの決戦の日。折から仙台は、大雨が降っていたが、先発メンバーの発表を見て、誰もが驚きの声を上げた。イタリアのテレビでも、前ナポリ監督のデカニオが「何故勝っている時のセオリーをトルシエは無視するのか」と叫んだと言う。確かにボードには、これまでの一次予選の出場していなかった西沢をトップの位置に、さらに三都主(サントス)をトップ下のポジションに入れてあった。これはセオリー無視の奇策であり、勝っているチームが取る策ではないことは明白だ。

どこかスタートから、ボタンを掛け違えたようなぎこちない動きを見せていた日本チームは、前半の11分に、パスミスから、痛恨の一点を入れられた。リズムを崩したままの日本チームは、結局体制を立て直せないまま、西沢は不発に終わり、三都主(サントス)は、精一杯頑張ったものの、前半だけで、鈴木に交代させられた。さらに疑問はある。スタミナのある今大会のヒーローの一人である稲本が前半だけで退いたことだ。そして無情にも試合終了の笛が雨のグランドに響き、日本はあっけなく敗れた。トルコに敗れたというよりは策に溺れたトルシエが自滅した感じがした。結局、前半のパスミスによる1点が決勝点となってしまった。

結論である。日本がここまで勝ち進んだのも、トルシエ采配なら、最後にトルコに負けたのも、トルシエ采配であった。サッカーというものがチームを率いる監督の手腕にいかに依存しているかということを思い知らせれたゲームであった。

その思いは、日本-トルコ戦の後に行われた韓国−イタリア戦を見た後、強烈に痛感させられたことでもあった。韓国チームは、日本同様優勝候補であるイタリアに得点を許しながら、明らかに日本チームの消化不良の動きとは違う、観る者を釘付けにするような悲壮な戦いに終始した。明らかに、それは就任一年のヒディンク監督の采配にも現れていた。何と是が非でも韓国チームを勝利に導きたい彼は、後半になるとバックスを二人だけ残し、点数を取りにいく布陣を敷いて、選手をイタリアゴール周辺に集中させた。これも奇策である。しかし戦局打開の奇策であり、トルシエのそれとは明確に区別されるべきだ。並々ならぬモチベーションの高さである。

そしてついに後半タイムアップ寸前、同点に追いつき、延長戦後半にゴールデンゴールで決勝点を上げて勝利をものにした。それは監督の思い(モチベーション)と韓国チームの選手の魂がひとつになって戦った結果であった。誰が見ても、韓国があの試合で最後に敗れたとしても、「よくぞここまであのイタリアを苦しめた」という絶賛の声が上がったはずだ。要するに韓国チームは、自分たちの力を出し切り、日本チームは、出し切れなかった。ただそれだけのことである。日本と韓国を分けた明暗の根源には、両監督のモチベーションの違いがあった。これが私の見方である。

もしもトルシエも、モチベーションのギアチャンジが出来たならば、ここで終わるような日本チームではなかったはずだ。あのブラジルの英雄ジーコも同じようなことを試合後に語っていた。
「勝てた試合だった。寂しい。悲しい」と。佐藤
 

 


2002.6.18
 

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