人が「ウチに帰る」ということ
昨日ふと思ったことであるが、「人がウチに帰る」という時、その「ウチ」とは、単に自宅を指すものではなく、自分が住処として暮らして周辺全体を指して云っていることに気付かされた。

つまり人が、「ウチに帰る」と云う時、いつも毎日通っている駅や行きつけの寿司屋や食堂あるいは焼鳥屋などを総称して、そのように考えているのだと思うのである。

昨日、新幹線で夜8時半過ぎに最寄りの駅に付き、いつも通っている焼鳥屋へ足を伸ばした。そしてビールを一杯呑んだ瞬間、「ああウチに着いたんだな」、と思った。「ウチ・・・?」何故、そんな風に思ったのだろう、などと考えているうちに、意味が呑み込めてきた。

ウチとは、ウチ(内)とソト(外)のウチである。ウチとは味方であり、ソトとは敵を意味する。つまり、ウチに辿り着くということは、味方の多くいる場所に帰ってきて、ほっとひと息つくことを意味するのである。

ところで、ここからが今日の本論であるが、今現在、本当に私の考えた「ウチ」を実感できる人間がどれほどいるだろうか。

考えてみれば、特に都市部では駅員と顔を見合わせて、「お早う」と挨拶し合う人などまずいない。回転寿司で、そこのオヤジと顔見知りになるなんてあり得ない。コンビニだって同じだ。最近では馴染みの焼鳥屋なんて、どんどん店じまいして、今流行の大衆酒場とって代わられてしまった。家に帰れば、仇のような鬼ヨメがいたりして、それこそ伴侶と子供達がいつ鬼になって、「鬼はソト」と豆をぶつけられかねないのが現状だ。

こんな殺伐とした現代で、もしも心から「安らぎ」を感じる「ウチ」を持っているとしたら、その人は、実に幸せ者だと云ってよい。見栄を張らずに答えて欲しいのだが、さてあなたは「ウチ」と呼べるだけの「ウチ」を持っていると思われるか?了

 

 


2004.9.2

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