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うらみ」という心の有り様 

−掲示板に恨み言を書かれた貴方に−


 
「うらむ」という言葉がある。漢字にすれば、「怨む」・「恨む」・「憾む」と表記する。その昔、日本には「うらみの歌」というのもあったらしい。それほど、「うらみ」は、いつの時代、いつの世の人の心にもあって、「うらみ」を抱えたまま悶々とした一生を送った人もけっして少なくない。うらみが高じると、うらんだ人に呪いを掛け、ワラ人形に五寸釘を打って、うらみを晴らそうとする人もいた。うらみを遺したまま死ぬことを「うらみ死に」とも呼んだ。

夏によく出る幽霊は、このうらみを遺して死んだ人が、うらんだ相手の人間を標的として出る「うらみ晴らし」の行為あるいは現象と考えていい。考えて見れば、四谷怪談の「お岩さん」も、自分を殺した亭主の「伊右衛門」には見えるが、他の人には見えないし、害を与えることはない。このように亭主の幽霊とお化けの違いは「うらみ」のあるなしにあると言っていいかもしれない。(一般には幽霊は、人につき、お化けは土地につくものと言われる。)

うらみが高じれば、そのうらみは、生霊、怨霊、幽霊となって、その害をなした人間の前に現れ、「うらみ晴らし」の行為を行う。この現象が、歴史の中でも多く現れる。古くは出雲の祖神とも言えるスサオノの尊(?)が、憤怒の形相と化して、牛頭天皇となり、出雲を滅ぼした連中をたたりにたたって(?)、ついには、これではたまらんと、祇園の神として八坂神社に祀られ、たたりは封印されたという説まである。また奈良にある法隆寺が、志し半ばで不慮の死を遂げた聖徳太子の怨霊を鎮めるために出来た寺とする梅原猛氏の説は、なるほどと頷かせる実に恐ろしい話である。

また平安時代には、文人政治家の菅原道真は、藤原時平の讒言によって、九州に左遷され、失意のうちにこの世を去ると、たちまち宮中に怪異現象が現れ、雷が鳴り響き、落雷によって、多くの人間がたたりによって命を落とすという怖いことが起こる。その後、彼の御霊を鎮めるため、北野天満宮が建てられ、道真はついに神として祀られることになった。誰にとってもうらみを持った人間というものは、怖いもので、怖いからこそ、それが、社会においては悪いことをしない抑止の役割を果たしてきたことも事実であろう。

それでも人にうらまれることを覚悟で、己の保身や権力欲あるいは金銭欲によって、誰かにうらみを持たれるような悪行を為してしまった人間は、その罪を逃れ、うらみ晴らしの「たたり」から逃れようと、寺社を建て、そこに金品を寄贈し、うらみ封じのために、その道に長けた安倍清明のような陰陽師(おんみょうじ)のような人物を頼んだりもしたのである。

さてうらみは時代を超えて、いつの世にも永遠に「たたり」をもたらすものだろうか。そんな設問をしてみよう。考えてみれば、うらみを晴らすにも、その人間が死ねば子孫をにもたたることがあるらしいし、うらみの残る土地や家屋に偶然住んだ人間に害を及ぼすこともあるようだ。例えば、大手町にある平将門の首塚の事で考えれば、その塚を動かそうとすると、必ず障りがあって、事件が起こるもので、とうとう土地の人も、その地に眠るたたる人物を、神として崇敬するようなことが起こる。すると今度は、たたる神というものは、それが逆になると、信じられないような御利益をもたらす福の神となるようなことも起こる。

例えば、古来から、山伏達は、地方に先の牛頭天皇に対する信仰を各地に広めて、道の辻や境などに石の祠を造って、この牛頭天皇を祀ったようである。何故祀ったかと言えば、災いや疫病から里を守り家族を守るために、実は非常に荒ぶる神で、少しでも邪険にしたりするとたちまちたたりを為すような怖い神様ではあるが、祀る方が本気で信心をすれば、御利益が強いという理由で、スサノオの尊をそこに据えたのであろう。それが長い間になると、土着化し、どのような性格の神様だったかは、忘れ去られ、御利益やいかに怖い神様であるかが喧伝されて、その地方に伝えられてきたのである。

こうしてある人物のうらみから発した「たたり」の神様は、いつの間にか、里やそこに住む集落の一族を守る土着の福の神(善神)として変化を遂げてしまう。つまりよくたたる神というものは、最高の御利益をもたらす福の神(善神)なのである。だからこそ道真公は、天神様となって、自分を大切にしてくれる者を、あるいは学問の神となって、精進するものを、強力に守ってくださると日本人は信じてきたのである。日本の歴史の中でも、このように抱えきれないようなうらみを持って亡くなった人物たちも、その心をくみ取ろうとする人々の暖かい信心の力によって、うらみは溶かされ福をもたらす神様として変身を遂げたのである・・・。

ここからが、今日私が、言いたきことだ。人間というものは、生きている限り、誰でも、「うらみ」とまでは行かなくても、何処の誰かに対して少なからず、「うらみ」に近いような感情を持つことがある。かく言うこの私も、二人の人物に10年ほどまえまで、「会ったらだだでは済まさない。あの世に言っても文句を言ってやる」と、思っている人物がいた。しかし「うらみ」ということの本質を考えてみたら、それが無意味であることを知り、馬鹿らしくもなり、ある時を境に、本気で止めることにした。

それまでは「うらみ」というものは、私の心の中にあって、複雑に絡みあった糸のようでもあり、それがいつの間にか、ガン細胞のように少しずつ増殖していくようであった。そこで私は思った。「固い氷のようなこの「うらみ」とものに暖かい「思いやり」という光りを当ててみよう。」もちろんこれはイメージである。光りがじわじわとその「うらみ」というものを溶かしはじめ、いつしかきれいな清水になるイメージを何度も心の中で描いてみた。何度か試すようになり、何日か過ぎた頃、心の中で、イメージながら、「ふわっと」した感覚があり、氷が溶ける実感が巻き起こった。その次の瞬間、私はそのうらみの対象者が私に対して、行った行為を、静に考えていた。するとその人の気持ちというものが、朧気ながら、判った気がした。氷はあっという間にすべて水に変わってしまった。私は自分の中で、「これが水に流すことなんだな」とつくづく思ったのである。

その後、かの人物に会っている訳ではない。ましてや一人の人はもう死んでしまっている。結局今になって考えてみれば、相手に対する「うらみ」と思っていたものが、実は自分の観念の中にある「うらみ」という感情だったのである。簡単に言えば、それは相手ではなく、自分の心に映った「うらみ」という実に醜い心の有り様だったのである。こうして自分の内にあった「うらみ」のしこりが解けると、ものすごくいい気分がしてきた。空を見ればどこまでも青く澄み渡り。小鳥の声は、自分に天使が歌いかけてくれる歌のように聞こえた。花は花で生命の光りを放って輝いている。これがうらみを水に流した気持ちというものか。とつくづく思った。うらみを水に流すことは、相手のためにすることではない。それは自分の人生のためにするのである。私に限らず、人間という者は、その人生において、「うらみ」という負のエネルギーによってが、支え生かされていることもまた事実だ。しかしそれは人間にとって、けっしてプラスの生き方とは言えない後ろ向きの生き方そのものである。私自身ふり返ってみれば、その為に随分と回り道をしてしまったと思う。

「義経伝説」の掲示板に、個人のうらみ事を書いたあなたの気持ちは、「天罰は落ちる」という文章によって、助長されたことは、容易に想像できる。でも今、そのうらみを、自分の中で水に流すことで、あなたの人生が、真に美しく輝やき出す瞬間が、必ず訪れることを信じてペンを置くことにします。佐藤

 


2001.12.12

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