野田岩の鰻

土用の丑の日の風習


土用の丑の日が近づいてくると、やはり何故か鰻が欲しくなる。一度鰻のことを考えると、頭の中が鰻で一杯になった。腹の虫が「グー」と啼く。

「よし、今晩は、自分に暑中見舞い。野田岩(のだいわ)の鰻を食べよう」と勝手な理屈をこしらえて、昼過ぎ腹を決めた。

「野田岩」とは、江戸の鰻ファンがあこがれる鰻の老舗である。創業百六十年、現在の亭主は五代目金本兼次郎氏。本店は東麻布にある。最近では日本橋高島屋の中にも出店し、御中元や歳暮の商品としても珍重されていると聞く。又何年か前に、パリにも支店を出したと聞いた時には驚いたものだ。

下北沢の店(03−3413−0105)は、南口から一分スーパーダイエーの前に位置する。こじんまりとした店だ。一階は全て調理場で、二階が店となる。狭い階段を上ると、焦茶色のトーンで統一された純日本の間が店である。竹や古柱を使った渋い雰囲気で、広さは十五畳位ほど、テーブルが大小六台あり、十五六人も入れば満席になる広さである。

野田岩で鰻を食するということは、少々並ぶ覚悟がなければならない。5時半からの営業である。急いで仕事を終えて、五時四十五分頃に行くと、すでに小雨の中を十人以上の鰻ファンが並んでいるではないか。

待つこと、三十分ほど、「お待たせ、どうぞ」という声を聞いて、やっとの思いで二階に駆け上がる。初めて食す人は、まずやはりお重だろう。私の目当ては「志ら焼き」である。これは、文字通り、たれを付けずに白く焼いた鰻である。これを本わさびとたれでいただく。これが実に旨い。日本文化の深みが味覚になった感じすらすると、評しても決して大袈裟ではない。

私は、そこでこのように注文する。

「志ら焼きを定食で。それにビールお願いします。煮こごり、今日は有りますか」

すると「はいありますよ。」と女将の城さんが言う。

野田岩の煮こごりも、美味だ。最初に食した瞬間、思わず、「これ以上の酒の肴はないのではないか」、と思ったほどだ。飴色の透明な煮こごりの中に、程良い柔らかさの鰻が詰まっている。自然な甘みが口一杯に拡がる。一度味わってみれば、私の表現が嘘ではないことが分かるはずだ。
ビールを飲み終えて、人肌の日本酒がテーブルに着いて、ほんの少しして、重厚な黒漆のお重に入った「志ら焼き」が設えられる。絶妙のタイミングだ。それにコシヒカリの白飯と肝吸い、お新香、大根下ろし、更に先ほど言った本わさびが蓋のついた有田焼きの器で添えられる。一瞬殿様にでもなった気分がした。

まず志ら焼きの蓋を丁寧にとって、じっと鰻を眺める。やや小ぶりの鰻である。そう言えば野田岩の箸袋には次のような注意が書かれている。
 

天然鰻のお吸物のきも、又はきも焼に釣針が入っていることがありますのでお気をつけ下さいませ。
天然物だけに、最近スーパーなどで売られている大柄な鰻ではない。一切れとって、山椒を掛けずにそのままいただく。しばらく口に含んで、納得した。これだ。これが野田岩の鰻だ。次ぎに山椒を少しかけて口に運ぶ。これまた別の妙味がある。人肌で一気に流し込んむ。本わさびで、口の中を調整し、今度は鰻にたれをたっぷり含ませて、白飯と共に、がっとばかりにいただく。何か、鰻がやたらと愛しく思えてくる。どんどん鰻の身が減って行く。入口では、野田岩の鰻を食することを楽しみと待っている人がいる。食の楽しみも永遠ではない。要するに食する鰻の身が失われると共に、私が野田岩に存在できる時間もまたどんどんが失われて行くのが悲しい。でも普通の悲しさではない。鰻に感謝したい気分になって、「野田岩で料理されて良かったね」と心の中でささやいた。

野田岩で鰻を食しながら、人の人生の至福の時を思った。誰にでも至福の時というものはあるはずだ。しかし大抵その至福が目の前に訪れても、それが至福なのだと感じられないまま、通り過ぎてしまっているのではないだろうか。もし至福が今なんだ。と感じることが出来れば、もっと人はその一瞬を大切に味わう気になるだろうし、そもそも時間をもっと大切に消費するようになるのではあるまいか。野田岩で鰻を食べながら、そんなことを思った。鰻好きも、それほど好きでない人も、一度、野田岩で自分の味覚を確かめてみてはどうか。鰻から至福の時を頂戴出来るかも知れない・・・。佐藤

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追記
みなさん野田岩に行く際は、ご注意を。

実は土用の丑の日は野田岩は営業をしていまいのです。
今年は、日曜日の七月三十一日だけでなく、前日の三十日(土)も休むと言う。

それは野田岩のような江戸前の老舗の、古来よりの慣習のようである。

そもそもこの土用の丑の日に、鰻を食すという風習は、平賀源内だか太田南畝(うねび)に、ある鰻屋さんが、「商売繁盛の秘策がないか?」と相談したところ、「土用の丑に鰻を食すと薬になり、滋養になり、大変体にいい」、として「土用の鰻」として宣伝したところ、これが世に広まって、「土用の丑には、鰻を食す」という江戸の風俗が出来上がったらしい。

まあ早い話が、日本のバレンタインデーでチョコレートを贈ることを不二家が考えたようなものであろうか。それ以来、約百五十年前後、土用の丑の日は、江戸中の鰻屋さんの「書き入れ時」となっているのである。

ところが野田岩のような老舗の場合は、この土用の丑の日は、巷で大量の鰻が消費されるため天然物の良品が品薄状態となる。それで味が落ちてしまっては、老舗としての沽券(こけん)にかかわる、というので、この日は逆に休みになったとも言われている。まさに江戸職人の心意気を示す逸話かもしれない。

*参考:本山萩舟著「飲食事典」平凡社(1958年刊)

 


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2000.7.29