トリノ五輪の美しき敗者
「イリーナ・スルツカヤ」に捧ぐ


−敗者は勝者に負けず美しい−


2006年トリノ五輪の華「女子フィギュア決 勝」があっという間に終わり、今オリンピックの「勝者」と「美しき敗者」が決定した。

眠い目をこすりながらテレビをつけると、ショートプログラム一位のサーシャ・コーエンの演技がちょうど終わったと ころだった。コーエンは二度ジャンプで転倒したために、得点は180点台で思ったほど伸びなかった。続く荒川静香は、指の先まで神経が行き届いた伸びやか な演技で終えて190点台の高得点をマークして、ミスをしたコーエンをあっさりと抜き去った。村主章枝は相変わらずの神懸かりの演出で会場を沸かせたが、 全日本でみせた聴衆と一体になったようなムードは醸し出せなかった。

そしていよいよ、最終滑走者としてイリーナ・スルツカヤの登場である。始まる前、彼女の顔がいつになくこわばって みえた。荒川の高得点でプレッシャーが彼女を襲ったのかもしれない。それでも彼女は気を取り直し、コーチと一言二言かわして、リンクの真ん中に立つ。やが てフラメンコ調の曲がはじまって演技がスタートした。真紅のコスチュームに身を包んだスルツカヤだが、どうも音楽に乗れていないようだ。風邪でもひいてい るのか、いつものバネのあるジャンプが影を潜めている。三回転が二回転になり、後半になっても、スルツカヤ特有の躍動感が感じられぬまま、その時がきた。 ジャンプでまさかの転倒。これですべてが終わった。それを一番知っていたのは、スルツカヤ自身であろう。このクラスのアスリートになると、どのような演技 構成で、どれほどのレベルで滑れば、荒川の高得点を抜くかが計算できるはずだ。自分が完璧な演技をして、僅かに荒川の得点を抜けるかどうか。おそらくその ために彼女の緊張はピークに達していたのだ。余裕を持って滑れる得点ではないからだ。転んだ瞬間、敗北は明かだった。滑り終わってポーズを決めた後、スル ツカヤはお決まりの笑顔を見せた。しかしその笑顔はすぐさま泡のように消えて落胆の表情が滲んできた。悔しいに違いない。泣き叫びたいほど悔しいはずだ。 しかし彼女はそれをプライドにかけて必死で押さえて笑顔に終始した。

病気の母を抱え、自らの病気と闘いながら、スケート競技を人生として送っているスルツカヤにとっては残酷な瞬間 だった。「キス・アンド・クライ」といわれる舞台がある。それは競技者が終わった後に自分の得点を待つ舞台である。喜びのキスを交わしたりあるいは悔し涙 を流すという意味で、そのような名称になったのだろう。そこに座った時、彼女はテッシュをとって涙をふいた。テレビカメラが来ると、それでも彼女は笑顔を 見せて、必死に己の内面を見せまいとした。

それは自国で応援している母をはじめとする人たちへの気遣いであろう。イリーナ・スルツカヤは、こうしてトリノ五 輪の美しき敗者となったのである。彼女は、きっと母に電話をしてこのように云うであろう。「ママ見てくれた。ゴールドメダルは取れなくて少し残念だけど、 ブロンズメダルよ。人生はすばらしいわ。ママや家族の応援に支えられてここまでこれたの。本当に感謝しているわ。ママありがとう。スケートの神様にも心か ら感謝したいわ」と。

勝者となった荒川静香はもちろん素晴らしい。と同くらい私は2006年トリノ五輪において美しき敗者となったアス リート「イリーナ・スルツカヤ」を心から賞賛したいのである。

 美しき敗者となりし人褒めて敗者贔屓と云 ふことなかれ
 ひたむきの努力の果てに敗れ去る君美し き敗者なりけり

2006.2.24 佐藤弘弥

ト リノ五輪の美しき敗者は誰に?!

− 盛り上がらぬトリノ五輪と女子フィギュア美の饗宴−

冬期五輪の華、女子フィギュ アスケートが、21日(日本時間未明)にトリノでスタートした。日本選手陣が、ここまでメダルを取れないこともあって、まったく盛り上がりに欠ける五輪ではあるが、流石に女子フィ ギュアだけは別物である。トリノの会場も、何万もするチケットを購入して、多数のファンが押しかけていると聞く。

日本選手の活躍はさておき、選手の表情というものをじっと見ながら、お国柄や国民性のようなものが自然と選手の表 情には出るものだなと感じた。日本人はどうしても、「私を見て!!」と訴えるような目は出来ないように思えた。やはりまだ大和撫子の遺伝子が遺っているの だと少し嬉しく感じた。ただもう少し愛嬌があってもよいと思った。表情に余り出さない日本人のクセはなかなか抜けないものだ。

一方、アメリカの選手は、良きにつけ悪しきにつけ、ラスベガスのショーダンサーのように観客に全身全霊のアピール をしてくる。どの選手も、そのショーマンシップは変わらない。化粧も濃く、これがアメリカというイメージだ。長野五輪で、私は今回出場を辞退した、ミッ シェル・クワンを「美しき敗者」と表した。あの時の彼女は、自国の若いタラ・リピンスキーという少女に敗れて、確か銀メダルだったと思うが、敗れた後もさ わやかで、素晴らしい人間性を見せられた気がした。

もしも今回同じような人物を捜すとすれば、それはロシアのスルツカヤであろう。彼女はヨーロッパでは無敵の女子選 手だが、何故か、五輪の金メダルには縁がない。前回のソルトレーク五輪でも、アメリカの伏兵サラ・ヒューズという無名の選手に敗れ、「あんな採点があって いいの」と絶句して泣いたこともある。その後は、原因不明の病気にも罹って、思う様に体が動かなくなった。一年間の闘病生活。さらには母の病気のこともあり、引退の危機もあったようだ。それを乗り越えてのトリノなのである。順風満帆で来た女性アスリートではない。スルツカヤのスケートには、彼女の人生が見える。フィギュアというものを越え、ある線を越え た者だけが醸し出すオーラが彼女の周辺には漂っている。それはけっして意識して発せられる質のものではない。

そのスルツカヤが、浅田真央の不出場のことを聞かれ、「それも人生」と短い言葉を発したという。つまり、「スケー トは人生。だから色々な難関が選手を待ちかまえていて、それを乗り越えた者だけが、栄光のメダルを取れるのよ。だからあなたも頑張って」ということを言外 に含んでいるのである。

スルツカヤの演技を観ていると、そこには「勝ちたい」とか「金が欲しい」というような欲など微塵も感じられない。 ただ人生を賭けてスケートと取り組んでいる、その一途な美さだけが伝わってくる。何か、「不 屈の精神」を表しているようで、観る者の心を揺さぶるものがある。

日本の荒川にも同じものを感じる。彼女は、前回の五輪には、出場すら出来なかった。そこからはい上がってきて、ス ケートする怖さと喜びを一身に表現しようとするように見える。そこにあるのは純粋無垢な魂だ。一方、村主はまるで巫女さんのようだ。目に見えぬスケートの 神様との対話をしている、そんな雰囲気を会場一杯に漂わせることができるのは彼女だけであろう。

採点について思うことがある。これまでは、ともすれば、難しい技、例えば3回転半とか4回転のようなものをマス ターすればある程度、入賞もできたように感じたのだが、採点法が変わって、技の習熟度に加えてエレガントさがないと高得点が望めなくなったようである。こ のために、キャリアを積んだ選手が有利である。その意味では、今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの浅田真央のような旬の天才でもでない限り、少し悩みかけていて 才能の限界を露呈しつつある安藤美姫では、やはり今回はあらゆる面で若過ぎると感じた。

あさっての決勝を楽しみに見たいと思う。 勝者が誰になるか。そして美しき敗者は・・・?。佐藤 06.2.22

2006.2.24 Hsato

義経伝説
義経思いつきエッセイ