天狗のはなし

民衆の想像力としての天狗


昔から山の奥には、天狗(てんぐ)という妖怪が住んでいると信じられてきた。天狗という名称は、中国の山海経(せんがいきょう)に記載されている天狗(てんこう)から採られているようだ。その妖怪は狸に似ていて、白い首を持った猫科の動物のようにも見える。でも天狗の狗(こう)は、元々犬(いぬ)のことであり、天に住む犬くらいの意味だったかも知れない。

日本に入ると、天狗は山の神とされたり、山伏そのものと見なされるようになった。仏教が日本で隆盛になると、古い神としての神道は廃れて、神道に携わる山伏も仏教から攻撃を受ける存在となっていった。だから天狗という言葉は、一種の蔑視的な言葉となり、増長慢とも解されるようになった。この増長慢とは、仏教用語であり、己が悟ったと錯覚し、まさに増長して鼻高々に陥ることである。そのことを持って天狗の鼻は高くなり、「天狗になるな」とか「天狗の鼻を折る」などという言葉も出て来るのである。

しかし一方では天狗は、妖怪として超能力を秘めたものと存在として、民衆の人気を獲得していくことになる。例えば宮増という人物が作った能に「鞍馬天狗」という作品があり、この中では、鞍馬山に住む山伏が実は天狗たちで、幼い義経に剣術や兵法の秘術を教え、ついには平家追討の指南までしてしまう。ここに至って天狗という存在は、単に蔑まれる存在から歴史を影で動かすフィクサーのような役割まで果たしてしまうことになる。

これは増長慢と云われて一時蔑まれていた山伏たちが、仏教との劇的な葛藤の中で、仏教の教義や密教のなかの呪法なども積極的に取り入れる努力をした結果、一般には神仏習合と言われるような形で、仏教との共存関係を獲得したことの反映なのである

また一方では、民衆というものは、いつの世でもこのような超自然的な力を持った者に対する憧れや崇敬の念、というものを持っているものである。現代、我々の中にある一種の天狗様信仰のようなものも、このような民俗的な流れの中で形成された意識なのである。

一般に天狗のイメージと言えば、山に住み、赤い顔をし、鼻が高く、一本足駄を履いた、あの天狗さんの姿である。一説にはこのイメージが定着したのが、江戸時代であるといわれるから、中国から入ったテンコウがテングとなり定着するまでに、最低でも1200年から1300年の時はかかっていることになる。気が遠くなるような時間だが、それにしても人間の想像力とは、実に豊かで面白いものだ。佐藤
 


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2000.3.30