演劇の逝く

 
民芸の代表滝沢修氏が亡くなった。享年九十三歳であった。まさに渋い役者だった。滝沢氏は、演劇の鬼のような人物で、九十歳を越えた後も、演出に演技に全身全霊で取り組んだ。最近はめっきり足が弱って、セリフが抜けることもあった。それでも滝沢氏は、舞台に立ち、老いた生身をさらし続けた。

同僚であった宇野重吉氏も癌が悪化し、それでも全国を「宇野重吉一座」として死ぬまで、舞台に立ったのと同じだ。これは民芸の後輩の岩下浩氏に聞いた話だが、二人には、強烈なライバル意識があったようだ。普段は二人はあまり話もしなかったと言う。当然お互いを認め合い、それでも意識しながら、演劇の極みを目指した二人であった。

二人は、左翼演劇運動の高まりの中、昭和四十五年劇団民芸を組織し、滝沢修氏が、代表となった。それから今年で、早五十年の月日が流れた。劇団民芸は、今日では劇団員100名を遙かに越える大劇団となった。滝沢氏の代表作として、「炎の人ゴッホ」(ゴッホ小伝。三好十郎作)があるが、いまその作品が紀伊国屋サザンシアターで上映中(6.17-7.4)である。かつて数年前の舞台で、相手役をしたゴーギャン役の岩下氏がゴッホを抱えて階段を登るシーンがあるのだが、そこで余りにゴッホ役の滝沢氏が、激しく暴れるので、腰を悪くした、というエピソードも残っている。それほど滝沢氏は、演劇に関して一切の妥協ということを知らなかった。

最近1964年(?)のNHKの大河ドラマ「源義経」が発売されたが、その中で、滝沢氏は、義経の後見人となる藤原秀衡役を演じている。見ていると、静謐な演技ながら、その奥に激しい信念というものを内包している秀衡を見事に演じ切っている。この演技を見ていると、秀衡という人物は、きっとこのような大きな人物だったのだろうと思わせる圧倒的な存在感を示した。

本年劇団民芸は、創立五十周年を迎えている。まさに炎の人「滝沢修」が、魂を入れた作品「ゴッホ小伝」を鑑賞してみたくなった。演劇の鬼に合掌。佐藤
 


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2000.6.23