須磨残照

ここに三枚の写真がある。いずれも私がこの師走に須磨で撮影したものだ。 
悲しい、悲しい、写真だ。
 

一枚は、平の敦盛が埋葬されてある須磨寺の赤い赤い紅葉である。 
16歳の若き武将敦盛は、源氏方の武将熊谷直実と一ノ谷の波打ち際で一騎打ちをして、その若い首を取られ亡くなった。 
首は、この須磨寺に運ばれ、美しく整えられて、大将源義経によって、実検された。 
それから800数十年が過ぎ、恩讐は消え去り、敦盛はヒーローとなった。滅びは美しい。 
須磨寺には、敦盛の首を洗った井戸があり、義経が、首実検を行った腰掛け松が今も残っている。 空はどこまでも青く、冬だというのに、紅葉は妙に赤々として目に残った。 
 
 

須磨寺の冬紅葉 平成十二年師走

冬紅葉散らぬなりけり物部の心映してただ真紅(くれない)に





二枚目は、新しい明石海峡大橋からみた播磨灘である。信じられないような赤い夕日に、私は思わず息をしばらく止め、車中から夢中で撮影した。その時の一枚である。

屋島に向かう海は、平日は穏やかな海ではあるが、時として嵐の海と化すことがある。その中を九郎判官源義経は、決死の覚悟で船出したのである。
 
 

明石海峡大橋から播磨灘に沈む夕日を望む 平成十二年師走

この海を越えて渡りて兵(つわもの)は軍(いくさ)の神となりにけるかも





三枚目である。吊り橋で世界最長と言われる明石海峡大橋を渡り、淡路島に着く。夕暮れが迫っていた。東の空をみれば、須磨の沖に一三夜の月が、昇って輝きを増していた。源平合戦で激しく戦った多くの兵たちが、この海で尊き命を落とした。そのすべての出来事を、月は見ていたはずだ。月は秋と言うが、このように冴えた月をみると、冬の月もいいなと思った。無性に月の光が悲しく思えた。
 

淡路島から須磨沖に昇る月を見る 平成十二年師走

月冴えて播磨の海に御坐(おわ)します滅びし亡者(もものふ)弔うように


HOME

2001.1.4