「汝自身を知れ」という言葉に殉教した男

ソクラテス異聞



ソクラテスは、思い悩んでいた。何故、何か自分が行動を起こそうとすると、デーモンの神は、うるさく自分に意見を言って、その行動をやめさせようとするのか。私に憑いたデーモンの神は、いったいどんな理由で、私の行動の自由を奪おうとするのか・・・。

ソクラテスの友人達は、彼に何か得体の知れない精霊のようなものが憑いていると確信していた。ある者はその精霊がソクラテスの行動を否定ばかりするものだから、「否定の神様」と呼んで、半分からかったりした。反面、短気で議論好きのソクラテスが、人生に失敗しないのは、この「否定の神様」がいるおかげだと、言う者もいたが、それは事実だった。それでも当の本人は、このデーモンのうるさい声に支配されている自分が我慢ならず、大いなる悩みの種であった。

そしてついには、「いったい何の為に自分は、この世に生を受けたのか。私とは誰か。人生とは何か。」と真剣に考えるようになっていた。そんな青臭い少年のような悩み事を抱えながら、70才の老人ソクラテスは、歩き成れた敷石の道を神殿に向かって歩いていた。ふと見上げれば、白い雲が流れて行くのが見えた。何て青い空だろう、そう思って、ふと目線を下に下ろした瞬間、神殿の入り口の門の上に書かれた文字が見えた。

「はて…汝自身を知れ?」

この時、ソクラテスは、この言葉が、自分に対して呼びかけているように感じた。70才になるまで、彼は数え切れないほど、この前に足を運んだはずだ。何でこの言葉が、今頃になって、新鮮に見え、気になるのか。はっきり言えば、ソクラテスにとって、この言葉は、単なる門の上の模様に過ぎなかった。まるで気に留めなかった模様が、一瞬にして、自分にとって意味のある言葉に変化した瞬間だった。彼は、それから思索を始めた。

「汝自身を知れ・・・汝自身を知れ・・・」そう、心の中で何度も反芻(はんすう)した・・・。

3ヶ月ほど考え続けた挙げ句、ソクラテスは、このように考えるようになった。
「余りにも近くにあるものに対して、意識を留めることがなかった。そこから自分の感覚は無感覚と無意識に支配されていたのである」

さてこの自分の意識の状態を知った時、自分が自分の主(あるじ)になっていない現実をつくづくと思い知らされるソクラテスであった。それからソクラテスは、無感覚と無意識を排除し、自分の心の状態を目覚めた状態にしておくことを強く意識するようになった。

すると不思議な事が起きた。
あのいつも自分が何か行動を起こそうとすると、うるさく口を出しをするはずのデーモンの神が、さっぱり声を発しなくなった。どうした?と思いつつ。ソクラテスは生まれて初めて、行動の自由を満喫した。あらゆる事に対して、自分の意志で、行動し責任を持つ。何と清々しい瞬間ではないか。もう誰にも束縛されることはない。俺は自由だ。ソクラテスは天まで昇る心地がした。

いつしかソクラテスは、若者を先導し、自分が自分の主になるための方法を説いた。目覚めよ。若者よ。汝の主は、汝自身である。所が、その若者に対する教唆を、国家は犯罪としてとらえた。噂では、ソクラテスに憑いている「デーモンの神」が、このアテネという国家を転覆しようとしている。そんな噂がたって、有無を言わさずソクラテスは、国家反逆罪で逮捕されることになった。

ソクラテスは、急に不安になった。ソクラテスは処刑される。それも死刑だ。そんな噂が飛び交って、ソクラテスは、ますます不安が募った。そしてついにはあの「否定の神」である「デーモンの神」に祈りを捧げ、意見を求めるまでになった。心に「デーモンの神」を観相し、しばらくその声が聞こえて来るのを待った。

聞こえない。何度やっても同じであった。

ソクラテスは、自分が自分の主になることの現実を知らされた。何故「汝自身を知れ」という言葉を意識した瞬間から、「デーモンの神」の「声」が聞こえなくなってしまったのか。しばらく考えて、その答えが出た。

それは「デーモンの神」と思っていたものが、結局自分の無意識であったことだった。声が聞こえなくなったのは、意識下の自分と無意識下の自分の心が分裂していたことを意味した。この両方の意識が、ひとつとなり、自分が自分の主となった時、もはやその「声」は自分にとって、無用となったのである。

そんなことを考えて気が楽になったソクラテスは、自分という人間が、「汝自身を知れ」という言葉を世界に知らしめるためにこの世に生まれたのかも知れない…。と思うようになった。次第にその考えは、確信に近いものになっていった。

友人達は、ソクラテスに素直に罪を認めて、釈放される道を勧めた。実際ソクラテスがその気になれば、容易い選択だった。しかしソクラテスは、首をタテに振らなかった。既に76才になっていたソクラテスには、死とかそんなものよりも大事に思えることがあった。それは自分の主義に随って生きることである。何のために自分は生まれてきたのか。死や、死の恐怖は、ソクラテスにとって、少しも問題ではなかった。

自分は「汝自身を知れ」という言葉に殉教するのだ。そんなことを言い始めたソクラテスに、若い妻と幼い彼の子が、泣いて、「頼むから馬鹿な事は考えずに、罪を認めて、帰ってきて」と大泣きに泣いて哀願した。しかしソクラテスは、友人に向かって、妻子のことを託すと、外に連れ出すように頼むのだった。

「彼女には今言っても分からない。後で私が毒杯を呑んで死ぬことの意味が分かるだろう」そう言って、ソクラテスは、静かに毒杯を飲み干して、あっさりと死んでしまった。

* * * * *

”ソクラテス。初めて自分の主となったアテネ人。
「汝自身を知れ」という言葉に殉教した男。ここに死す”

彼の墓石の碑文には、そのように書かれてあったという。佐藤

 


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2000.4.12