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シンガポールの思い出

−新しい・きれいだけでは駄目−


シンガポールにという国に行った感想というものを正直に書いてみたい。

行く前のシンガポールのイメージは、「アジアの新興商業他民族国家」という程のもので、どこかあか抜けた都市を予想していた。聞けば、国土は、日本の淡路島ほど。そこに380万もの人が暮らしている。民族構成は、中国系の人間が77%ほどを占めている。あとはマレー系、インド系と続く。街を歩いて気づくことは、白人も結構多かったことだ。

元々シンガポールは、旧イギリス領であった。植民地時代には、インドや中国を行き来していたイギリス人にとって、重要な寄港地であった。第二次大戦の一時期(1942?1945)、日本軍が占領し、一時「昭南島」と呼ばれた時期もあった。第二次大戦後、再びイギリス領に戻ったが、国民の間において、独立の気運が高まり、ついに1958年にイギリスからの独立を勝ち取った。日本が占領していた時代には、ほとんどの日本人が知らない悲しく、日本人として恥ずべき歴史がある。それは満州において、中国軍と敵対していた日本軍が、シンガポールの中国系の人々に、嫌疑をかけて、5千人(シンガポールの歴史では5万人)の人物を殺害してしまったことである。それで日本人に対する感情というものは、そう悪いものではない。でもやはり日本人はもう少し、自分たちの親達の世代が犯した第二次大戦での同じアジアの人々に対するひどい仕打ちというものを知っておくべきだと思う。 

シンガポールの街並を歩いていて、強く感じるのは、元々の地形などを活かした形で、都市が設計されていることだ。言い換えれば、グランドデザインがしっかりしているということになる。しかもそのグランドデザインの面白さは、初めから碁盤の目状を想定して造られた日本の京都や札幌といった都市の町並みと違い、明らかに地形が、曲がっていれば、曲がったなりに、道と道が合理的に無理なく交差しているようなところだ。つまり設計に無理がない。地形と昔あったであろう旧道の道筋を活かした設計になっている。ロンドンに精通している木村氏によれば、ロンドンと同じ造りだ、と感心していた。 

それと町中に緑が多いのにも感心させられた。だから町並みが実に美しく見える。何でこんなにきれいなのか?と不思議に思っていると、地元のガイド役のジョナサン・ガン氏から、電柱がすべて地下に埋設してあると聞いて納得した。また車が、ほどよく渋滞せずにスイスイ流れる様を何気なく見ていると、有料道路もすべて、カードによる自動収納システムを採用しているとのことで、びっくりさせられた。これではまるで、進んでいると思っていた日本が、まるで負けていることになる。私が、「ガンさん、日本よりぜんぜん進んでいるね。」と云うと、彼はまんざらでもなさそうに「いえ、でもシステムは、日本のミツビシが作ってますからね」と照れながら云った。 

国が小さいということは、何かを素早く成し遂げる時には有利である。また政治的にも、与党が絶対的多数(確か9割以上の議席)を持っていることもあるかもしれない。よく言えば、プラトンの「哲人政治」的なものがあるかもしれない。で、実に考え抜かれているのにも驚かされた。おそらく一部の高等教育を受けたかつての首相のリ・クアン・ユー(独立後35才の若さでシンガポールの初代首相になる。イギリス留学経験あり)のような人物が、人間というものの実態をみて、初めから何年後には、アジア最強の経済国家になる。などという大目標を掲げて造ったサイボーグのような都市国家にも思えた。 

例えば、ガムはそもそも持ち込み禁止で、日本人は比較的信頼が厚いので、入国時に調べられることはないが、他のアジア系の人々は徹底的に調べ上げられて没収されてしまうらしい。もしも町中で、ガムを食べて、ポイ捨てすると、相当高い罰金が課せられ、強制労働や、むち打ちの刑もある。タバコも同じで、町中に捨てようものなら、相当のリスクを覚悟しなければならないようだ。とにかく罰則の厳しさには驚く。強姦罪などは、通常20年の刑になるそうだ。 

ほとんど渋滞のない理由は、国が自動車の輸入台数を、高い税金を掛けることによって、コントロールしていることによるようだ。何しろ、日本のカローラのような大衆車が、向こうでは、700万ぐらいの値段になる。トヨタのハリアーで二千万円。これは関税が高いのと、一台毎に10年間の利用権のようなものを取得しなければならない為らしい。だから「ベンツ600sl」などの高級車では、億の値段となり、家を持つより高く付くことになる。要はシンガポールにおいて、車は、単なる足ではなく、貴重品、嗜好品なのである。この国のほとんどの車がきれいに磨かれている理由は、まさにそれが国民にとって、非常に高い貴重な財産だからで、この辺にも、指導層の徹底した考えが貫かれている気がした。また税金も、非常に高く、それでも国民は、国に貯金をしているような感覚で、大した不平も洩らさず黙々と従っているようで、我々の感覚とは、大きな違いがあるように思えた。

確かに見ると聞くとでは大違いだ。夕方近く街路樹が並んでいる通りをANAホテルに向かっている時のことだ。目の前を古ぼけたトラックに、色の浅黒い人々が、行儀良く、ヨコに4列、タテに5列ほど、ちょこんと小学生座りをして座っている。だから大体20人が乗っている計算になる。それにしても、余りに理路整然と座っている姿は、おもちゃの兵隊のようでもあり、少し奇妙に見える。 

するとある女性がさんが、「あのトラックに乗っている人はなんですか?」と、ガイドのガンさんに質問をした。 
するとガンさんは云いにくそうに次のように答えた。 
「ああ、あれですか、あれは建設労働者です。インドネシアやマレーシアから来ている外国人たちです。一日千円で、国があてがっている宿舎に帰るところなんです。」 
日本ならば、ハン場があって、そこにいるところを、この国は、国がそれを率先して管理しているのである。それにしても、一日肉体労働して千円とは、余りに安いといわなければならない。またシンガポールでは、フィリピンの若い女性たちが、メイドとして、沢山働いているそうだが、一ヶ月の彼女たちの給料は、2万?3万だと聞いた。シンガポールの美しい町並みの裏では、このような悲しい現実がある。経済的に成功を収めた国家が、経済的に立ち後れた国の人々を安価な労働力として使役するということは、歴史的には珍しいことではないが、この光景を目にしたことで、少しシンガポールの現実をかいま見れた気がした。 

また最終日に、インド人街に行き、ヒンドゥー教の寺院の前からしばらく辺りを散策した。寺院の前では、インド系のシンガポール人が、礼拝に訪れていたが、どう考えても、豊かな生活を営んでいるようには思えなかった。事実、衣料品などを軒先に吊しているお店が軒を列ねていて、とても、ラッフルズホテルのあるオーチャード通りの華やかさとは、まさに対極にあるようなところで、強い印象が残った。

テレビなどで見る限り、シンガポールという国家は、英語教育に力を入れている新興経済国家というイメージだった。しかし実際に訪れて感じたことは、国家のリーダーが、非常な決意(無理?)をもって、国民をかなりの強健で、引っ張っている国家という気がした。やはり至る所にアジア的な痕跡が根深く残っていて、その痕跡を極力外に出さないようにしている様子が見え見えだった。先の外国からの肉体労働者の流入もそうだが、国としての基盤が、思ったほど強くないということだろう。アジア経済の中心とは、云っても、特に自国で有力な企業があるわけではなく、結局物流と金融の拠点としての国でしかないとしたら、自ずと限界は見えている。 

国民も特にエリート層と一般の人々との間では、意識に大きなギャップがある気がする。これを言葉にすれば、シンガポールでは、リ・クワン・ユーのような指導者があたかも、国民の父の如く慕われているフシがあるが、これは民主主義の成熟した国では考えられないことだ。このような国では、一旦、国家が経済危機にでもなった場合には、それこそ一変に、国に対して不信感が起き、政情不安のようなケースもたやすく起きないとも限らない。国民感情の奥底に、そんな危険な意識が潜在しているのである。 

ともかくシンガポールは、新しい実験的な国家といってよい。様々な矛盾を抱えながらも、必死で経済中心の商業国家を構築していこうとする熱意は痛いほどだ。今後のこの国において、必要なのは、経済に偏った国創りから脱して、文化的な面での基盤造りではないだろうか。シンガポールの街を見ながら、見るべきものが「マーライオン」や「ラン園」「夜の動物園(ナイトサファリ)」では余りに寂しい。経済施設と比べて、文化的な香りのする場所が少なすぎる。そのためにはシンガポール独自の芸術文化を創造する才能ある芸術的リーダーの発掘が必要だろうと感じた。そう、ただ街が美しいだけではだめだ。文化というものを感じさせる街になって欲しい。そのためにも、単に新しいビルや高速道路をい造るだけではなく、シンガポールの歴史に根ざした建築物や、古い寺社の復元などが、必要ではなかろうか。佐藤

 


2001.9.21

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