シンデレラの恋愛論

シンデレラ成功秘密?


 
1.初々しさ

いま携帯電話のCMに常磐貴子がシンデレラの役で出ている。楽しい一時は一瞬 だ。約束の12時がすぐそこに迫ってくる。彼女は、王子様の優しさに後ろ髪を引かれながら、12時で魔法が解ける寸前、ガラスの靴を残したまま、カボチャ の馬車で、家路へと急ぐ。そこでCM。さてここで疑問が残る。なせシンデレラは、王子様の心を虜にしてしまったのか。

シンデレラの魅力は、まず第一にその初々しさにある。たいていの人間は、舞踏会に何度か出て、 誰かと浮き名を流した経験があれば、その人間の顔や表情には、自信が満身となって現れる。それが恋愛馴れした王子には特に新鮮に見えたことは、想像に難く ない。

シンデレラの第二の魅力は、変な言い方だが、自分に自信がなかったことだ。本質的にかわいらし い顔をしているにもかかわらず、彼女は少しも気取らなかった。元々彼女自身、自分を少しもかわいいとは思っていなかった。しかし王子にはそれが謙虚でつつ ましい性格に見えた訳だ。

シンデレラの第三の魅力は、その氏素性(うじすじょう)が謎めいていたことにある。つまり王子 の瞳には、彼女があくまでもミステリアスな存在に映ったことだ。彼女は自分のことについて、王子に一言も明かさなかった。いや明かせなかったといった方が いい。しかしそのミステリアス性こそが、互いの恋愛感情を燃え上がらせ、しかも持続させるエネルギーとなった。

シンデレラの第四の魅力は、その気になった王子から逃げたことだ。偶然とはいえ、逃げるという 行為は、恋愛成立の上では、最大のテクニックであり、時として絶大な効果を発揮する事がある。しかし誤解するなかれ。相手の男性の性格によっては、大変危 険な行為とも変化する。

この物語のように、恋愛は二人の大いなる誤解と思いこみから、突如として発生する。しかしシン デレラの童話が、長いこと人々に愛され、読み継がれている理由は、いつか自分もシンデレラのように、すてきな王子様が現れて欲しいという女性の内面の願望 を反映しているからに他ならない。

男性の視点から見ても、シンデレラという女性は、大変魅力的だ。この際、踊れない、しゃべれな いという常識は、少し彼女が努力すれば身に付く。しかしシンデレラのような初々しさと謙虚態度は、今の女性が忘れている最大のネックかもしれないと思うの だが…。

2.思 いを貫く

思えば叶うとよく言われる。しかし厳密に言えば、思っただけでは願いが叶うことはない。自分の 身を捧げるくらいの思いでないと、天にはその思いは通じるものではない。要は本気で思うことだ。

本気で思い、思い、思い抜いて、行動する。あこがれや、軽率な「何々したら、どんなにいいこと か?」くらいの憧れや夢のレベルの思いでは、思いが現実化するはずなどない。思いが現実化するためには、それなりの時間と深まりが必要だ。例えば、ある 日、シンデレラが、目の前をさっそうと通り過ぎる王子に恋心を抱いてしまったとする。「あの王子様と毎日暮らせたらどんなに幸せでしょう」そんな思いだけ で、通じるほど世の中は甘くない。しかし彼女は、努力し始める。あの王子様にふさわしい女性にならなければ、すると言葉使いから身のこなしまで次第に変化 してくる。まわりの人からも、最近のシンデレラは、何か違うわね、と言われるようになる。

シンデレラの変化には、真剣な思いと、時と、そして何よりも本人の努力が必要だった。有名なス タンダールの「恋愛論」を読むと、「恋とは結晶作用だ」と書いてある。恋における結晶作用が促進されるためには、何らかの障害が大切な要素となる。シンデ レラの家柄と、その時の境遇こそまさに、天が与えた試練だった。普通の人間では、とうにあきらめてしまったに違いない。しかし彼女は真剣だった。シンデレ ラの「王子様と暮らせたら…」という思いも、時間の経過と本人の強い思いによって、現実の恋として結晶化していくことになる。彼女のそんなひたむきな姿 を、目の当たりにして応援しない気持ちにならない方が不思議だ。そしてある日、シンデレラは魔法使いのおばあさんの手伝いで王子と知り合うチャンスをつか む。そこまで思い、そこまで努力したシンデレラにとっての恋の成就は当然の結果と言える。

恋でも仕事でも同じである。真剣に思い、思い、思い抜く人物がいれば、その人は成功する。世の 中には、思う人間はいても、思い抜く人間はほとんどいない。だから誰もが、まあしかたない、という線で心からの満足感も得られずにこの世を去る。確かに 「しかたがない」なぜならその人は、思い抜けなかった人なのだから…。

3.母 の一言

シンデレラの原作はグリム童話である。原作のタイトルは「灰まみれ」。何故、「灰まみれ」かと 言えば、かまどの灰の中で、寝ていた少女シンデレラがいつも灰にまみれていたから灰まみれなのだ。まさに見たままである。我々が知っているシンデレラのイ メージはディズニーの映画シンデレラ(1949年の制作)によるところが大きい。

原作によれば、12時で魔法が解けて元に戻るという箇所はない。舞踏会は三度行われ、その度に シンデレラは王子の前から逃げる。三度目に王子は、階段にコールタールを塗って靴が脱げて、逃げられないような細工をした。しかしガラスの靴(原作では金 の靴)は脱げたが、それでもシンデレラは逃げる。

シンデレラの本質は「変身と成功」の物語だ。汚く誰にも相手にされなかった少女が、美しい娘に 変身し、成功をつかむ。この成功の裏には、シンデレラの実の母との誓いが原動力となっている。だからこそ、シンデレラは、こっぴどく継母や義理の姉妹達に いじめられながらも、自分の感情を押さえながら、明るく素直な女性に成長出来たのだ。

「シンデレラ、どんなに辛いことがあっても明るく素直な気持ちで頑張りなさい。そうすれば必ず 幸せはつかめますよ。お母さんもあなたのことをいつも天国から見守っていますからね」シンデレラは、泣きながら「ええー、きっと」と母に誓う。だからシン デレラは、どんなことにも耐えることができたのだ。この原作の冒頭の大切な部分が、ディズニーのシンデレラでは抜け落ちている。もしこの部分から始まって いたら、 もっとインパクトのある映画に仕上がっていたはずだ。

シンデレラはチャンスに敏感だった。元々シンデレラは芯の強い女性だった。しかしシンデレラは 自分を押し殺しじっと我慢をしていた。しかし王子主催の舞踏会があることを聞くと、死にものぐるいでチャンスを掴もうとする。もはや継母や姉達のどんな意 地悪な作戦もシンデレラは、跳ね返せるだけの実力を備えていたことになる。偶然にくる幸運はない。シンデレラの「灰まみれ」からの変身や成功は、その日を 意識し、計画し、実力を蓄えたことによって、はじめて可能となった。

佐藤弘弥
 


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1996.11.8