司馬さんの生きざまにある日本再生のヒント 


司馬遼太郎さんが亡くなって、もう何年になるだろうか。晩年の口癖は、このままでは日本は駄目になる、ということだったらしいが、確かにその言葉の意味が身にしみるようなお寒い日本だ。いったい司馬さんは、何をもって、日本が駄目になると思ったのだろう。接する日本人の心の中に、驕りのようなものや、隙のような感覚を微妙に、感じ取ってのことだったのであろう。

司馬さんは、猛烈に仕事をした作家だった。特に私は、「街道をゆく」という連載の仕事が彼の命を奪ったとさえ思っている。どんなにタフな人でも、あの仕事はきつかったはずだ。毎週、毎週それこそ締め切りに追われながら、世界中を旅して歩いた。資料はスタッフが集めるにしても、あの完全主義の司馬さんのことだ。きっと気に入らなければとことん掘り下げていく人だから、それこそ骨身を削っての仕事だったと推測される。私個人は、数百年経ったら、司馬さんの名声は、「街道をゆく」という紀行文を遺した作家として語り継がれて行くのではないかとさえ思っている。

司馬さんは、この歴史的な著作を、常に日本とはなにか、日本人とはなにか、日本はいま何処へゆこうとしているのか、ということを考えながら書いて居られるように思う。その思考は、昭和46年(1971)から始められ、平成8年(1996)2月に逝去されるまで続いた。この間、実に25年、おそらくそれでもまだ描きたい気持ちを残したまま、司馬さんは旅だっていかれたのである。その長い思考の果てに漠然とした感覚がわきあがった。それこそが、「このままでは日本は駄目になる」「滅びるのでは・・・」といった感覚ではなかったかと思う。

この司馬さんの晩年の不安は、今まさに的中しつつある。政治も経済もまともに目を向けられないようなひどい有様である。さて私は司馬さんの晩年の不安を解消する術を、司馬さんの思考にではなく、司馬さんの思考の過程にこそ見いだすのである。つまりそれは、自分の信じた道を、とことん追求し、命さえも投げ出しかねない執念をもって事に当たる日本人司馬遼太郎という人物の生きざまである。司馬さんの心のどこかでは「街道をゆく」というのは、きつい仕事だが、自分のライフワークになる可能性がある。とにかくやってみよう。続けてみよう、ときっと思っていたはずだ。そうなると司馬さんという人にとっては、自分の命よりも、大事なものが出来上がってしまったのだ。考えてみれば司馬遼太郎という作家は、自己のライフワークに殉じて亡くなったのである。(もちろん異論があることは承知している・・・)

さて今の日本人で、この何かに殉じても、自分の信念を貫いて、事を為し遂げると本気になって、事に対処できている人物がどれほどいるだろうか。もしも日本と日本人が、もう一度国としても人間としても、立派と認められるようになるには、司馬さんの生きざまに学ぶべきではないかと本気で思うのである。人間には、自己のライフワークとの出会いが大事である。見つけられなければ、心を新たにして、それを自分の足で探すのである。人に頼っているようでは駄目だ。若者みんなが、公務員や一流企業を目指すような安定志向では、話にならない。人とは違うライフワークを見つけること。それを見つけたなら、とことんそれを突き詰めていく執念が自然に生まれる。司馬さんの行きざまにこそ日本再生のヒントがある。佐藤

 


2002.12.4
 

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