世相を斬る

1.あるオカミを巡っての騒動が反映しているもの

 
別に私は男性上位の社会を贔屓する類の人間ではないが、いささか昨今の男女間のいざこざを巡る世相には腹を据えかねるものがあり、一言申し述べる次第である。

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まったくひどい世の中になったものだ。
事もあろうに浮気をしたオカミが堂々と自分の罪を棚に上げて亭主の悪口を上げて開き直る本を出版するというこの有様。言わずと知れたある相撲部屋のオカミの事だが、世も末とはこのことだ。その本のタイトルがまた奮っている。「凛として」だというのだ。「凛」という言霊自身が、きっとこのオカミに誤用され、泣いているであろう。

「凛」とを広辞苑で引いてみると、「心が引きしまるようだ。きびしい。」という説明がついている。つまり「凛」とは、己を厳しく律し、心を引き締めて生きていくことである。しかしこの凛なる言葉を勘違いしている風のオカミは、亭主が巡業で留守中に、浮気相手を引き入れてるという罪(ママ?)を犯した張本人である。彼女はきっと「凛」という意味を、悪いことをしても堂々としていることとでも考えているのかもしれない。

何という「恥」知らず。「別に犯罪を犯した訳ではない」と言っているらしいが、大事なことは法以前のモラルである。昔であれば、立派な姦通の罪であり、極刑に処せられているところだ。聖書でもキリストが、姦通を犯した女性が石打の刑で殺される所を助けるシーンがあるが、姦通、不義密通は、死に値するほどの立派な重罪であった。しかもこのオカミは、相手の親方が何にも言わないことをいいことに、さも自分がこのようになったのは、親方が冷たかったからだと言わんばかりの言いぐさだ。

最初からこうなることを予測している人物がいた。先代のこの部屋の親方その人である。彼はこの結婚に猛反対であった。彼曰く「相撲部屋の女将の仕事は、女優くんだりでは務まらない」しかし恋というものは、反対されればされるほど燃え上がるもので、二人は反対を押し切って、結婚した。名大関と言われた現在の親方は、新しい部屋を起こして必死で働いた。このころ、この部屋は、どこよりも稽古をしている部屋として有名だった。新親方は、それほど弟子を育てることに熱中し、自分の子供二人も横綱にすることに成功した。ほどなく、兄の部屋を吸収し、相撲界を牛耳るほどの大きな部屋に成長させたのである。

しかし今現在を考えるならば、この家にはどこかに増長があった。もちろん親方にも、あのオカミにも、そして世の中が、自分のためにあるような錯覚に陥ってしまったのかもしれない。

このことは、教訓に値する話だ。要するに人間の成長において、一時成功したかに見えることが、実に転落の始まりであることがあるが、まさに部屋の成功は、一族崩壊への序章であったことになる。客観的に見るならば、どん底からはい上がってきたこの相撲界の華麗なる一族は、再び崩壊へと間違いなく向かって進んでいる。先代の親方は、今このことを何処でどんな思いで見ているかと思うとたまらない気持ちになる。この人物は、青森で一家が離散し、相撲で身を立てるしかないという覚悟を持って、「土俵の鬼」と讃えられた人物だ。「全て欲しいものは、土俵の中に埋まっている」という名言を残したのもこの親方だ。

やはり先代が、この結婚に反対したことは判断は正しかったのだ。よりにもよって、単に売れるかもしれないというちゃちな了見で、このくだらない本の出版をした文芸春秋社の見識もまた疑いたくなるというものだ。またこんなことをされても、叩き出して、三行半を叩きつけない現在の親方もどうかしている。

さてかのオカミのことを、当の浮気相手の若い男も「一切関係ない、ストーカーのようなことをされた」とまで言っているらしいが、この浮気相手もまた可笑しい。それにしても自業自得とは言え、どこまでも救われない女も居たものである。

さてこうして考えてみると、このオカミを取り巻く人間に、あの人物は素晴らしい、とかいう人物が一人として見あたらないのは、驚くべきことである。何というモラルの貧困であろうか。何という情けない社会であろう。ここには、咎める人間も、諫める人間も、それを恥だと教え諭す人間も、居ないのである。

そしてこのオカミの周囲では、みんながみんな私心のために汲々としており、その私心すら儲けの種にしようとする資本主義の権化(出版社)が、欲の皮を被ったオオカミのように後ろには控えている。まあこんな世相が、現していることは。日本社会の美風としての「恥の文化」が間違いなく損なわれていることの反映ではあるまいか。それにしてもここまで日本社会においてモラルが崩壊していることは、脅威という以上に、情けない限りである。もしも日本社会がこのままの形で推移するならば、神様は、ソドムとゴモラの如く、日本という国を根こそぎ滅ぼしてしまうかもしれない。私は本気でそう思うのである。少なくても私が神で在れば、このような国を滅ぼすことにいささかの躊躇もしないかもしれない。それにしてもこのままアメリカ文化の悪しき部分だけがますます日本社会に蔓延していくのであろうか・・・。

もちろん男女同権は、大いに賛成である。しかし「男もすなる浮気」というものを「女もしてみんとてすなり」というような対抗意識で、この太古以来の関係が、一変に転換するとも思えない。まあ、私はこのフェミニズムを論議する立場も知識もないので、この部分は語らずに置こう。ただ一点だけ、最後に言わせて貰うことにしよう。この世相が反映している所の、「恥の文化」が損なわれていくのはどうにも我慢がならない、と。佐藤


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2000.11.29