サムソナイト・ニュー

生まれ変わりについて


 
私は、サムソナイトのビジネスバックを愛用している。今回そのバッグを新しくした。現在のバックは、もう既に6年ぐらい使用している。若干ファスナーが弱ってきたので思い切って、同じ形のバックに替えた。サムソナイトの良さは、何よりも丈夫なことだ。しかも機能的であり離せない。

新旧共に、外見がほとんどそっくりなので、周囲からは同じようにしか見えないので、私がバックを替えたと気づく人間は少ない。さてこのバックを新しくする時、人間の生まれ変わりということを考えてみた。ダライラマは、その著で、生まれ変わりについて、いつも生まれ変わる瞬間について、どうなるか、ということを修行で訓練しているから、実際にその時が来るのが、今から楽しみでもある、というような意味の発言をした。そう言えば、チベット仏教の経典には「死者の書」というものがあり、人間が亡くなった後、どのような状況になるのかを、詳しく記述している。

ダライラマが云うには、死ぬことは、新しい衣服に着替えることに似ているということだ。つまり肉体(色)というものは、死ぬことによって消滅してしまうが、魂(意識=思い)というものは、残り、次の肉体に移って、また生まれてくるというのである。霊魂の不滅については、哲学者のカントらも論証しているように、事実であると断定するには憚(はばか)るものがあるが、嘘だと決めてかかることもできない。

生まれ変わる時、前世の記憶というものは、一切忘れてしまうものらしい。考えてみるに忘れるのではなく、衣服を脱ぎしてた時に、ポケットに詰まっていた物、つまりこの世で獲得した知識や記憶は、物質としての古い肉体と共に消滅してしまうのである。ところが心の深い部分である魂の部分になると、これは残る。残る部分は、思いとか、感情の部分として遺るのである。これを「業」と云う人物もいるが、ともかくこの部分が、未来に通じて、来世の新しい人間の心を形成するものなのである。そうすると生きることは、良き心を次ぎにつなげる為の修業の期間という解釈も成り立つ。

そんなことを考えながら、サムソナイトの新しい方に、古いものから詰めた。あっという間に終わった。まるで人生のようだ。見れば、そこに古いバックがある。するとバックは、まるで骸(むくろ)のように見えた。佐藤
 


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2001.2.7