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栗駒の「種まき桜」も4百年ぶりの治療を終え、去る23日(日)鑑賞会を有志で、催しました。 さすがにわが家のさくら殿は、頑固で今にも咲きそうにしているのですが、我々が桜の下で、御神酒を添えて、今や遅しと開花を待っているのに、一向に咲いてくれません。 当主の兄が何度か、「ほれ咲いた。咲いた」と虚言を云い、皆が盃の手を休めて、兄の指さす方に一斉に目をやるのですが、そこには堅い蕾しかないのです。 「咲いてないよ」と誰かが云い、 「いや、確かに咲いている。ほら見えないか、咲いているべ」と兄が云い。 どうも兄は、枝に花の神の幻想でも見せられているのかもしれません。 後はみんなの笑いが、そこいら中に木霊(こだま)しました。 兄は、「咲いた」の虚言?(幻想?)を三度ほど繰り返して、すっかり有志の信頼を失いかけたのでした。 きっと、さくら殿もこっちを窺って、「お前等のいいようには、咲かぬわ。ぬふふ」と我々をからかっているのでしょう。 まさに 咲くもよし咲かざるもよしさくら殿時の間に間の 出会いうれしき この歌に凝縮された一日でした。実にいい花見でした。 次の日、兄に電話をすると、 「今度は咲いた。ホントだ。」 何と、わがさくら殿は、堅いつぼみを少し開いて、ぬけぬけと花の香を漂わせているそうです。 まさか、こんどは兄の虚言でも幻想でもないと思うのですが・・・。 佐藤
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2000.4.23