西行の秋の歌に感じて


秋が来た。西行にこのような歌がある。

おぼつかな秋はいかなる故のあれずすずろに物の悲しかるらむ
(歌意:どうしてだろう。はっきりしないのだが秋という季節はむやみにすべてのことが悲しくなってしまうことだ)

西行が秋という季節に対して思っていることのすべてが、言葉になったような歌だ。もの悲しい季節として秋は西行の心の中にある。日本人の心情には、この西行と同じ感覚がやはりあるのだろう。過ぎ去った夏を思いながら、あれこれと物思いにふけっていると、目の前を落ち葉がはらりと落ちる。すると去って逝った人の面影が、心に浮かんで自然に涙がこぼれるのだ。

夏という季節は、命あるものにとっては、冬と同じく厳しい季節で、命を落としてしまう人も多い。若い頃は、真っ黒になって、過ごす、待ちに待った夏休みの季節だが、大人になってみれば、別れの季節でもあることにふと気付かされる。

そんな厳しい夏をやり過ごして、秋は物思いにふける季節ということになるだろうか。夏の盛りに命を落としたI氏のことを思いながら、しみじみと西行の歌を読んでいる2004年9月9日である。

 しみじみと人の命の儚さを秋訪れて思ふ夕暮れ
 

 


2004.9.9

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