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西行が平泉にいる風景

 

8 秀衡の思い

次の日、西行は秀衡と共に建設中の新御堂(しんみどう)と呼ばれる無量光院に足を運んだ。

この寺は、若き秀衡が京都に上った時、宇治の平等院を観た時の感動が忘れられずに、晩年になり自らの館(平泉館)の東方に連なって建てようとしていた「平泉の平等院」とも云うべき寺院である。池を巧みに配置した本堂の阿弥陀堂には、仏師運慶に彫らせた阿弥陀仏が安置されている。この年(1187年)は、この寺院の落慶法要が行われる年に当たる。それは祖父清衡建てた中尊寺や父基衡の毛越寺と比べれば、遙かにスケールの小さい建物に過ぎない。しかし秀衡は、この無量光院の建設を自分の生涯の集大成と考えて異様なほどの情熱を注いだ。

例えば本堂の四面の壁には、「観無量寿経」の大意を表す仏画と共に自らが筆による狩猟の絵図を掛けさせた。この中で秀衡は殺生を忌む仏の教えに対する自らの罪を露わに描くことで、自らの人生における罪を白日の下にさらしている。これは秀衡にとって一種の自己否定だったのかもしれない。思えば人の一生は、無数の他者の犠牲と殺生の上にある。ましてや奥州の覇者となった秀衡は、祖父や父がいかにしてこの奥州の平安を勝ち取ったかを常に聞かされ骨身に沁みている。その無数の敵味方の兵士の命やその際に罪もなき民や鳥獣たちの命。秀衡はこの平穏な浄土としての奥州を守ることが老いた自分に科せられた天命のように感じていたはずだ。

祖父の清衡は、中尊寺建立願文の中で述べている。
「長い戦乱の犠牲となった多くの兵士の御霊ははじめ、鳥獣に至るまでの霊が漏れなく浄土へ導かんとす。一心に平和を願い、平和を慶び、陸奥と国家の安泰を願い、ここに大伽藍を建立奉る」

また父基衡も祖父の精神を受け継いで毛越寺を建設した。秀衡は、この二人の肉親の浄土に対する希求の精神を受け継ぎ次代に伝えるべく、この中尊寺と毛越寺と比べれば遙かにスケールの小さな新御堂、無量光院を建設しようとしたのであった。それはまさに浄土に至る道を自ら観相するための寺院でもあった。

秀衡の館で待ち合わせした二人は、館よりこの寺の東門に連なる道を歩いた。
二人は堀に囲まれた東門から、このほとんど完成間近の朱色本堂の前に立った。

「秀衡殿。実にいい。何度足を運んでも、ここに来ると、さっきまでざわめいていた心が落ち着き、経を読んだ後の清々しい気持ちになれる…。秀衡殿の心の声が聞こえて来そうな気さえする。不思議な気持ちですぞ・・・」

「いや西行殿に、そうお褒めいただけば、私としても造った甲斐があるというもの。どうでござろう。いっそのことここの住職になってはくださらぬか」

思わぬ秀衡の申し出に、西行は秀衡の顔を改めて見た。秀衡は真剣な表情で西行にこの寺に留まる決意を迫っているように見えた。

「待ってくだされ。秀衡殿、いくらなんでも冗談が過ぎまするぞ。この風来坊の私には不釣り合いなこと。それに私は老いてしまって、秀衡殿のご期待には添えかねまする…」

「そんなことはありませんぞ。西行殿。大事なことはこの寺に相応しき人物がこの寺の住職となっていただくこと。私は西行殿のような方が、衆生の者に世の中は捨てたものではない、どんな者でも信心の心があれば、極楽浄土に行けると説いていただきたい。今それをできる僧がこの国に何人おると思いますか。聞けば都におる僧侶も大半は、己の荘園から出る金の事ばかりを気にして、肝心の信心の修行の方がおろそかになっていると聞いておりまする。どうか、よくよく考えて、ご決断くだされ。のう西行殿」

「…身に余る光栄なれど、何ともこればかりは…」

「是非考えてくだされ」

「私はただ海に浮かぶ海月(くらげ)の如き存在でございまして、出家する時、一切の執着を絶ち、雲の流れる如く、この世の森羅万象を泰然として眺めて生きると決めましたのに、折あるごとに、弱い自分が出て参ります。これは口惜しきことなれども、どうにもならぬこと、思えば私の生涯は、常に己の我というものとの戦いでございました。どうしても自分を勘定に入れないようにすればするほど、我というものが出てきてしまいます。そんな時に、
捨てたれど 捨てて 捨て得ぬ心地して 都はなれぬ 我が身なりけり”という歌が、口をついて出たこともあります。秀衡殿に請われてここに残ることは、ありがたきことなれども、己の弱き心に負けることになりますので、ご辞退を申し上げる以外にはございません」

西行はそう言い終わると、堪えきれずに涙を流した。
秀衡は西行の気持ちが痛いほどよく分かった。秀衡は西行の方を見て、軽く頷くだけであった。
激動の時代を生き抜いた二人の強烈な個性が、奥州という浄土の、まさに花芯の中にいた。

二人はやがてゆっくりと、中尊寺の山門に向かった。昨夜に積もった粉雪は、若い僧侶たちによって杉木立の左右に掃き寄せられている。二人はゆっくりと石段を登り本堂に向かった。その途中、西行は、東に目を転じて、義経が居館となった衣の館を立ち止まってじっと見た。その向こうには悠然と北上の大河が波打っている。西方に目を転じれば平泉の人々の暮らす町並みが碁盤の目のように点在している。奥州街道はその町並みを突っ切って北へ向かって、どこまでも伸びている。極寒の奥州にあっても街道には、行き交う人々があふれ、まるで蟻たちの行列のように見える。

長い参道を抜けて、二人が本堂に上がると、一人の老僧が二人の前に進み出て恭しく挨拶をした。
老僧が顔を上げると、西行が驚いたように声を放った。

「あなたは、もしかして…高雄山神護寺の文覚様の下にいた…ほれ…」

西行の視線の先には、年の頃ならば、五十歳ほどの頬の痩けた人物が、懐かしそうにこちらを見ている。
その落ち窪んだ目の奥が異様なほど光っていたが、それは単に涙に潤んでいる為だけではなさそうだ。
西行は、その名を思い出せずにいた。

「はい。西行様、助公宥最でございます。お懐かしゅうございます。その節は大変お世話になりました」

「そうでした。名も思い出せず失礼致しました。宥最様でしたな。文覚様はお元気であられますかな」

「はあ、元気との噂は聞いておりますが…」

「と申しますと…」

「実は西行様とお会いした後、実は拙僧も神護寺を後にして捨聖(すてひじり)となって、諸国を放浪いたしておりました。噂によれば、文覚様はすこぶる元気で最近は何か鎌倉の頼朝殿にご執心とか、聞いております。相変わらず豪放な性格は変わらないようですね」

「それは知らなかった貴方様が、文覚様の下を去され、捨聖となったとは…思いもかけぬことですぞ」

秀衡が言葉を挟んだ。
「西行殿、宥最殿はな、貴方様と出会ったことが、きっかけとなって考えが変わったのだそうだ。そうでござろう宥最殿」

「ええ…まあ…」

宥最は、恥ずかしそうにしながら、静かに自らの半生を語り始めた。

「私は父の勧めもあり、親戚に当たる文覚様がいる高雄山神護寺に十一歳で入ることになりました。文覚様を初めて見た時、ただただその雷のような声の大きさに驚き、こんな所で僧侶として、身を立てて行けるのかと真剣に悩みました。何しろ文覚様が、
『仏とは儂だ。儂の中に仏がいる。神もまた儂の中にある』などと、神仏をも畏れぬ言動を度々なさるものですから、まだ未熟な私としては、それをどのように解釈していいか分からなかったのです。それから瞬く間に二十年が過ぎて、自分が学び取っていった仏の御教えと文覚様の教えとの間に違和感が次第に強くなって行きました。

そんな折に、文覚様の口より初めて西行様のお名前を耳にしたのでした。

『あの西行は、鼻持ちならん。その昔、儂が北面の武士をしていた時分から気に食わぬ男だった。大体あのしたり顔が生意気というもの。和歌など嗜みおって、少しばかりの才能を鼻にかけて全国を行脚して修行などと称しておるとか、あいつはとんでもない男だ。美しい奥方を捨て、子を足蹴にして、仏法修行が聞いて呆れるというもの。妻子も幸せに出来ぬ男に、仏の道など説く資格はない。今度会ったら、ただでは済まさん。儂はあの男の秘密を知っておる。奴の弱点をな。あの男はある高貴なお方と密通を重ねた末に、下の者にそれが知れて脅された。院のお側に居られなくなったのよ。どうじゃ。それだけであの男がどんな男か分かるというもの。あの男は、歌の道も仏の道も求めてはおらんのよ。ただ逃げただけじゃ。己の罪深い行為が院のお耳に知れれば、大変とウサギのように飛んで逃げた、とんだ食わせ物よ。だからな今度奴の顔を見たら、儂は何をするかわからん。袋叩きでは済まんかもしれぬ。転がった奴をす巻きにして、大河に投げ込んでしまうかもしれぬぞ』

だから西行様が、神護寺にいらっしゃると聞いた時には、どうなるものかと、私に限らず、若い僧達は、きっと怖ろしいことが起きるに違いない、と心配したものでした」

西行は笑いながら言った。
「あれからもうかれこれ、十年近くになりますかな…。確か夏の暑い盛りのことでしたな」

「そうでした。法華会の時でございました。西行様の白い麻の法衣姿を今でも鮮明に覚えております。あの時は、私も緊張致しました。どうなることかと気が気ではありませんでした。何しろあの文覚様の御性格。いつ掴みかかるのではと、はらはら致しました」

「いや、何もありませんよ。あの文覚殿は、少し言葉は悪い所があるが、ただ情熱が有りすぎて、つい口が滑るだけのこと。結局あの情熱があって、神護寺は、遂にあのように院の心を動かして、復興する事ができたのですからね。文覚殿はしっかりとした考えを持った人物ですよ」

そのように西行が言うと、秀衡が言った。
「で結局何も起きなかった訳ですな。宥最殿」

「そうです。私たちは何かあったら、止めに入ろうと、すぐ隣の間で息を潜めて待機しておりましたが、あろうことか、笑い声など、睦まじき様子にて、ねんごろな話をしておられました。まるで旧知の仲でもあるように…」

「いったい何を話しておられたのですかな。西行殿」

「いや、たわいもない話です。」

宥最は、身を乗り出して言った。
「西行様、あの時の西行様の言葉についてもう少し教えてくださいませんか。確か文覚様が「国家鎮護こそ仏法の第一義」と言ったことに対して、西行様は、

『私にとって仏法の真義はただただ仏が遠い昔に菩提樹の下で実感された思いをわがものとすること。つまり世の政(まつりごと)も方便。もちろん歌も方便に過ぎません。したがって仏法の第一義は人が心の平安を取り戻すことにあると思います』」

秀衡が声高に言った。
「なるほど、国家も又、個々人の心の平安を造り出すためにあるというわけですな。私もそのような国家を造る政を理想としております。方便とはそういうことですな。西行殿」

「仏法とは、いわば川を渡るための筏に過ぎません。川を渡りきってしまえば、川を越えるための道具は、かえって旅の邪魔になるかも知れませんのでな」

「西行様、私はそんなあなた様の言葉に突き動かされて、神護寺を出る覚悟をいたしました。その言葉を聞いた瞬間に、自分が生涯を賭けて求めて止まなかったものの実体が微かに見えた気が致しました。あの言葉を聞いた後、私は激しい心の動揺で、お二人にお持ちした茶の手の震えを抑えるのに大変でした。すると師は私に言われた。

『おい。宥最ここに座れ。西行殿じゃ。儂の先輩にして、憧れの人物。今は和歌など嗜まれて、その道でも当代一と噂されておる。そして仏法の教えの普及に努め、諸国を旅し、勧進僧としても、多くの金銀を集めておられる偉いお方じゃ』

『いやいや、そんなたいそうな者ではございません。ただただ風狂を楽しみ、仏を語って諸国を流浪する者にて、取り立てて世の中の為には、大した役割は果たしておりません。いささか、褒めすぎですぞ』

すると文覚様は、突然話を転じて言われた。

『儂はのう清盛が好かぬ。あの男、いささか増長しておる。この国をあのような増長した者の私物と化してはならぬ。どうじゃ。西行殿』

西行様は、困ったような表情でこう答えられた。今でもあの言葉をはっきりと覚えております。

『はあ、清盛殿に関しては、幼き頃よりよう知っておりますので、賢明な判断は出来かねます。但しあのように出世なさって、さぞ大変なことと思って、まるで兄弟を思いやるような気持ちで見ておりまする。ですからそれ以上のことは、論じる立場も見識も持ち合わせてはおりませんのでな…』
と最後には、苦笑いを浮かべなさった。

でも文覚様は執拗に言われた。
『それでは駄目ですぞ。西行殿。清盛の大いなる野望はこの国の行く末を危うくしかねませんぞ』

『うーん。これは困った。そうですか…』

『そうですとも。西行殿ほどのお方が、分からぬ道理はござらんでしょうに。仏法で言えば、何事も中道こそが万物安寧の妙薬にて、絶対の真理ではござらぬか。そこで儂は、源義朝公の御嫡子頼朝殿に目を付けた。思えば平治の戦で源氏方が力を失ってからというもの、あの清盛の専横が目立つようになった。元凶は世の中道の均衡が崩れたことにある。したがって、儂は頼朝殿に、故義朝殿の御位牌を突きつけて、御父君のご無念をお忘れか。ご無念を今こそ晴らしなされ。その機会はまさに今。あの専横窮まる平の清盛の首を、御父君の墓前に奉りなされ。いかがじゃ。と迫ったのよ。それから木曽にいる義仲殿にも使者を送って、清盛追討の檄(げき)を飛ばした。案の定、最初に立ったのは義仲殿であった。ついに来た。やっとあの憎き朝敵を討ち滅ぼす時が到来したのじゃ…』

『でも文覚殿。それではせっかく、落ち着いた世を戦乱に引き戻すようなことにはなりませぬか』

『何を申されるか。西行殿。儂もそなたも元はと言えば、武門の家柄。この世から戦をなくすには戦をもってなす以外方法はござらぬではないか。強力な力が背後にあっての国家安泰。これもまた古来よりの真理。絶対の真理』

『でも文覚殿。それでは世の民が救われないのではございませんか。民百姓にとって、大事なのは、自らの命や家財産を守ってくれること。それ以外にあの人らに真理などありましょうや。戦の度に家を焼かれ、農作物を採る大事な田畑を荒らされ、その上に命まで脅かされては、どうして国に忠誠など誓えましょうや。私は平氏でも源氏でも、民にそのような平穏な生活を保障する者こそ上に立つべきと心得ておりまする』

『西行殿。失礼だが、大甘ですな。民があっての国では駄目じゃ。国があっての民でござるよ。そもそも桓武天皇の御代、この平安京に都を移した時、空海様、最澄様という二人の傑物が、鎮護国家のために新しき仏法の道を説かれた。仏とて、国を我が家と考えて、国に帰依するというに、民あっての国などという言葉を、西行殿の口から発せられるとは思いませなんだ』

『ご高説だが、同意できませぬな。古今東西、唐天竺のいかなる国の間でも、その国王天子が仏に帰依したことはあるが、仏が国に帰依するなどあり得ぬこと。ただの一度たりとも仏が国に帰依した試しはございませんぞ。文覚殿』

あの時の西行様ほど、怖ろしい人の顔を私は知りません。西行殿は、まるで俄に毘沙門天の如き憤怒の顔をなさっておいでだった。案の定、文覚様も、一瞬その表情を見て、後ずさりなさったのを、私ははっきりと見ております。西行様に仏が乗り移られたとしか思えませんでした。文覚様のあのような顔も初めてみました。おそらく師があれほど舌鋒鋭く、自説を否定されたのは初めてだったのでしょう。放心したような顔つきでした。

そして西行様は更に続けられた…。

『私はただただ、仏の思いを我が思いにせんと、仏の道を一筋に歩んで行こうとする者。いかなる者、いかなる国にも束縛されるものではございません。そもそも仏の道は、国や人の欲得を越えて天上に存在するものにあらず、人の心に平穏と静寂と安寧をもたらすために仏がただ一人で説かれた教えであって、この世に生ける者すべての者に公平に恩恵をもたらす道でござります。この教えの前では源氏も平家もありません。この仏の道を忘れずに、国の安泰を考えなされば、自ずと地上には天上界にもまさる楽土が花開くはずでしょうに』

ため息が出ました。私は涙が止まりませんでした。このような言葉が、聞けるとは、生きていた甲斐があったと、つくづく思いました。その時、私の心は決まってしまいました。西行様が歩かれるように私も歩こう。西行様の歩いた道を、とにかく歩いて見ようと、そう心に決めたのでした・・・」

西行は、恥ずかしげに言った。

「いや、あの時は、我ながらいささか興奮してしまいました。お恥ずかしいかぎり。文覚殿が仏が国に帰依するべき、などと言われたも
のですから、つい口が滑ってしまいました…」

「あの後、師文覚様は、私めに、

『おい、お茶がぬるい。お茶を換えて参れ。すぐにな』

と、言って自らの不利な立場を変えようとなさいました。悟ったのでございましょう。ご自分と西行様の距離というものを。少しして帰ってみれば、お二人はすっかり和まれていて、話題も別の事になっておられました。確かあの時は、近江の名産の鮒鮨のことで盛り上がっておいででした」

「そうでしたか。私はあれが苦手で、文覚殿はあれ以上に旨い物は、この世にない、などと、またけしかけるように言うものですから、現物が出て来はしないかとひやひやしておりました」

「ほう、西行殿。その鮒鮨とやらは、どのような物ですかな。是非食べて見たくなった。鮒の馴れた鮨ですかな」

「そうです。琵琶湖の畔で獲れた鮒をこの馴らして、独特の臭いがします。どうもあの臭いが苦手でして…」

「聞いただけで、欲しくなり申した。早速平泉にも、近江の鮒鮨職人を呼んで、造らせてみましょう。新しき奥州の名物となるやもしれませんぞ」

最宥は、秀衡の話が終わるのを待って、話を続けた。

「西行様が帰った後は、私自身放心状態でした。そして何がなんだか、さっぱり分からないまま、これまでお世話になった師である文覚様に、お暇のお許しを請いました。もちろん、あの師の性格。半殺しにされるのを覚悟で参りました。

…事情を話すと師は、

『そうか…。西行殿の目指す道は遠いぞ。それでもやるというなら、儂は止めん。存分にやれ。但しこの文覚の弟子である事実に変わり
はない。よいか儂に恥をかかすな。神護寺の名を汚した時は、そなたの首をへし折りに行ってやる、よいな。最宥…』

と、拍子抜けするような優しい言葉を掛けていただきました。暖かい言葉でした。身に沁みました。このように文覚様を暖かく感じれた
ことは後にも先にも、これが最初で最後でした。それから私は西行様の後を追って、西国、九州から始まって、多くの諸国を流浪致しま
した。そしてたどり着いたのが、この奥州平泉、そして偶然にも、仏のお導きにより、このようにお会いさせていただく光栄を得たので
ございます…」そこまで言って、最宥は男泣きに泣いた。

秀衡も、もらい泣きをしながら言った。

「いや、実にめでたい。めでたい話じゃ。最宥殿の人生にとって、西行殿はまさに仏そのもので有りましたな」

「その通りです…」

「実にお恥ずかしいことでございます。私が仏などと…」西行は顔を真っ赤にして剃り上げた頭を掻きながら言った。

すると秀衡は、襟元を正し終えると、急に真顔に言った。

「西行殿どうだろう。今の話を聞きながら、私はこの宥最殿に、新御堂、無量光院をお任せしてみたくなった。是非ご意見を聞かせてくだされ」

「…それは良き判断。そうなさいませ」西行は、少し思案した後、きっぱりと答えた。

事の次第を呑み込めぬまま、宥最はただ二人の話を呆然と聞いていた。

秀衡は、宥最の目前まで、すり寄ると、

「さて、宥最殿、貴方様にお願いしたい。現在私は、自分の生涯を賭けて、新御堂無量光院を建てておる。もうじき落慶の予定じゃが、
この院を取り仕切る僧侶がおらん。そこで貴方様にその役目を是非ともお願いしたい」と、言った。

宥最は、驚きの表情を浮かべながら、

「身に余る光栄。拙僧にとっては、まことに有難きご依頼なれど、ご辞退申し上げるしかございません。ここには西行様も居られますれ
ば、拙僧などが出る幕にはございません。どうかご勘弁願います」と、深々と頭を下げた。

すると西行が言った。
 

(続く)佐藤
 


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