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西行が平泉にいる風景

 
7 西行と義経

西行はその夜、秀衡の御所で、酒を酌み交わしていた。
その膳には、茸の煮もの、焼き栗、塩鮭、生牡蠣、などが並べられていたが、西行の目を引きつけたものは赤の生肉であった。それを見た西行が、「おおこれは、もみじ肉ですな」と言った。もみじとは鹿肉のことである。

「その通り、西行殿が、もみじ肉を、たいそう気に入られていたことを思い出してな」

「いや、よくぞ覚えておいてくださった。初めは秀衡殿が人魚の肉などと言うものだから、喉を通らない気がしたが、一口、肉を口にした瞬間、こんなうまいものがあるのかと思ったほどだ」

「そうであったなあ、さあ早く食べなされ、飛び切りの味がしますぞ。人魚と思って食べれば、寿命も延びるかもしれませんぞ。

「おう、よくこの平泉で食べさせていただいた」そう言いながら、西行は箸を取る手ももどかしく、肉を口に運んだ。

「どうですかな。蝦夷料理は?」

「うまい、実にうまい。今日の夕暮れの群青色の空のように、深い味わいがする」

「さすがに当代一の歌人じゃ。後で歌にしていただこう」

二人のいる襖(ふすま)を開けて、近従の若者が入ってきて告げた。
「ただ今、九郎判官義経殿が参上されました」

西行はびっくりして、秀衡を見た。秀衡はにっこりして、
「さあ、当代一の歌人と、当代一の弓取りの対面じゃ」と言った。

少しして、床を足袋がする音がして、義経が二人の前に現れた。

「失礼仕ります。九郎、お言葉に甘えて、参上致しました」義経の張りのある声が邸内に響いた。
九郎は、略儀ながら、白の地に金糸で月と花をあしらった見事な装束を着けて西行との初対面の場に現れた。

「さあ、九郎殿、こちらへ」そう言って、秀衡は奥の座を指さした。

「いや、秀衡殿、この場にては、そのご配慮無用に願いまする。秀衡殿の臣下の前ならば、ともかくも、ここは秀衡殿を父とも仰ぎ見るこの九郎のこと、むしろ下座こそ意に適う所。」義経は、そう言うと、さっと頭を下げて、左の方向に身を翻した。明らかに秀衡に、西行の紹介を促す仕草であった。

その有無を言わせぬ見事な立ち居振る舞いに感心しながら、秀衡は言った。

「九郎殿、西行殿をご紹介いたそう。西行殿は、私(みども)の縁者でしてな、それに母君は源氏の血を引く、れっきとした侍(さむらい)の出。今は出家され、歌人として、全国にその名を馳せているお方。今日この目出度き日にこうして、お二人を引き合わせることの適うことは、この秀衡にとっても大変名誉なことでございます」

それに答えて義経は言った。
「これは西行殿、初にお目にかかれて、光栄に存じ奉ります。私は源義朝が一子、源九郎義経と申す者にて。本日はありがたくもこうして御拝謁の機会を得て、不躾(ぶしつけ)ながら、急ぎ参上いたしましてございます」

「西行でございます。昔私も弓馬の道を継ぐ家に生まれ、父より弓の刀を譲り受け、若い折には、院のお側近くに侍としてお仕え申し上げました。故あって、出家を果たし、弓馬の道を離れ、仏の道と歌の道をただひたすら歩く者にて、迷いの道を抜け出せず、こうして老いのままにて、気ままな旅に身を任すもの。奥州平泉の御舘秀衡殿とは、幼き頃より京の都で兄弟同然に育ち、以後この歳になるまで、お付き合い頂く仲にて。かねてより九郎殿のことは様々なお噂を耳にして、その戦の才がどのような所から来るのか、一度聞きたいと思っておりました」

「さあ、九郎殿まずは一献」

そう言って、秀衡は、白磁の杯を渡す。義経は、両の手でそれを受けると、注がれる酒を一気に飲み込んだ。

「お見事。まずは目出度い。九郎殿、私にも注がせてくだされ」と、西行も義経に酒を注いで、それも義経は一気に胃に収めた。
そしてすぐに、秀衡に返杯しようとした。秀衡は、「いやいや、西行殿に」と笑顔で、西行に注ぐように促した。

西行は、義経が注いだ酒を、恭しく頂くと、
「うまい。実にうまい」とため息とも、独り言ともつかぬ言葉を発した。

「さあ義経殿にも、膳を持って参れ」
お側の者にそう言うと、女達が義経の膳を運んで来た。

義経は、その膳の中にも鹿肉を見つけると、
「これは、もみじでござるか。秀衡殿」とびっくりしたように言った。

「左様。九郎殿が好きだったもみじの肉でござるぞ」

「以前、秀衡殿に、これを食べれば、強い武者になれます、お父上の仇は取れます、と言われ、よく食べたものでございましたな」

「そんなこともありましたな。初め九郎殿が、その真っ赤な肉に恐れをなして居られたので、そのように言ったまでのこと、一度この肉を口にしたものは、好物になってしまいますでな。実はこの肉を西行殿も大好物でしてな」

「そうなのです。私も秀衡殿に、だまされましてな、口に運んだ所、その時から、好きになり申した」

「そうでございましたか。ところで西行殿。あなた様に一度是非、聞きたいことがございました」義経は、うまそうに鹿肉をほおばりながら言った。

「何でござろう」

「歌のことでございます。実は私は幼少の頃より、理屈は分かりませぬが、西行殿の歌が大好きであった。いやこれはお世辞ではございませぬ。他の歌人にない凛とした心を感じておりました。特に私は、あなた様の春の歌が大好きでした。
例えば”吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ”を日頃から愛唱いたしておりましたところ、都から反逆者の汚名を着せられて吉野山に深く潜行したおりに、この歌の実感と言うか、芯のようなものに触れたように感じたのでございます。まだ見ぬ花という言の葉の中に、救われ申した。そうだ。今こそこの九郎もその花を見に奥州までたどり着くのだ、と強く思いました。なぜ西行殿は、そのように歌が詠えるのでしょう。人の心に訴えて、しかも明日をも見越したような歌を・・・」

秀衡は、その義経の言動にいたく興味を持ったのか、
「おお、それは面白い。私も是非聞きたいものだ」と、言って身を乗り出した。

「いや、買い被りでござる。その歌は、ただ吉野山を尋ねていると、ふと道しるべのしをりを見た時に、道が二つに分かれておって、大方の人は広い方に行くのだが、少し狭い方の道は険しくて、誰も行かない。むしろ行くな、というしをりに見え申した。でも私はその細い方の道に興を感じて、誰も見ないような花が咲いているかもしれないと、分け入ってみたのよ。それをそのまま詠んだだけでして…」

「そうでありましたか、私はこの歌を、確信に満ちて、人と違う道をゆく覚悟と捉えましたが」

「いやその解釈で構いませぬ。歌は人に強制を強いるものであってはならないので、自由にむしろ歌人が感じた以上の解釈が生まれることがあっても、良いのです。いやもしかしたら、その時実直に詠んだつもりが、心の深いところでは、別のことを欲しているということもある。だから歌は詠んだ時から、それを詠む人の中で成長するのでしょう。きっと。」

「歌も成長するものですか…なるほど」

「いやいや、難しいことを言ってしまいました。それより九郎殿が私の歌を愛唱してくださっていたとは、実に光栄ですな」

秀衡が口を挟んだ。
「おそらく西行殿の歌にある侍振りに、九郎殿も共感するのであろう」

西行が首をひねった。
「侍振りでござるか」

「そう侍振りじゃ。何というか、西行殿の歌には、侍特有の凛とした精神が宿っておる。今時の他の歌人には、ない貴重な特質だ」

「確かに、私も感じまする。それが私が西行殿に引きつけられる源かもしれませんな」義経はそう言って笑った。

「いや、これはお二人にお褒め頂き、うれしゅうございまする。ただ実感だけを大切にと詠いますれば、侍振りなどという、面白き解釈も賜っては、一生の思いでになりまする。義経殿、私はあなた様にこそ、質問したきことがありまする…」

西行はそう言い終わると、襟元を整えて、じっと義経の方を凝視してこう言った。

「義経殿、貴殿の戦は、これまでの我が国の戦とは大きく異なる所がある。是非貴殿の兵法についてお教え願えぬか」

「おう、そこの所は、私も是非聞いて見たかった。話してくだされ。義経殿」秀衡も身を乗り出してきた。

義経は、正面を正視し、記憶をたぐり寄せるように静かに語り始めた。

「いや、これは答えになってはいないかもしれませぬが、私の人生は、父が残した書の言葉から始まりました…。我が子らに、と題したその書には、ただ”兵者詭道”とだけありました」

「ヘイシャキドウ…」西行は、不思議そうに言った。

「はい。母から、これはそなた達の父君からの大事な遺言です、と手渡されたものです。私が十一才になった時でした。母は再婚のため、三人の兄弟に別れを告げる段にこれを見せてくれたのでした。その書をどうしても自分の手元に置きたかった私は、泣いて母と二人の兄にお願いしました。どうか、母君、兄上、この牛若にこの書を預けていただきたく存じます。と、幸い母も、また兄たちも、それは牛若が持っておれ、ということとなり、私は一人鞍馬寺に稚児(ちご)として預けられることとなりました。それから私は日夜このことの意味を知るために、それでありとあらゆる人物にお伺いを立て、教えを請う日々が続きました。初めはまったく何が何か分かりませんでした。でもとうとうその意味が分かる時が来ました。私が十五才になった時です。ある時、唐国(からくに)の兵法に詳しき人物と知遇を得て、やっと朧気(おぼろげ)にその意味が分かったのです」

「というと、その意味を知るまでに何と、五年の歳月がかかったという訳ですか」秀衡は感心したように言った。

「はい。もちろん色々な解釈をしてくれる人はいました。しかしそのどれもが私にとってしっくりくる答えではなかったのです。まずその四文字が果たしてどこから来たものなのか、知らなければ意味がないと思ったのです。」

西行が割って入った。
「つまり義経殿は、その原典をはっきりとさせ、前後の脈絡を捉えた上で解釈しなければ、意味がないという訳ですな」

「その通りです。真の意味は、ただ四文字にあるのではなく、その四文字を書いたその精神を明らかにせねば、分からぬ、と思ったのです」

「お見事じゃ。義経殿、すべてに通じる一本の道がある。佐藤家にも始祖秀郷以来ずっと受け継がれる兵法の極意書があります。しかしその中から四文字を抜き出した所で何の意味ももちません。大事なことは、その四文字の奥に流れている精神を知ること。そのためには生半可な気持ちでは無理。理解ではなく誤解で終わってしまう」

「存じております。継信や忠信を介して、その父佐藤基治殿からその書を見せて頂き、大方は理解しておるつもりでございます。あの書は含蓄のある良い書でございました。そこにもまた詭道について述べてありました。もちろん詭道という言葉ではございませんが、そこにはまさに詭道が書いてあると、私は理解いたしました。例えば、東国で起こった平将門殿の乱を鎮めた時の秀郷殿の戦法は、互いに詭道の限りを尽くした戦でした」

「そこでじゃ。互いに詭道を駆使した戦いをしながら、一方では敗者がおり、一方では勝者がでる。これはいったいどんなことが原因なのでござるか。義経殿」秀衡が言った。

「少しわかりにくい言い方になりますが、戦の勝敗は、天の理、地の理、人の理、将の理によって決するもの。従って戦を指揮する者は、己をなるべく虚しくして、この四つの理について、考えなければなりませぬ。言えることは、将門殿は、強すぎた。己に自信がありすぎて、墓穴を掘ったのです。しかも決定的だったのは、自分が新天皇に収まるなどという天の理に適わぬ野望を抱いてしまったことでした…」

「必要以上の野望を抱いてはならぬということですな…」額に汗を滲ませて秀衡が言った。

「戦は詭道ですから、一瞬で勝負をつかなければ、思い切って引くべきです。長期戦は敗北に等しい。前九年後三年の戦がそのことの意味を見事に教えております。所詮戦は国を維持する一つの方便。されどそれを侮っては、国は立ち行きません。詭道に対は正道。すなわち政事あっての戦です。ただただ戦に明け暮れれば、国が疲弊してしまうだけのこと…」

「確かにその通り。義経殿、詭道という言葉についてもう少し聞かせてくだされ。」西行が言った。

それに対して、義経は、まるで僧侶が経でも唱えるかのように一気に語った。

「詭道は、読んで字のごとく、詭の道のこと。詭とはすなわち相手を欺くこと。だますこと。相手の計算を狂わすこと。すなわち能ある者は、これを不能と見せ、近くあっても遠くを装い、敵の頭を乱しに乱し、勝利を引き寄せる道に他なりません。しかしこれは言葉で言うほど簡単ではありません。詭はごんべんに危ういという漢字を充てますが、これはこの詭道の本質を示しています。つまり詭道は危うい道なのです。まるで薄い氷の上を用心をして歩くようなもの。何故ならば常に兵を取り巻く情勢は変化し、時の勢いというものがあるからです。その勢いというものを見極めることができなければ、戦の勢いはたちまち相手の方に行ってしまいます。その勢いを判断するのが兵者の才というもの…」

「義経殿実に実に深い言葉だ。いったいどこでそれを学ばれたのだ」秀衡は感心して言った。

「これは唐の国の孫子という兵法書にある言葉。私はこの書の存在の噂を聞き、矢も盾もたまらず、奥州から一度京に帰ったほどでした」

「分かったぞ、そうかあの時、貴殿は京に戻ると言い残し、3ヶ月ほど戻らないことがあったがあの時に学んで来られたのか」

「その通りです。しかし私の戦の仕方は、また少し孫子の兵法とは違うです。それは奥州に伝わる騎馬による兵法を私なりに変化を付けているからです。しかしだからといって私が戦をする時、誰も私の作戦を読みとることは不可能です。」

「義経殿、貴殿はそのように自分の才というものに自信をお持ちなのか?」西行が質問した。

「いや自信などと言うものではありません。私が特別な才のある兵者であるのは、勢いがあってのこと。ですからたとえ私になにがしかの才が有ったとしても、それは勢いというものに乗っていればこそ。勢いがあれば、たとえこっちは素手であっても大きな熊だとて、一撃のもとに倒してしまう、そんなものです。しかしいったんその勢いを失えば、一匹の蝌にも絶命させられる危険があるのです。それが詭道の奧にある時の勢いの怖さというものです」

「とすれば、貴殿は詭道の本質は、時の勢いを捉えることであると言われるのか?」

「はい。もっと正確に言えば、時の勢いを捉えて相手をうち倒す術と解釈すべきかと思いますが」

「では、ずかっと、義経殿に質問いたしますぞ」西行は、まるで自分が若き侍のように義経に質問を放った。

「義経殿、一ノ谷の戦のことを質問してよろしいか。貴殿はあの時、悪路を越えて、平氏の陣の背後に回った。しかもその手勢たるや、僅かに五十ばかり。もしも総大将たる貴殿にもしものことがあったらどうなさる。たちまち形成は逆転していたかもしれぬと思うが、そのことをどう考えなさる」

秀衡も義経の目を見ながら、一瞬息を呑んだ。

「西行殿。戦は勢いにて、ただひとつ一ノ谷のことだけを抜き取って論じても始まりませぬ。まさに一ノ谷は、勢いに任せての勝利でございまして」

「勢いに任せての勝利とな…」西行は、そう言いながら、怪訝な表情で義経を見た。

「いかにもその通りです。まず宇治川の戦で、私は平家の武者の気持ちの萎えを実感しました。これは問題にならぬ、と。次にその勢いをかって、三草山に陣を敷いた平資盛(たいらのすけもり)を夜襲にてうち破り、そしてあの一ノ谷の戦がやってきたのです。ただ一ノ谷に布陣したるは平氏勢もそれなりの覚悟を持ってのこと。それまでのようにはいかぬと感じまして、詭道を持って、思いもつかぬ鵯越えを果たし、平氏の構えを、一瞬でうち砕くことを考えたのです。でも決してこれは無謀な策ではありません。私はこの奥州の山谷を巡りながら、幼き頃より、崖のような所を一気に駆け下りる遊びとも訓練ともつかぬことをしておりまして、どうということはないのです。それよりも平氏の不意を突くことができれば、時の勢いを持って彼らを殲滅することができると確信していたのです。」

「確かに、あのような急な斜面を駆け下りるとは、平氏の誰も予想はしていなかったことは確か。恐ろしいお方だ。でも、もし貴殿に何かあったら、源氏方の志気は、逆に衰えてしまうかもしれませんぞ。わずか五十騎ほどの手勢では・・・」

「いや、そうではありません。あそこに集った者どもは、私がかつてより目をかけてきた一騎当千の強者たち。継信、忠信を始めとする奥州武者に畠山や和田などの板東武者。私が考えている通りの働きをしてくれる武者としての才に恵まれたばかりでございまして、数など問題ではありませんでした。さてそこにおける詭道のあり方ですが、詭道に見えて、その実、正道の変化でして、」

「正道の変化とは・・・」

「いや難しいことではございませぬ。応用と言い換えてもよろしゅうございましょうか。誰でも経験していないことはできないものです。私はただそれまで経験していたことをすこしだけ変化させその状況に応用したに過ぎませんでした。つまり時の勢いに準じたのでございます」

「なるほど、すると次に来る屋島での戦も、壇ノ浦での戦も、義経殿にとっては、時の勢いに任せての戦となるわけですな」秀衡が言った。

「その通りでございます」それでも西行は、義経の説明に納得いかぬようであった。

そう義経が言い終わるか終わらないうちに秀衡の家臣の者が血相を変えて入ってきた。

「御館。おくつろぎの所を失礼仕ります。至急お耳に入れたたきことがあって、参上致しました」

「いったい何事じゃ」

三人の耳目がその家臣に集中した。

「怪しき者を捕縛いたしました。取り調べましたが、旅の僧と言い張っております。どう見ても鎌倉の間者に相違ございません。いかがいたしましょう」

「そうか。捨て置け、間者がいることは、当たり前のこと。その者を捕まえたとて、ひとりではなかろう。いずれ知れること。それより義経殿が、この奥州に居られることこそが、鎌倉殿に対する暗黙の牽制となろう」秀衡はきっぱりと言った。

「では御館、その者を放免してよろしいのですな」

「その通り、”勘違いし申した。これは旅の足しになされ”と、少し金を渡してやれ」

「御館それでは、泥棒に追銭になりまするが、それでもよろしいので」

「良いのじゃ。まあ鎌倉の殿には、義経殿の男ぶりなど、よく伝えていただけねばならぬでな」そう言って秀衡はにやりとした。

「畏まりました」家臣の者は、秀衡の威光を抱えて廊下の彼方へ消えた。

その一部始終を見ていた西行が言った
「秀衡殿。いよいよその時が来ましたな。会って見る限り、頼朝殿の腹は明らか。この奥州を自分の配下として従わせる為には、いかなることでもなさるに違いない。しかし秀衡殿の威光と義経殿の詭道の兵法がある限り、この奥州には容易に踏み込めませぬな」

「秀衡殿。この義経この御恩は、この義経の命に代えても生涯忘れはいたしませぬ。既に私の中では、鎌倉の軍勢を迎え撃つ構想は出来ておりまする」すでに涙もろい義経の瞼には大粒の涙が光っていた。

「ほう、さすがは軍神義経殿じゃ。実に頼もしい。国衡や泰衡と計って、すぐに義経殿の意にそって、奥州各地に強固な館と罠を張り巡らせましょう」

「義経殿。どこで鎌倉軍を迎え撃つお積りか。まずは白河の関から那須の辺りの山辺で、山を下られるか」西行が鋭く聞いた。

義経はすぐに応酬した。
「いやあそこは、素通りさせます。不気味な静けさのなかに、関東の武者達に恐怖と疑心を抱かせて、気持ちに縄を掛けてごらんに入れまする」

「気持ちに縄…」秀衡は訝しげに言った。

「そうです。あれ、何で、と思わせます。それが私の詭道の第一歩」

「それで、どうなさる・・・」西行は身を乗り出して言った。

「何もしません。ただただ彼らには、彼らには疑心暗鬼のうちに奥州に深く誘うように歩いて貰うのです。そして4、5日で須賀川から二本松の近くにまで接近するはず。その時です。我らの奇襲の一隊が、彼らの食料を夜襲にて焼き尽くして見せまする。…さて人馬ともに食がなければ、どうなるとお思いで、西行殿…」

「うむ。でもそんなことが、できますか」

「簡単なこと。誰もこの義経が食料を狙うなどと考えてはおりますまい。しかも彼らは長期戦を覚悟で行軍して来るのですから、食料を絶てば、慌てふためくことは必定。そこで白河の関所を閉めたと噂を流布します」

「では、そこで鎌倉軍の退路を絶つので…」

「それは見せかけですが、そのような噂を流すのです。さてそこで兄頼朝がその中にいたらもはや袋の鼠同然。兄だけをねらい打ちに致し、弓に優れた者を選抜して刺客を放ちます」

「それで頼朝殿を倒せると思っておいでか、義経殿」

「いや、たとえ倒せなくてもいいのです。兄の頭を正常でなくすることこそ、肝要なのです」

「それで奥州の正規軍は、どこに待機なさるつもりで、」秀衡が言った。

「阿津賀志山の麓に本陣を張り、阿武隈の大河の近くにも陣を敷きます。おそらくあそこで鎌倉兵達は全滅する羽目になるはず」

「おもしろい。実におもしろい。確かにあそこは基治の大鳥の館もあり、様々な策が打てる位置。戦場(いくさば)としてはまさに最適の場所」
秀衡が、頼もしげに義経の作戦に太鼓判を押した。

西行は心の中で、思った。いったいこの人物の才とは、どこから来るのか、いとも簡単に戦の筋を読み、物語を作るように、なめらかに淀みなく語るその話には、間違いなく現実の歴史もそのようになってしまうとしか思えない妙な説得力に溢れている。いったいその強靱な自信いったいどこからくるのか。

その時、大きな声が聞こえた。

「義経殿が居ると聞いた。義経殿、義経殿」
その声の主は、藤原基成その人であった。かなり酔っているらしく、足下が少しおぼつかない。

秀衡が廊下に迎えに出て、言った。
「これはこれは、舅殿、良い所に来られた。いや義経殿と西行殿が来ておって、面白い話などして居った所でして…」

「おう、そうであったか、この基成はじゃまであったかのかな。御館殿…」

「そうではございませんよ。舅殿」秀衡は笑いながら答えた。

「これはこれは基成殿、基成様にはこの奥州に若輩の私が来るに当たりましては、一方ならぬご尽力を頂きかたじけのうござります。以前母常磐より文が参りまして、くれぐれも基成殿にはお礼を申すようにと仰せつかっておりました。ここに改めて、ご厚情のほど御礼申し上げまする」
義経は、座を一歩退いて、恭しく畏まって基成に挨拶をした。

基成はその義経の完璧な作法に面食らって、次のように言った。
「おう、義経殿、私もそなたが気になっておってな、奥州に再び来るとなれば、それ相応のこともせねばなるまいと思っておったに…」

かなり酔っていて、秀衡も西行ももちろん義経もその真意をつかみかねていた。

「さあ、基成殿、まずは一献」西行がその場を繕うように、自らの杯を渡して酒を注いだ。

「これは天下の歌詠みに酒を注いで頂こうとは、光栄なこと。いただきますぞ。西行殿…ところで西行殿には、鎌倉殿にも会って参ったという噂が流れておるが、それは誠か」

西行は、その言葉に驚いた。何故自分が鎌倉で頼朝に会ったことを、この人物が知っているのか、とすれば頼朝との間で文のやりとりでもあるのか…。

「確かに頼朝殿に会い申して、弓馬の道について聞かれて、少し話し申した。東大寺の砂金の勧請に来たと言ったら、銀の猫など渡されて、丁重に断られてしまいました」そう言いながら、西行は笑った。

「ほう、銀の猫とな」基成は、酒で赤くなった顔を振りながら、じっと西行を見た。

「舅殿。まあ鎌倉のことなど、この際よいではござらぬか。私にも一献注がせてくだされ」秀衡は雰囲気を取り繕うように言った。

「いや、私より義経殿にお注ぎなされ。のう義経殿」

「私もだいぶ、酔っておりますが、頂戴致しまする」

基成は、秀衡の持っていた酒を奪うように手に取ると、一気に注いだ。

義経は、「おっと」と言いながら、左手で直垂(ひたたれ)にこぼれる酒を受け止め、一気に飲み干した。基成はそれを見ながら、

「さすがに天下一の弓取りは違うものじゃ。是非この気概を泰衡にも教えてやりたいものじゃ。のう秀衡…殿」

「誠に…」秀衡は舅の無礼に腹が立つのを抑えながら言った。

「さて、義経殿、そなたに聞きたいことがある。奥州のことじゃ。忌憚なく答えていただきたい」基成は、口をへの字にして言った。

「ええ何なりと」義経は、きっぱりと言った。

「それではお聞きいたしまするぞ…。まず奥州のことじゃがな。どのようにしたら奥州の平安は守れると、義経殿はお考えか」

「戦の備えがあっての平安。それ以外に今の世で自国の平安を維持する手段はありますまい」

「いや。外交という手段があるではないか。帝や院の威光は、たとえ鎌倉殿でも無視することはできぬ。この奥州の安泰は、ひとえにこの外交による手段にあると思うのだがのう」

「もちろん戦も政(まつりごと)の一つに過ぎません。しかし一旦、政で事が解決せぬとなれば、武力が必要となります。それが戦でございまして、いま兄頼朝がなそうとしていることは、帝と院の権威を棚上げにして、鎌倉の傘のなかに、九州西国から奥州までおも治めてしまおうとの魂胆。事ここに至っては外交による解決など、たとえ兄頼朝がどんな事を言って来たとしても、それは奥州を謀(たばか)るための方便に過ぎますまい。兄頼朝は、そのために奥州に恩義のある私めが邪魔で邪魔で仕方ないのでござる。いかがかな。基成殿…」

「うむ、儂(わし)にはそうは見えぬが。いかに鎌倉殿でも、都の権威を無視することはできぬはず。その証拠に何事につけて、帝や院に伺いを立てた上での動きしかしておらぬではないか…」

西行がたまらずに声を発した。
「一言よいかな。基成殿。私は鎌倉の頼朝殿につい最近会って参った男。あの殿が、どの程度の器量を持った頭領であるかは、ある程度掴んでおるつもりでございます。あの殿に前では、一切の権威はひたすら己が国を統一する野望の方便に過ぎぬと思いまする。つまりあのお方にとっては、京の帝も院も利用する対象であって、崇敬の対象ではないと見ました。一旦事が起これば、己の優位のためには、あのお方のための帝と院をお据えになる位の腹を持ったお方と見ましてござる。よってあのお方が私に銀の猫を渡した意味は、暗に奥州の秀衡殿と基成殿を猫と見立てて、その首に鈴を付けて来いとの謎掛けであったはず…」

「いや。その通り。西行殿。その通りでござろう」秀衡が西行の手を取って相づちを打った。

「でもな、たとえその意図が鎌倉殿にあったとしても、あの院の権謀に敵うとは思われん。たとえ鎌倉殿でも結局、都の権威の前では、己が猫になるしかないのよ。そこが分からねば、この国の政の奥深さは理解できぬはずじゃ」

「基成殿、でははっきり申しましょう。この義経は、この奥州に戦をしに参った者にございます。ただ誤解せぬようにしていただきたいのは、何も私は戦好きで、そう言っているのではないということです。時には勢いがあります。戦には戦の勢いがあり、臭いのようなものがございます。それを避けるのも基成殿のような文官たる者の役目であることも十分に存じております。しかし事ここに至って、まず肝要な事は、奥州が一つとなり、戦の備えを万全にすること。この義経、この命に代えてもこの奥州を守ってごらんにいれまする」

「義経殿。もったいのうござる。実に嬉しき言葉なれど、貴殿をこの奥州で朽ちさせるとあればこの秀衡死んでも死に切れませぬ。そんなことがあれば、この奥州の御館としての大いなる恥でござれば、のう基衡殿そうは思いませぬか」秀衡は、そう言いながら、基成にも同意を求めた。

基成は、困ったように秀衡の目線をはずして、立ち上がった。
「どうも涙もろい者ばかりで、儂は異邦人になった気分じゃ」そう言いながらふらふらと基成は出ていってしまった。
 

基成が去った後、義経は、秀衡と西行に向かい、鎌倉勢をうち破る戦略について、驚くべき詳細さを持って語った。話はどの地域にどんな館を造り、どの人物をそこに配置するかまでに及んだ。その時の義経は、まるでどこか、あらかじめ予定された書物を空で読んでいるような所があった。西行は、そんな義経を間近で見ながら、この小柄な人物が時代という神の申し子であると確信するに至った。しかし同時にこの傑物の余りの才能に何か危ういものを感じてしまった。ここに至っても、西行にとって義経は、依然として謎そのものであった。又「危ういものを備えてしまった人物」、そのように表現してもいいかもしれない。ともかく西行にとって、生まれて初めて出会った異質の才能の持ち主であった。

その思いは、自室に戻っても続き、西行は義経という人間について様々に思いをめぐらせた。そして義経という人物を抱えた奥州平泉がとてつもない運命を背負い込んでしまったのだ、という結論を導き出すに至って背筋が寒くなった。そのことの真の意味を、さすがの西行自身も、よくは分からなかったが、たた何か怖ろしいことが近々起こるのではないかという漠然とした思いを抑え切れなかった。

やがて西行の脳裏の中では、義経の口から淀みなく溢れてくる兵法や対鎌倉戦に関する言葉が、まるで念仏のように渦巻きはじめ、その論理の明快さと奥深さに、西行はある種の嫉妬を覚えた。あれ程の才に匹敵する歌を、自分は作れるだろうか。ほとんど神が語っているかのようにも見える義経の饒舌さは西行にとって驚きそのものであった。その時、ふいに長い間を置いて、宵暁を告げる時の鐘が、長い間を置いて、三度聞こえた。西行は時のはかなさにあはれを催し、矢も楯もたまらずに、次の二首の歌を詠んでいた。

    ”つくづくと 物を思ふに うちそへて をりあはれなる 鐘のおとかな
    (解釈:つくづく物思いに耽っていると、その折も折、いっそうその思い強く感じさせる時の鐘であることだ

    ”いつの世に、長きねぶりの 夢さめて おどろくことのあらんとすらん
    (解釈:いつになったら、この長き迷いの眠りから覚めて、何事にも不動の心を持って世の中を見ることができるのであろう

何故、己は、これほど凡庸なのか…。
その後、西行は、激しい睡魔に襲われて、深い眠りの中に落ちていった。
 
 

(続く)佐藤
 
 


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1999.12.15 Hsato