一本足打法の創造性を思いながら

王さんの辞任会見を聞く




佐藤弘弥
あの王さんが辞める?!

王さんが、福岡ソフトバンク球団不振の結果責任を取って今期限りで監督を辞めるという。

もちろん、今回の辞任表明の裏には、胃がんを煩っての体調不良があることは明白だ。最近の王さんの表情を見ると、頬がげっそりそげ落ちて痛々しい。

王さんの辞任のニュースを聞いた時には、突然の出来事に、ショックを通り越して、ソフトバンクの選手のたちの不甲斐なさに腹が立つ思いがした。

王さんは、この1年にすべてを賭けて頑張ってきた。だが、ペナントレース制覇の夢が消えた時、王さんは、指揮官としての結果責任を取ることを自身 で決めたのだ。王さんは、今シーズンで身を引く決意を口にしたことで、選手に無用なプレッシャーをかけてしまったと、選手たちを気遣った。

ON時代の終焉

「王貞治」さんも、今年で68歳だ。そんな王さんが、「野球というひとつの道に、50年間も歩んでこれたことは幸せだった」とポツリと語った時、 こっちまで目頭に熱いものが込み上げてきた。考えてみれば、この50年間、日本の野球界は、「王貞治」と「長島茂雄」というふたりの傑出した人物によって 支えられきたと言っても過言ではない。

王さんの前には、兄のような存在にして、人生最大のライバルだった長島さんが存在した。王さんは長島さんを最初「チョーさん」と呼び、その後「ミスター」というようになった。一方長島さんは、王さんをずっと「ワンちゃん」と言い続けた。

引退時に出版した「回想」(1981年勁文社刊)の中で、王さんは、この長島さんについて、とにかく長島さんの人気には、どうしても勝てない。だ から絶対に記録では負けないようにしようと思った。という話を朴訥に語った。王さんはの正直な人柄をそのまま映す本だった。その後この著は、文部省の教科 書にも使用されるなどした。

今さらながら、ONと呼ばれた王さん長島さんのことが思い出される。長島さんは、1958年(昭和33年)六大学のスターから巨人軍に鳴り物入り で入団した。すると入団一年目から、3割5厘、本塁打29本を打ち新人王を獲得し、日本の野球界のトップスターに納まってしまった。一方王さんは、その一 年後、甲子園の優勝投手として早稲田実業高校から巨人軍に入団した。二人には、年齢で5歳の違いがある。王さんは、入団から三年目までは、長島さんのよう な華々しい活躍はできなかった。

一本足打法の創造性

そこで、王さんは、荒川博打撃コーチと運命的な出会いをする。そこで一本足打法というものに取り組むことになる。この打法の特徴は、投手から向 かってくるボールを一本足で迎えて、力を一点に集中させて打つもので、タイミングの合わせ方が難しい。そこで荒川コーチは、日本刀の真剣を使って、藁束を 切る練習や、つり下げた紙を日本刀で切るなど、野球の打撃の常識では考えられない猛練習をした。

練習は、実を結び、一本足打法という打撃革命は、打撃技術として確立したのである。1963年から1974年まで13年間連続でホームラン王の座 を死守した。1964年に達成した年間本塁打55本は、いまだに破られていない。2年連続三冠王の快挙を達成もした。ヤンキースに渡った松井秀喜選手の巨 人時代からの55番は、王さんの日本記録を抜くということで、選ばれた背番号だ。また通算本塁打868号は、年間140試合という少ない試合数で達成され たもので、大リーグ記録と一概に比較することは出来ないが、当時の大リーグ記録のハンク・アーロンの755本や、現在のバリー・ボンズの世界記録762本 と比べても、「世界のホームラン王」の名に恥じぬ大記録だ。アメリカにも多くの王ファンがいて、世界的なデュオグループ、サイモンとガーファンクルのアー ト・ガーファンクル氏は、王さんの一本足打法を観戦するため、何度も後楽園に足を伸ばしていることは有名な話だ。

WBCでのイチローと王さんの邂逅(かいこう)

王さんの後年の活躍で思い出されるのは、2006年3月、サッカーのワールドカップを意識したような文字通り世界1の野球大国を決める第一回 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、全日本チームを世界一に導いたことだ。この時、シアトル・マリナーズのイチローは、王さんに恥をかかせ ることは出来ないと、自分から王さんに、電話をして、出たいと伝えたとされる。イチローは、文字通り、全日本の牽引車として、王ジャパンを引っ張った。こ のWBCの優勝は、野球の神さまから王さんへの、長年の功労に対するご褒美だった気がした。今回の王さんの辞任会見をインターネットで知ったというイチ ローは、「予感があったが、寂しい。王さんと一緒にWBCの時間を過ごせて幸せでした。王さんありがとうございました」と短くコメントを発表した。

私生活の苦悩を内に秘めていた王さん

王さんも、長島さんも、野球の世界以外の私生活では、けっして平穏なことばかりではなかった。それは二人とも偶然だが、最愛の奥様に先立たれてい る。また野球漬けの忙し過ぎる生活で、ふたりとも病気に見舞われてしまったこともある。もう少し注意していればと悔やまれる。それでも二人は、病との闘い を続けている。その姿が、私たちファンの胸を打つのである。

”人はいかに生きるべきか”を王さんに教わる

王さんの人生のすべてを野球に打ち込む人生に、「人はいかに生きるべきか」という人生の覚悟や構えを教わったような気がする。投手が投げたボール をギリギリまで引きつけて、絶妙のタイミングでバットを振る一本足打法を思い浮かべながら、日本の野球界というより、日本社会にポックリ穴が開いたような 気がしてくるのは私だけだろうか。王さんの全快を心から祈りたい。





2008.9.25 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ