良寛さんの兄弟愛

真の豊かさをめぐって

 
良寛さんが、好きだ。この感情は理屈ではない。眼を瞑ると簡素な庵の前で村の子供たちと戯れる良寛さんが現れる。筆を縦にしたような細い体で、毬をつき、人なつっこい笑顔でニヤリと笑う。実に屈託のないその笑顔に、子供たちは「良寛さーん」と大声で答える。そんなイメージがある。

良寛さんの「肩書き」は様々だ。歌人であり、詩人であり、能書家であり、そして何よりも禅僧である。さてどれが真の肩書きかと言えば、「良寛さん」こそが肩書きであり、「良寛さん」こそが職業であると、思うのである。

さて良寛さんは、宝暦八年(1758)越後出雲崎の商家、橘屋山本家の長男として生まれた。しかし良寛さんには、この商家の後継ぎという立場は、まったく自分に合わないものだったようだ。一六歳で名主の見習いの役を与えられたが、出雲崎の代官と漁師の間に起きたいざこざを仲裁できぬまま、自分の将来に不安を感じた良寛さんは、安永四年(1775)、十八歳の時に出家をしてしまう。今で言えば、登校拒否の落ちこぼれの若者だったはずだ。

それから四年間、良寛さんは、世俗のことを離れて、一身に座禅修行に励んだ。ある時は、粗末な乞食僧の姿で、托鉢に出たりもした。その中で次第に良寛さんは、自分というものの姿が分かってきた。悟りなどというものではない。自分らしくあるあり方を、禅の修行の中から感じ取ったと表現すべきだろう。

ところで良寛さんには4つ下の弟がいた。名を泰儀(俳号の由之で知られる)という。良寛さんが出家することを思い切ったのも、この弟がいたためであるといわれている。彼は橘屋山本家の将来を背負い二十五歳で名主の立場に就いた。はじめは順調にいくと思われた家業も次第に思わしくなくなっていった。折もおり、隠居していた良寛さんの父親以南は、京都に行ったおり、桂川に身を投げて死んだ。良寛さんが三十八歳の時の出来事だった。

この時からではなかろうが、山本家の家運は、雪崩を打ったような状態となり、とうとう橘屋の看板は、取り上げられて没収となった。名家山本家の没落。良寛さんはすでに53歳となっていた。弟由之には、不幸の追い打ちがかかる。最愛の妻が失意のままにこの世を去った。こんな中で自暴自棄になるなという方が無理だ。住まいもなくし、当然生活は荒れてくる。

この時、良寛さんは、このような手紙を弟由之に送った。

人も三十四十を越えては、衰えゆくものなれば、ずいぶん御養生あそばさるべく候。大酒飽淫(ほういん)は実に命を切る斧(おの)なり、ゆめゆめすごさぬようにあそばさるべく候。七尺の屏風も躍(おど)らばなどか越えざらむ。羅綾(らりょう)の袂(たもと)もひかばなどか絶えざらむ。己(おのれ)欲りするところなりとも制せば、などか止まざらむ 春毛理老 良寛」(出雲崎良寛記念館所蔵)

良寛さんらしく、意訳をすればこのようになるであろうか。

人というものは、いつまでも若くはいられません。三十や四十を越えたならば、衰えてゆくものです。だからあなた様も体には十分お気をつけなさい。大酒や女遊びにふけるなど、自分の命を斧で削るようなものですからね。度を超さぬようにしなければなりません。大変なことはあると思うけど、故事にも七尺の屏風だって、飛び上がれば何とか越えられる。薄絹の袂も引かなければ破れることはないと、ありますね。だからあなた様は自分自身をしっかりと律し、我欲というものから遠ざかるようになさい。そうすればあなた様のことを分かってくれる人もあらわれるでしょう。そしてあなたに吹いている逆風も、その時にきっと止むでしょう。 春毛理老 良寛より

しみじみと弟を気遣う良寛さんの心が伝わってくるような名文だ。この中で、名家の実家が離散した小言など、一言御言わず、ただただ、かわいい弟の心情を気遣っている。この後、おそらく兄良寛さんの思いが通じたのだろう。由之さんは剃髪し、石地という所に住んで、句作に励むこととなった。(以後、尊敬の念を込めて、「由之さん」と呼ぶこととする。)彼は兄の愛によって一念発起する気持ちになった。家の崩壊離散という不幸に見舞われながらも、清貧な生活の中に、本来の自分というものを見いだしていくこととなる。

誰にも別れの時は来る。天保二年(1830)一月六日、良寛さんが支持者の別宅で亡くなる時、「良寛さん危篤の報」を聞いた由之は、直ぐさま駆けつけ、兄の手を取って感謝の気持ちを伝えた。良寛さんは、微笑みとただ力の弱った指で、自分の気持ちを伝えて、息を引き取ったということだ。享年七十四歳であった。

それにしても人生では、何が幸いするか、分からない。全てを失ったと思った由之さんには、実はどんなものにも負けない兄の良寛さんという宝があった。そのことに気づいた瞬間、彼の人生は変わった。それから三年後、由之さんも亡くなるのだが、その時の由之さんの心境はどうだったろう。おそらく良寛さんという兄を持った誇りと幸福感に包まれて、真に豊かな気持ちで昇天していったに違いない。

最後に由之さんの句を紹介して、筆を置くことにしよう。佐藤

  身ひとつは心やすくそ旅寝する  由之      


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2000.10.26