ロシア学校占拠事件の悲劇


「いったい何があったのだ?!」
本当にそんなことを思ってしまうような惨事だ。
9月1日、ロシア南部、北オセチア共和国で起きたチェチェン武装勢力による学校占拠事件だ。被害者の数は500人以上もともいわれるが、行方不明者の捜索は難航を極めている。

チェチェンの武装勢力にどんな理由があろうと、無防備な学校を攻撃するという行為は、人道人倫の道から言っても絶対に許されない行為だ。そのあり得ないことが何故起こったのか。全世界の人々はことの真実と成り行きを注目すべきだ。

「9.11」以降、世界はまるで地獄の底が抜けたような暴力の連鎖が続いている。力のあるものは、力のない者をテロリストと呼び、力のない者は、力のある者を征服者と呼ぶ。どちらにも言い分はあろう。しかしまず大切なことは、人としての有り様を思い返すことだ。

ロシア側の報道も、この事件では二転三転し、信憑性を欠く内容だった。人質に取られている人数は、当初120人から150人とされていたが、ほどなく300人から400人と訂正され、それが今では、1181人(9月4日現在)と再度訂正された。また戦闘が開始されたのは、占拠している武装勢力が最初に発砲してきたので、やむなく対抗したところ、犯人側が爆弾を爆発させたと言っていたが、別の見方もある。強行突入したという疑いだ。いずれにしても、チェチェンを力で制圧し、強い大統領として、選ばれたプーチン政権の屋台骨を揺るがす事件であることに変わりはない。

今回の武装勢力の中には、チェチェン紛争の中で、夫を失った若い妻が何人か参加していたと聞く。彼女たちは、民族解放の運動の過程で殺害された夫の意志を継ぎ、夫の復讐を兼ねて、この人倫に悖(もと)る学校攻撃を決行したことになる。彼女たちは、「ブラック・ウィドウ」(黒い未亡人)と呼ばれているが、体に爆弾を縛り付けて、チェチェン解放を叫ぶ様は、日本の若者が日の丸の鉢巻きをして敵艦に体当たりをした特攻隊を越える怖さがある。女性に象徴されるものは、ギリシャ劇以来ずっと平和と非暴力の象徴だった。ところが、今や世界の価値観は逆転し女性が爆弾を体に巻き付けて体当たりをする時代となったのだ。

この事件を、あの非暴力運動のガンジーが見たら、どのような見解を持つだろうか。そして目を閉じると、こんな言葉が浮かんできた。

「チェチェンのみなさん。お止めなさい。暴力に暴力で抵抗することは愚かだ。耳を澄ませ、心を澄ませて、その抵抗に真実があるかどうかをまず見極めなさい。誰の力も頼ってはいけません。状況は必ず変わってきます。象徴させなさい。私が糸車を回したように。象徴としての糸車によって、インドの民衆がハッと気づく瞬間があった。糸車を回すことは、インドの叡智を呼び覚まし、状況を主体的に変化させ、経済を立て直し、わがインドの民衆に考える時間をもたらす効果を発揮した。あなた方の民族の古き伝統を思い起こしなさい。私が糸車を見つけたように。必ずその象徴はあなた方の伝統の中にある。だから暴力に暴力で対抗してはいけない。相手に暴力を行使する口実を与えるのは愚かだ。叡智は、すでにあなた方の伝統の中にある。そしてそれはあなた方の心にある」

チェチェンの人々にも、ロシアの権力者にも、暴力の連鎖を止めるための自制を促したい。あの聖人ガンジーの笑顔を思い出して、どうしたら平和が訪れるかを、考えてもらいたい。

 ガンジーの糸巻き車回す手の深き皺こそ平和の叡智
 暴力の連鎖を止める術なくて朝刊に置く「ガンジー自伝」

 


2004.9.7

義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ