論語について

宮崎市定著「現代語訳 論語」の発売を記念して


今月五月十六日、岩波の現代文庫で、宮崎市定氏が現代語訳をした「現代語訳 論語」が出版された。それを記念して、論語について少し考えてみることにしよう。

* * * * *

古典の中の古典と云われる「論語」という本がある。論語は、孔子死後の弟子達が集まって、師の言行録を集めたものだ。この辺りの事情を小説にしたのが、井上靖の名著「孔子」である。その後、「論語」は儒教思想の源流となり、大国中国の思想的一大潮流となっていくこととなった。

さてこの論語の本質を考えるに、論語の根本思想は、「礼」と「仁」という人がいるが、私はその定説(?)にいささか疑問を呈する者である。つまり孔子思想の本質は、礼でも仁でもないということである。

ここまで云うと、
「何と不遜な、孔子の思想は、論じ尽くされ、語り尽くされ、2千五百年を経て、定説化しているではないか」、という人が必ず現れる。

そもそも現実の孔子と儒教で加工された挙げ句に定説化された孔子像はまったく違う存在なのだ。丁度、大工のせがれのイエスが、救世主キリストとされて教義の中心のなる過程で、まったく違う人格が附加されてしまったように…。

私が、「礼」とか「仁」というものが、孔子の中心思想でないと言い切るには、それだけの理由がある。それは「礼」も「仁」も、時代と共に生成変化する類のものだからだ。むしろ孔子の本質は、物事に捕らわれない自由さにこそある。それは論語の言葉をひとつひとつ精密に分析して得られるようなことでは決してない。論語を読んだ上で、論語を一旦忘れ、孔子が吐いたの言葉の奥の奥にある魂や感性といったものに触れなければ分からない感覚である。

例えば、論語(巻第九210に)このような下りがある。
孔子が匡(きゅう)という国で災害にあった。その時、曰く、周の文王が死んで以後、文化の伝統は私の身にあるではないか。天がその文化を滅亡させる気ならば、恐らく私をここで亡ぼして、後輩が文化の何ものであるかを知らぬようにしてしまうだろう。しかしもしも天がこの文化を保存する気があるならば、匡の人が私に危害を加えようとしても、何ができるものか
(宮崎市定著現代語訳「論語」岩波現代文庫、p137−138)

多くの人は、この一文の中に、孔子の並々ならぬ、人生に対する自信のようなものを感じるかも知れない。しかし私は、逆にこの孔子の言葉に、けっして弱音を吐かないはずの孔子の心の中にくすぶっている不安や恐怖というようなものを感じるのである。孔子を礼賛し、絶対視し、孔子的覚悟の論理を喧伝したい人は、私の感覚を受け入れられないかも知れないが、それは私の感覚であるから、批判されても仕方ない。

私は多くの弟子達を率いながら、諸国を放浪し、時にはこのような弱音を吐き、共に悩み、学問の研鑽に骨身を削ったこの孔子の一団に人間的気高さと一種の「美」すら感じてしまうのである。孔子の一生は、その才能に比した場合、けっして満たされた人生ではなかった。いやそれどころか不遇に不遇をかこつ過酷な人生であった。

もちろん論語自身が、孔子の人とその思想を、ちょっとばかり神聖化(?)する最初の動きであったことは確かだ。しかしその中にある孔子自身の肉声の中になる微妙な感覚は、「論語読みの論語知らず」には絶対に分からないみずみずしさに溢れている。そしてそれは、この世に人間が存在する限り、けっして色あせることのない人間的普遍性に満ち溢れているのである。

今の言葉をもって、孔子の論理を覆し罵倒することは容易い。しかし彼の到達した人間としての境地、苦悩を押し殺した気高さのようなもの。すなわち生き様を否定することは何人にもできないのである。

事実、つい三十年程前、中国で起きた文化大革命という嵐のような旧文化を根こそぎ否定しようという運動が起きた。その折り、時の絶対的な権力者毛沢東は、若い赤衛兵達を先導し、反対派を走資派(社会主義中国を資本主義に戻そうとする一派という意味)と称して、一掃しようと企てた。

この時、孔子思想が、その思想的バックボーンとして、やり玉に挙げられた。赤衛兵達は、「批林批孔」というスローガンを掲げて、各地の孔子廟を、次々の打ち壊していった。だが、いつの間にか、時が過ぎ、打ち壊した側の人間達こそ、放逐され、歴史の闇に消えていくハメとなった・・・。

このエピソードこそ、孔子という人物、ひいては論語の普遍性の証明ではなかろうか。だからこそ「論語」は、古典の中の古典と云われるのである。論語に、新しい息吹を吹き込んだ感のある宮崎市定訳「論語」にあなたも触れてみては、どうか。佐藤
 


義経伝説ホームへ

2000.5.19