映画 プライベート・ライアンについて

 

 
                                                              
スピルバーグの新作「プライベート・ライアン」は、まったく胸の悪くなる戦争映画だ。あれほど戦争の激しさや凄まじいさをリアルに描いた映画があっただろうか?現代における戦争の特徴は、兵器性能の向上によって、人間があっけなく、しかも大量に殺戮される点にある。この映画は、その特徴が見事に描き出されている。まさに現代の戦争は、人間の尊厳や良心を遙かに越えた次元にある。最近、安易に戦争を賛美するバカが多いが、頭で戦争を考えている人間には、是非ともこの映画を直に観て、戦争を疑似体験してもらいたいものだ。

映画は以下のように始まっていく。

  1. 大写しの星条旗
  2. OL(オーバーラップ)して歩いていく老人の足元
  3. 海岸の道を歩いていく年老いた男
  4. 足取りがおぼつかない
  5. その後を、少し距離をおいて歩いていく一団
  6. おそらく彼の家族に違いない
  7. 白い十字架が見えてくる
  8. ここは墓地のようだ
  9. 一つの十字架の前で立ち止まり祈る老人

  10. ここから26分に及ぶDデイ(ノルマンディー上陸作戦)の大スペクタクルが始まる。そのオマハ・ビーチでの戦闘は、1944年6月6日、午後4時頃に始まった。そして戦闘の火蓋が切って落とされた。

  11.  海岸に向かって、連合軍側の水陸両用装甲車が、猛スピードで進んでいく。
  12.  兵士の顔に浮かぶ緊張。
  13.  ついに戦闘開始。玉が猛スピードでそこかしこを飛び交う。
  14.  オマハ・ビーチに次々と倒れていく兵士。死んでいく者。苦しみにもがいている者。
  15.  やがてノルマンディーは、連合軍側に落ちる。
  16.  海岸には夥(おびただ)しい死体が横たわっている。
  17.  その傍らには、流れ弾に当たった魚も打ち上げられている。
  18.  血の波がうち寄せる。
  19.  日は静かに暮れていく
本当に胸が悪くなる。地獄のようなシーンが、圧倒的なスピード感で展開する。もはやいいも悪いもない。これが戦争なのだ。このまま席を立って家に帰りたくなった。それほど息をつかせない凄惨なシーンの連続だ。「一切戦争を美化しないぞ、」というスピルバーグの覚悟を感じさせるような演出である。

やっとのことで、生き残ったアメリカ第一歩兵師団ジョン・ミラー大尉(トム・ハンクス演じる中隊長)。次にこのミラー大尉に、とんでもない命令(ミッション)がくだる。こともあろうに「敵の真っ直中にパラシュートで飛び降りた101空挺部隊のジェームズ・ライアン二等兵を救出せよ」というのだ。

聞けば、ライアン二等兵は4人兄弟の末っ子だった。ライアンは、アイオワの農場を後に、兄たちと共に祖国の戦いに参加した。後には、年老いた母が残された。そのうち3人の兄たちは、2人はノルマンディの戦闘で、1人はニューギニアの戦場で、ライアンだけを残して全員が戦死した。このことを知った軍上層部は、直ちにライアンをアメリカに無事連れ戻すことを決断した。それがミラー大尉に下った任務だった。よく取れば、アイオワの田舎で待っている母のことを考えての軍の粋な計らいだったかもしれない。悪く取れば、参謀総長がせめて弟を無事に帰還させたという「美談作り」の演出かもしれない。

気が進まないまま、ミラー大尉の8名の部下たちは、ドイツ軍の影響下にある地域にライアン救出作戦に向かう。新たな仲間が加わっている。ドイツ語とフランス語が堪能な若者アパム伍長だ。彼はインテリらしいが、一度も、実践の体験がなく、戦争に対して一種の幻想のような観念を抱いている。そしてある時、戦争のプラス面を強調するアメリカの哲学者「エマーソン」の言葉を自分の言葉のようにして、ミラー大尉に言い放つ。

戦争は人間の感性を研ぎ澄まし養う部分がある

それは戦争すら楽天的に考えるエマーソンの言葉だな」ミラーはここで肯定も否定もしているわけではないが、実戦経験のないアパムが、実際の戦争について理解していないことに一種の危惧の念を抱いているのだ。

ドイツ軍の占領下にある土地に侵攻していく8人。そしてついに最初の犠牲者がでた。イタリア系のアメリカ人カパーゾ二等兵だ。生き残った7人の中に「ライアン二等兵は、この八人の命と引き替えにするだけの価値ある存在なのか」という思いが募っていく。果たして彼らは、ライアンを探し出し、無事救出できるだろうか?これから観る人のために、これ以上は、言わないことにしよう。

この映画のリアルな戦闘シーンは、特筆に値する。これほど迫力に富んだ戦争描写は、映画史上空前のことだ。またその迫力は、スピルバーグの戦争に対する憎悪のようなものを描くためのリアリズムだったように思う。何も心地よい物だけが映画ではない。嘔吐(おうと)をもよおしながら観る作品もあっていい。

我々は幸いなことに、戦争のない時代に生まれた。しかしその幸いの意味を我々はもう一度考えてみる必要がある現実には、たった今も戦争に怯えながら生活している人々もいることを忘れてはならない。私は、「プライベート・ライアン」という映画を見終えて、ミラー大尉が、最後にいった言葉を何度も繰り返しながら映画館を後にした…。

「ライアン、大事に生きろよ」佐藤 
 



 

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1998.10.19