寓話 生まれ変わり

 
今日は寓話です。

日本中が戦争に振り回されている頃、一人の多感な少年がおりました。それまで「鬼畜米英」と言っていた先生が、近くに原爆が落ちて、戦争が終わり、急に「ハロー」と云ったので、「何だこの先生は」と思い、学校に行かなくなってしまったそうです。そう今の言葉で言えば、不登校です。

少年は、毎日学校をさぼっては、植物図鑑を片手に、山に入って、植物を観察しました。ある日、森の中が余りに心地いいので、寝入ってしまいました。小鳥の声を聞きながら、でも山の天候はすぐに変わります。急に雨が降ってきて、少年はびしょ濡れで、家に戻りました。

寒気がして、どんどん体温が上がり、少年は風を引いてしまったのでした。母親が額のタオルを取り替えても、熱は一向に下がりません。とうとうお医者様がきました。少年は肺炎に罹ってしまったのです。熱にうなされながら、少年は母親にこのような質問をしました。

「かあさん、僕って、死んじゃうの?」

母親は一瞬ためららいましたが、この少年の性格を考えてこのように答えました。

「大丈夫。また生んであげるから…」

「やっぱり、死ぬんだ?かあさん」

「大丈夫、また生んで、あなたがしたこと、見たこと、話すことばも、みんな新しいあなたに教えるから、そしたら古いあなたは、新しいあなたになって、生きるのよ」

少年は頭の中で色々なことを考えました。友達のことや、学校のこと、先生のこと、原爆のこと、原爆で亡くなった親戚のこと、戦争のこと、そして小さな自分のこと、自分が死ぬということ、生きるということ、…少年は、自分もまた母親が云ったように、誰か死んだ子供の生まれ変わりではないか、と考えました。

「かあさん、僕って誰かの生まれ変わり?」

母親は、優しい笑顔で少年に云いました。

「そうかもしれないわね…」

少年は、思いました。こうしてはいられない。みんな、死んだ子供の生まれ変わりなのだから、ちゃんと学校にいって、みんなと話したり、勉強したり、一生懸命にしなくちゃだめだ、すると不思議に体に力がみなぎってくる気持がしました。次第に熱がひいて、少年は元気になりました。
そして次の日、しっかり元気になった少年は、母親に向かってこう言いました。

「かあさん、僕今日から学校へ行くよ」

* * * * *

このお物語は、実話です。朝日新聞2000年5月30日号に掲載された小説家大江健三郎氏のお話(「知」の未来を求めて)を素にして再構成したものです。

この話には、多くの示唆があります。まずは、不登校になっているの子供を暖かい目で見つめていて、目覚めるタイミングを待っている母親の態度です。

普通なら、学校の先生から、「お宅の○○さん学校に来ませんが、どうかしましたか?」と言われれば、まずたいていの母親は、「あんたどうしたの、甘えたこと言って、学校へ行きなさい」と云ってしまうでしょう。ところが、この母親は、自分の子供が、自分で目覚めるタイミングをじっと待っていた感じがしまう。普通そこまで我慢できる母親はなかなかいません。「ガミガミ」云えば云うほど、子供は反対の方向に行ってしまうがちです。

子供だけではなく、大人だって、死ぬのは怖いことです。この少年は、お医者様が来て、機械的に、「自分はもしかしたら、死ぬのかもしれない、大変なことになった」と思ったのです。自分はいよいよ死ぬ。何で生まれて来たんだろう、とこの少年は思った。そこで母親は、大丈夫と云いながらも、非常にうまい言い方で、この少年の心の深いところに訴えたのです。

母親は、言外に「死んでも、別の子供を生んで、あなたと同じように、育てるから心配しないで」という内容を含ませた。少年の中では、「死んでたまるか」という反発心と共に「もしかしたら、自分の誰かの生まれ変わりではないか?」と感じたのです。

そしてその瞬間、少年は自分の命の意味、ずっと過去から続いている命の大切さを思い知ったのです。こうして少年の中で、アイデンティティというか、しっかりと生きなければならない、という人生の意味が形成されました。それから、少年の行動は一変します。母親に強制されたのでもなく、軽薄な「ハロー先生」に叱られた訳でもなく、自分から学校に行くようになりました。

母親の使う言葉ひとつで、このように少年の人生は一変します。場合によっては、ノーベル賞を受賞するような子供が、育つかもしれません。だから世間の親のみなさん、単なるガミガミではいけません。佐藤

 


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2000.5.30