オリンピックとは何か?

 
 
 
アテネオリンピックが近づいてきた。かつて古代ギリシャにおいて、オリンピア祭というものが開催されていたらしい。丁度今から2500年も前、ソクラテスやプラトンやアリストテレスが生きていた頃、やはり近代オリンピックと同じように4年に一度開催されていたようだ。

但し、古代オリンピックは、単なるスポーツの祭典(短距離、。五種競技、レスリング)というのではなく、詩の朗読や音楽の演奏なども催されたらしい。つまり古代オリンピックは、ゼウスの神への感謝の祭りという形をとったギリシャの人々の4年に一度の娯楽だったことになる。

オリンピア祭の「オリンピア」とは地名で、全能の神ゼウスの神殿があり、宗教都市であった。ギリシャ神話によれば、ゼウスは正妻ヘラの他にも様々な女神や精霊、人間とも恋に落ちて、アテネやアポロン、ディオニュソス、ヘラクレスなどの神々や英雄の父となった。なかなか奔放な神であった。

ところでこの古代オリンピックは、男子だけの競技だった。しかも、ギリシャのレリーフや壺の絵で見るように短距離や円盤、レスリングなど、当時は何故か全裸での競技だったようだ。伝説によれば、ある時、短距離走で、勝者が腰布を落として勝ったというので、それからみんな裸で走るようになったというが、俄には信じられない。むしろ、ギリシャ精神の人間主義が起因しているという方がよっぽど真実に近い気もする。

その為かどうかは分からないが、競技場に入れた女性は、ただ豊穣の女神デルメルの司祭ひとりだった。勝者には、ただ月桂樹の冠が与えられただけで、賞金は特別に渡されてはいなかったようだ。古代ギリシャの男達は、ただゼウスの神の都市に集って、ゼウスの神の神意に叶う男としての名誉を賭けて戦ったことになる。

近代オリンピックは、フランスのクーベルタン男爵の提唱により、第一回オリンピックが、1896年、古代オリンピック発祥の地ギリシャの首都アテネで、始まったことに由来する。「オリンピック精神は、勝つことではなく、参加することにある」という言葉は有名だ。オリンピックは、平和の祭典として位置づけられているが、残念ながら、近代オリンピックは、常に国際政治のプロパガンダ(文化宣伝)として利用されることが多かった。

1936年のベルリンオリンピックは、民族の祭典と呼ばれ、ヒトラーがナチスを率いて、ドイツ民族の偉大さを世界に知らせるために利用された。1940年の東京オリンピックは、太平洋戦争の勃発によって中止となったが、日本という国家の「紀元2600年」を祝うオリンピックの招へいだった。戦後、民主国家として生まれ変わった日本は、1960年イタリアのローマ大会に続いて、1964年念願の東京オリンピックを開催した。

それから40年の歳月が流れた。今オリンピックは、肥大化し、膨大な金銭が絡んで招致や放送権料などで賄賂が日常的に横行する有様となった。つい最近も、イギリスのBBC放送が、おとり取材で、ロンドン大会招致をブルガリアのオリンピック委員に働き掛け賄賂を持ちかけて、IOC(国際オリンピック委員会)が揺れている。

私たちは、純粋に各国の選手の日頃の研鑽成果を見たいと思っているが、内実は相当に汚れた部分もあるようだ。また今回のアテネ大会は、国際テロ組織の妨害工作もあるのではという心配もあり、平和の祭典オリンピックの精神の真価が問われていると言って良い。

 

 


2004.8.10

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