童話 おかあちゃんの桜


 
村はずれの山の中腹に男が住んでいた。とても無口な男で、ただ稼業の炭焼き仕事を黙々とこなして、一家を養っていた。隣の村から嫁をもらって、一男一女も設けた。ところが運が悪いことに、下の娘を生んだ後に、妻は、28才の若さで亡くなってしまった。周囲から、再婚を勧められた。しかし男は、頑として、この話を聞ききれず、独身を通した。親戚から養子の口もあった。これも又、頑として断り続けた。こうして次第に村人は、この男を変わり者として避けるようになっていった。

それでも男は黙って、長男の手を取り、娘を背負って、山に入り、炭焼きをした。幸い二人の子供たちは、健康だったので、スクスクと育ち、父を心から尊敬する若者に成長した。

大きくなると、二人の子供たちは、父の生涯を思い少し悲しくなった。町に下って、酒を呑むわけでもない。ただ一年中黙々と山に入り、手頃の木を切って、炭を焼き、町に運んで僅かばかりのお金を得る。もっと父にも人生を楽しんでもらいたい。二人は本気そう思った。でもこの境遇を子供たちが、変えられるわけでもない。次第に、二人は、父とは違う人生を送くらなければと、心に強く思うようになった。

兄は、中学を卒業する時、勇気を奮って、父に云った。
「おとうちゃんは、大好きだけれど、僕はおとうちゃんの跡は継げない。町に出て、別の仕事をしたい」
すると男は一瞬びっくりしたような表情になったが、短く、
「・・・そうか。それもいいな。」と云った。
こうして、長男は、町場の高校に通うようになった。
下の娘も、兄のマネをした訳ではあるまいが、父を山里に残して、町の女学校に通うようになった。男は、ますますもって、一生懸命働いた。炭を焼くだけでは、二人の子供を教育させることなどできないので、山菜やキノコを採って、町の市場で売りさばいた。それでも追いつかないので、清流に棲む岩魚を捕って、お金にした。

二人の子供たちは、父の苦労を思いながら、懸命に勉強した。兄は、高校でもトップの成績で大学に進学した。もちろん男に大学に進学させるだけの力はない。恩師の先生は、奨学金を貰いながら大学に進学する道があることを告げ、兄はその通りにした。大学も最優秀の成績で卒業し、官庁に職を得た。

娘は、母に似て器量が良かったので、女学校を卒業すると、女優の道を目指して、東京に向かった。男は、すべて子供たちの好きなようにさせた。兄は、やがて結婚をして、東京に家を建てた。息子は、父に「是非一緒に住みたい。嫁もそう云ってくれている」と手紙を書いた。

するとすぐに返事があって、「気持は嬉しいが、人の人生はそれぞれ、住むべき場所というものがある。山に生きてきた私が、お前たちと一緒に住むことは難しい」と書いてあった。それではというので、息子は、毎月、父に仕送りをするようになった。何度もこれを返して来た父だったが、それでも構わず息子が送るので、ついに父もこれを受け取るようになった。娘も、やっと役が付くようになり、兄と同じく、仕送りをするようになった。それでも毎日男は、山に入り、同じように炭を焼き続け、何ら変わることのない毎日を送った。

いつの間にか、二人の子供たちは、忙しさにかまけて、ほとんど父の住む山里には顔を見せなくなっていた。そしてある春の日のこと、男が山の中で、炭焼き小屋の中で、死んでいるのが発見された。

二人の子供は、信じられない思いで、父の死に顔と対面をした。皺深いその薄汚れた顔を見ながら、不思議な神々しさを感じた。
娘が兄に云った。
「にいちゃん。わたし、はじめておとうちゃんの顔を見た気がする。」
「えっ?」
「だって、いつもおとうちゃんは、背中しか見せていなかった気がするの?何からなにまで、このおとうちゃんが、やってくれたのよ。忙しくて、私たちに顔を見せる間もないくらいにね・・・」

二人の子供は、顔を見合わせて父の生涯を思って泣いた。

土間の奥から父が書いた一冊のノオトが見つかった。そこにこんなことが書かれてあった。

「和夫。瞳。もしも、わたしに何かあったら、これを読みなさい。おとうちゃんは、とても幸せだった。だって、おかあちゃんと一緒になって、おまえ達を授かった。おかあちゃんが来てくれただけで嬉しかったのに、おまえ達まで、神さまに授かったのだから。わたしは、おかあちゃんと結婚前にこう約束をした。お金はないけど、暖かい家庭を作るから、是非来てくれ。そしたらおかあちゃんは、笑って、一生大切にしてくれる、というので、もちろん、と答えて祝言を挙げたんだ。一生大切にしてくれる、という約束をわたしは、絶対に守りたかった。守れなかったら、わたしではない。どうせ、おかあちゃんは、天国で待っていてくれる。ウソはつけなかった。だからおまえ達には、新しいおかあちゃんが必要だったかもしれないが、再婚はしなかったんだ。でもね。忙しくて、お金はさしてなかったけれど、とても幸せだった。だっておまえ達は、元気にすくすくと育ってくれて、自分の人生を見つけることができたようだし、それでいいと思っている。わたしは、おまえ達には、何も遺してやれなかったけれど、自慢にできることがあるんだ。実はお母さんが、亡くなった年に、桜の苗木を裏山に植えたんだ。大切に大切に育てた。わたしにとっては、この桜の木がおかあちゃんだ。おまえ達には、悲しくなるといけないから、云わなかったが、何かあるとずっとこの樹に相談をしていたんだ。そうすると不思議に、あなたの思う通り、和夫や瞳の思うように、それでわたしはいいですよ、と云ってくれているような気がしてくるんだよ。これはおとうちゃんの秘密事だった。さあ、裏山へ行ってごらん。おかあちゃんの桜が待っているよ。おまえ達の人生が幸せであることを祈っているよ。****年4月25日 父より」

二人は、ノオトを持ったまま、裏山に駆けていった。西の空は、あかね色に染まっている。裏山の中腹に、ノオトに書かれていた桜が、小ぶりながら清楚な花を咲かせていた。まるで二人の子供たちが、この日に来るのを待ちかまえているようであった。了 佐藤
 

 


2003.3.18
 

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